西武ライオンズタイムマシーン(第59回):1981年 山崎裕之 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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★2019年5月9日(木)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1981年西武ファンブックより)
守りの要。
近代野球で最も重要視されている二塁をなんなくこなす。
今シーズンは若い石毛、大原との二遊間コンビでどんなプレーを見せてくれるか楽しみだ。
打つほうも持ち前の粘りとしぶとさに磨きをかけ、さらにうるさいバッターになった。
ベテランらしい左右に打ち分けるバッティングは見事。
常に考える野球を実践して見せるプレーぶりは若手への手本といえよう。
今シーズンも選手会長として、先頭に立ってハッスルしている。

 

【1981年の山崎裕之】
西武在籍:3年目(35歳)、背番号2
打撃成績:125試合、457打数124安打、打率.271(リーグ26位)、22本塁打、68打点、5盗塁

 

8月10日対ロッテ後期5回戦(西武球場)で、3回裏に水谷則博から二塁打を放ち、通算300二塁打を達成。

二塁手部門で2年連続3回目となるダイヤモンドグラブ賞を受賞。

2年連続10回目となるオールスターゲームに出場。

 

【当時の記事写真とコメント】

玄人好みの渋いプレーで常に若い選手を引っぱる
もし、山崎が野球の選手になっていなかったとしても、彼の人柄、性格からして、どの分野の職についても一流として活躍したに違いない。
常に全力を出し切るプレーぶりは、若年選手の手本といえよう。
かつて根本監督が「うちで本当にキャッチボールができるのは山崎くらいじゃないか」といっていたことがあった。
つまり内野手としての基本ができているか、どうかといったのだが、内野の要として根本監督の信頼度がうかがえる。
山崎とて、初めから名プレーヤーだったわけではない。
努力に努力を重ねた結果、修得した技術だ。
いまも、人一倍練習熱心なのも、自分は練習によって鍛えたんだ、という自覚があるからであろう。
バッティングでも同じことがいえる。
キャンプでは何人かが一緒になってフリーバッティングを始める。
山崎を見ていると自分が打っていない時は、他人のバッティングに熱い視線を向けている。
これだけのベテランになっても、人のバッティングを見て自分に吸収するところがあれば取り入れようというのだ。
とにかく野球にすべてを賭けた人生には頭が下がる思いがする。