(1979年西武ファンブックより)
キビキビした動きがシーズンを通して保てるコンディションづくりを。
チャンスをものにする気迫も身につけたい。
【1979年の西田隆広】
西武在籍:1年目(29歳)、※クラウンライターから残留、背番号42
成績:一軍試合出場なし
1974年ドラフト会議で太平洋クラブからの2位指名を受けて入団。
社会人時代は補強選手として都市対抗野球に3回出場するなど入団後は早い時期から戦力として期待されていた。
しかし1年目の1975年は一軍での出場機会は無かった。
2年目の1976年シーズンの終盤にようやく一軍デビューを果たし、10月6日対南海戦でプロ入り初安打を放った。
しかし、一軍定着とはならず翌1977年も3試合の出場に終わった。
1978年には、背番号が一桁の「2番」へ変更されるなど期待もされたが、一軍での出場機会は無かった。
球団が、西武に代わった1979年は、移籍してきた山崎裕之に背番号2番を譲り、西田は42番へ変更した。
結局、この年も一軍での試合出場機会が無いままシーズンを終え、この年限りで引退した。
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:48試合 20安打、1本塁打、6打点、0盗塁、打率.179
打撃の方は、シーズン終盤の10月4日対大洋戦で1号本塁打を放ってはいるが、年間打率は1割台とさっぱりであった。
守備では主に二塁手として32試合に出場したが、内野のポジションすべてで出場している。
他の西武内野手陣が繰り返し失策を記録する中、西田だけは168回の守備機会で1失策と断トツの安定ぶりであった。