西武ライオンズタイムマシーン(第286回):1979年 山村勝彦 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1979年西武ファンブックより)

兄の善則よりパワーがある。
スケールの大きなバッティングが売りものだが完成まで少し時間がかかりそうだ。
将来の有望選手。

 

【1979年の山村勝彦】
西武在籍:1年目(20歳)、※クラウンライターから残留、背番号58
成績:一軍試合出場なし

 

1976年ドラフト会議でクラウンライターから6位指名を受け入団。
1974年に先立ってライオンズに入団していた兄・山村善則とともに同一球団在籍の兄弟選手となった。

入団後は1977年、1978年ともに一軍での出場が無かったが、球団が西武に変わった後もチームに残留でき、兄弟揃って所沢へ来た。
間もなくして、ドラフト外で松沼博久、雅之の兄弟が揃って西武に入団した為、同一年、同一球団に松沼、山村の二組の兄弟が在籍するという珍しい話題となった。

1979年は、兄・善則が一軍主力の1人として活躍する一方で、3年目を迎えた弟・勝彦はまたも一軍昇格を果たすことができなかった。

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:52試合 20安打、0本塁打、6打点、0盗塁、打率.263


イースタンリーグでは、52試合に出場するも大半が途中出場で、特に目立った活躍はできなかった。

翌1980年からは、練習生として西武に残留。
しかし、1980年限りで退団した。