(1979年西武ファンブックより)
貴重なサウスポーの1人。
慎重な配球は失点が少なく、リリーフにぴったり。
早く1勝をあげて自信をつけて走りたい。
【1979年の高木孝治】
西武在籍:1年目(27歳)、※クラウンライターから残留、背番号45
投手成績:7試合 0勝 0敗 0セーブ、投球イニング4回、自責点2、防御率4.50
(イースタンリーグ成績)
投手成績:11試合 0勝 0敗 0セーブ、投球イニング20回1/3、自責点7、防御率3.10
打撃成績:11試合 1打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁
1972年ドラフト会議で近鉄から7位指名を受け入団。
1978年シーズン途中、野崎恒男との交換トレードで中島浩一と共にクラウンへ移籍。
球団が西武に変わった1979年は、開幕から一軍入りを果たした。
開幕から2試合目の4月9日対近鉄戦でシーズン初登板。
その後も主にワンポイントリリーフでの登板が続いたが、4月12日対阪急戦では打者5人に対し3四球を与えるなど制球に不安定なところを見せた。
5月11日までに7試合の登板機会があったものの、投球回数(4イニング)を上回る5個の与四死球と被安打(7安打)が数字で示す通り、首脳陣からの信頼を得ることができなかった。
結局、5月11日の登板を最後にシーズン終了まで再び一軍へ戻ることはできないまま、オフに西武を自由契約となった。
その後、南海に移籍し1982年まで現役を続けた。