西武ライオンズタイムマシーン(第284回):1979年 黒原祐二 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)

ドラフト4位で入団。
バランスのとれた投球フォームは、将来が楽しみ。
パワーアップすれば大型投手になる素質十分。

 

【1979年の黒原祐二】
西武在籍:1年目(19歳)、※新人=都城工からドラフト4位で入団、背番号33
成績:一軍試合出場なし

 

1978年ドラフト会議で西武から4位指名を受け入団。
入団1年目の1979年は、高卒新人という事もあり、二軍で経験を積んだ。

(イースタンリーグ成績)
投手成績:15試合 1勝 1敗 0セーブ、防御率5.00

打撃成績:15試合 1安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.167

 

イースタンリーグでは、15試合に登板。
二軍の試合といえどもプロ入り1勝をあげた。
しかし、投球回数(35回2/3)を上回る、被48安打を打たれ、防御率も5点台と完全な力不足を露呈した。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

生き生きした投球は将来性あり
いつの世も若者は恐れを知らない。
何事に対しても真っ向から立ち向かう。
黒原の場合がそうだ。
プロの打者に自分の持っている力をすべて出し尽くしての投球はけれん味がない。
投手に必要な柔軟性に富んでいるだけに、将来大いに楽しみな1人だ。