西武ライオンズタイムマシーン(第304回):1979年 金城致勲 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)

捕手から内野手に転向。
器用さがアダとなって定位置獲得ができなかったが、パンチ力のある大型内野手として成長しつつある。

 

【1979年の金城致勲】
西武在籍:1年目(25歳)、※クラウンライターから残留、背番号38
成績:11試合、20打数2安打、打率.100、1本塁打、2打点、0盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
59試合:220打数57安打、打率.259、4本塁打、37打点、3盗塁

 

1972年ドラフト会議で太平洋クラブから10位指名を受け入団。
入団時は投手で1年目の1973年に2試合に登板。
また、この年は一塁手として2試合の出場記録が残るが、いずれも偵察メンバーとして名を連ねただけで試合には出場していない。
1975年に器用さと打撃力を生かすために野手へ転向。
しかし1975年、1976年ともに一軍での出場機会は得られなかった。
そして1977年には捕手へ転向し、捕手として5試合に出場した。

球団が西武に変わった1979年は、捕手から内野手へコンバート。
4月7日対近鉄との開幕戦でいきなり7番・遊撃手として先発起用された。
新生・西武ライオンズとしての公式戦初ゲームで栄えある先発メンバーの一人として名を連ねた。
しかし、ノーヒットに終わり、守備でも失策を記録。

開幕2戦目となる4月9日対近鉄前期2回戦(日生球場)では、8回表に井本隆から左越2ランを放ちプロ入り初本塁打と初打点を記録。
また、この本塁打は自身だけでなく西武ライオンズ球団としても第1号のメモリアル本塁打であった。
この試合で金城は本塁打を含む2安打、2打点と活躍した。

しかし翌日の試合以降は、13打数ノーヒットに終わり打率は.100まで降下。
守備でも短期間で3失策を記録するなど、4月25日の試合を最後に二軍へ降格した。
その後は、再度一軍へ昇格することができないままシーズンを終えた。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

器用さに実力をプラスして伸びる
投手‐捕手‐内野とコンバートされた。
どこのポジションでも無難にこなす器用さを持っている。
今シーズンは、ショートの定位置を獲得する絶好のチャンス。
もう一歩伸びれば・・・と首脳陣の期待の1人でもある。
パンチ力を生かしたバッティングはチャンスに強い。