(1980年西武ファンブックより)
ドラフト1位で入団したライオンズの大器である。
素質のよさは首脳陣に高く評価されている。
あわてずに基礎からみっちり習得してもらいたい選手。
打撃センスもいいものを持っているので、あとはひたすら打ち込むこと。
【1980年の鴻野淳基】
西武在籍:1年目(19歳)、※新人=名古屋電気高からドラフト1位入団、背番号7
成績:一軍出場無し
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:56試合 143打数34安打、打率.238、1本塁打、12打点、6盗塁
1979年、名古屋電気高・三年時の夏の大会は、4番打者としてチームを牽引するも愛知県大会決勝で敗れ、甲子園出場はならなかった。
同年秋のドラフト会議で西武から1位指名を受け入団。
いきなり背番号7を与えられ、将来チームを背負う主力選手候補としての期待も大きかった。
1980年は、高卒1年目という事もあり、一軍での出場機会は無かった。
イースタンリーグでの試合では積極的に起用され全70試合中56試合に出場。
打撃は打率.238、24三振、守備でも13失策など、まだまだ力不足を示す結果となった。
【1980年当時の記事写真とコメント】
ボールをとらえる目は先天的な素質を持っている。
将来どう育つか楽しみな選手。