西武ライオンズタイムマシーン(第293回):1979年 柴田保光 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
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(1979年西武ファンブックより)

ドラフト2位で入団。
オーバーハンドから投げおろす速球は申し分なし。
あとは配球とコントロールだけ。
将来ライオンズを背負う投手として期待されている。

 

【1979年の柴田保光】

西武在籍:1年目(22歳) ※新人=あけぼの通商からドラフト2位で入団、背番号41
投手成績:18試合 1勝 3敗 0セーブ 防御率4.98

 

柴田が本格的に野球を始めたのは、島原農高在学中で、当時同校には軟式野球部しかなかった。
高校卒業後に社会人野球へ進み、ようやく初めて硬球を握ったという異色の経歴であった。
それでも1978年のドラフト会議で西武から2位指名の高評価を受けて入団した。


入団1年目の1979年は、4月22日のロッテとの前期3回戦=ダブルヘッダー第2試合(川崎球場)でプロ入り初登板、初先発。
4回1/3を自責点3で敗戦投手になりデビュー戦初勝利とはならなかった。
その後5月1日対近鉄戦は先発で2回1/3自責点1で敗戦投手となり2敗目。
5月20日対近鉄戦も先発したが、試合開始早々に4失点し1死しか取れずにKOされ3敗目を喫した。
結果は出ていなかったが先発で起用され続け、6月20日対日本ハム前期13回戦(後楽園球場)で、6回4安打1失点の好投で待望のプロ初勝利をあげた。
その後も先発を任された試合があったが、勝ち星を積み重ねることはできず、その1勝のみで終わった。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

打者を恐れず思い切って投げる
オーバーハンドから投げおろす速球はチーム内でも1、2を争うほど。
「もし登板のチャンスが与えられれば、思い切って投げるだけです」と、一軍での登板チャンスもそう遠いことではない。