西武ライオンズタイムマシーン(第126回):2001年 後藤光貴 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

【2001年の後藤光貴】
西武在籍:2年目(27歳)、背番号50
35試合 3勝 2敗 0セーブ 防御率2.49

 

2001年は、主に中継ぎを中心に29試合起用され、8月後半から先発に固定され、6試合に先発。

7月27日対日本ハム19回戦(西武ドーム)で、10回表2死に6番手で救援登板し1/3回を無失点に抑え、その裏にチームがサヨナラ勝ちし、プロ初勝利をあげる。この初勝利は、日本ハム・オバンドーを1球で遊飛に打ち取り結果的に1球での勝利投手となった。
9月4日対大阪近鉄23回戦(西武ドーム)で、6回2/3を1失点と好投し先発投手として初勝利をあげる。
投球回数(83イニング)を上回る97個の三振を奪い、奪三振率は10.52を記録した。

 

ブロッコリー2001年 No.052

※直筆サインは、いずれもご本人から書いて頂いたものです。

 

後藤光貴
西武在籍期間:2000 - 2005、2006年(7年)
西武通算成績:82試合23勝14敗 0セーブ 防御率3.54

 

1999年:ドラフト会議で西武に7位指名され入団。
本来は1998年のドラフト会議で西武の指名を受けるはずだったが、ドラフトでは事前の了承を得ないと同一社会人チームからは複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、ダイエーが同じ大和銀行の水田章雄を先に指名していた為、大和銀行に対して事前の了承を得ていなかった西武は同年の後藤の指名を認められず取り消しとなった。
2000年:イースタンリーグで最多勝利投手となる。
2005年:開幕直後に河原純一との交換トレードで巨人に移籍。しかし、5試合の登板、未勝利でオフに戦力外通告を受けた。その後、金銭トレードで西武に復帰した。
2006年:シーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退した。
引退後:西武の関西地区スカウトに就任した。