【1986年の東尾修】
西武在籍:8年目(36歳)、背番号21
成績:31試合12勝11敗 2セーブ 防御率4.22
1986年は、開幕戦で勝利するなど序盤から勝星を重ね、7月4日には8勝目をあげた。
しかし、7月10日ロッテ戦で5回6失点、7月16日ロッテ戦で5回5失点、7月28日阪急戦1回1/3 5失点と3試合連続の乱調。
それまで抑えを任されていた郭泰源が8月から先発に戻ったことで入れ替わる形で東尾が抑えへ配置転換された。
2セーブをあげたものの9月に2試合連続で救援に失敗するなど不安定な投球が続き再度先発へ戻された。
また、6月13日の対近鉄戦(西武球場)で、6回表1死でリチャード・デービスに投じたインコースのシュートが踏み込んだ近鉄のデービスの左ひじにあたり、これに激高したデービスがマウンドの東尾に駆け寄り右ストレートを放ち、その後蹴りや4、5発のパンチを浴びせるなどの乱闘事件となった。デービスは即刻退場となった。
東尾は顔面に打撲を負い、右足を捻っただけに降板かと思われたが、本人は「これで降りたら格好悪い」と再度マウンドへ上がり続けた。
気迫の投球で123球を投げ、9安打4失点しながらも完投勝利。
5勝目をあげ黒星先行だった成績を5勝5敗のイーブンに戻した。
広島との日本シリーズは第1戦に先発。9回裏1死まで0点に抑えながらも小早川毅彦、山本浩二に連続本塁打を浴びて同点とさ降板した。
この後、西武は3連敗し広島に王手をかけられた第5戦に先発。9回を投げ1失点(自責点0)と好投したが、1-1の同点のまま降板。
後を受けた工藤公康が延長12回裏にサヨナラヒットを放ち西武が初勝利した。
日本シリーズ史上初めてとなる第8戦で東尾は3度目の先発登板をしたが、相手投手の金石昭人に2ラン本塁打を打たれて3回2失点で降板。西武はこの後逆転し日本一となる。
当時36歳の東尾はこのシリーズで0勝ながら3試合、21イニングを投げている。
第8戦の試合後、東尾は「もう握力がなくなっていた」と語っている。
この年のシーズンオフに落合博満と共に日本プロ野球史上初の年俸1億円プレーヤーとなった。
昭和61年度(1986年)タカラプロ野球カード