(1980年西武ファンブックより)
早くも首脳陣に期待され、徹底的に鍛えられている。
社会人野球でもまれてきただけに守備、打撃ともバランスがとれている。
ユニフォームを着ると一段と大きく見えるだけに、ガッツのあるプレーが見ものだ。
【1980年の大石友好】
西武在籍:1年目(26歳)、※新人=河合楽器からドラフト3位入団、背番号41
打撃成績:77試合、32安打、打率.205、0本塁打、8打点、2盗塁
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:1試合 2打数1安打、打率.500、0本塁打、1打点、0盗塁
神奈川大学卒業後に河合楽器に入社。
1979年の都市対抗には大昭和製紙に補強選手として出場。
準々決勝ではのちに西武でチームメイトとなる名取和彦から本塁打を放っている。
同年ドラフト3位で西武に入団。
1年目の1980年は、4月5日の日本ハムとの開幕戦(後楽園球場)で、新人ながらいきなり8番・捕手で先発起用され、プロ入り初出場を果たした。
この開幕戦では、先発・東尾修が好投するも打撃の援護がないまま延長10回裏に1-2のサヨナラ負けを喫したが、大石が試合終了までマスクをかぶり続けた。
4月10日対南海前期2回戦(西武球場)で、山内新一から二塁打を放ちプロ入り初安打を記録。
その後は、吉本博、野村克也らの捕手陣たちと併用される形での起用が続いた。
そんな中、東尾が先発する試合だけは大石が先発捕手で起用され、東尾が先発登板した33試合中28試合で大石が先発マスクをかぶった。
その結果、先発捕手が大石だった試合の東尾は、16勝9敗という好成績を収めている。(※先発捕手が大石以外だった試合の東尾は1勝4敗)。
7月以降のシーズン後半は、松沼兄弟や森繁和ら若手投手陣が先発時に大石が先発で起用される回数が増え、最終的にプロ1年目から捕手として75試合に出場し経験を積むことができた。
【1980年当時の記事写真とコメント】
アイスホッケーのキーパーの用具をつけて猛ノックを受ける大石。
「期待をかけられていることを、ヒシヒシと感じています。やらなければいけないと思いますが、あせらずにピッチャーに信頼されるようなキャッチャーになりたい。ピッチャーあってのキャッチャーなのですから。」