西武ライオンズタイムマシーン(第265回):1979年 西田隆広 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
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(1979年西武ファンブックより)

キビキビした動きがシーズンを通して保てるコンディションづくりを。
チャンスをものにする気迫も身につけたい。

 

【1979年の西田隆広】
西武在籍:1年目(29歳)、※クラウンライターから残留、背番号42
成績:一軍試合出場なし

 

1974年ドラフト会議で太平洋クラブからの2位指名を受けて入団。
社会人時代は補強選手として都市対抗野球に3回出場するなど入団後は早い時期から戦力として期待されていた。
しかし1年目の1975年は一軍での出場機会は無かった。
2年目の1976年シーズンの終盤にようやく一軍デビューを果たし、10月6日対南海戦でプロ入り初安打を放った。
しかし、一軍定着とはならず翌1977年も3試合の出場に終わった。
1978年には、背番号が一桁の「2番」へ変更されるなど期待もされたが、一軍での出場機会は無かった。

球団が、西武に代わった1979年は、移籍してきた山崎裕之に背番号2番を譲り、西田は42番へ変更した。
結局、この年も一軍での試合出場機会が無いままシーズンを終え、この年限りで引退した。

 

(イースタンリーグ成績)

打撃成績:48試合 20安打、1本塁打、6打点、0盗塁、打率.179

 

打撃の方は、シーズン終盤の10月4日対大洋戦で1号本塁打を放ってはいるが、年間打率は1割台とさっぱりであった。

守備では主に二塁手として32試合に出場したが、内野のポジションすべてで出場している。

他の西武内野手陣が繰り返し失策を記録する中、西田だけは168回の守備機会で1失策と断トツの安定ぶりであった。