西武ライオンズタイムマシーン(第24回):1979年 トニー・ミューサー Part.1 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

★2018年11月28日(水)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1979年西武ファンブックより)
大リーグ生活6年の実績と自信から打ち出す打球は鋭い。
ふところが深く、シャープな振りがパ・リーグの投手に恐怖感を与えることはまちがいない。
首位打者候補が1人ふえたといえそうだ。
打撃だけでなく広い守備範囲と強肩はスタンドの喝采を浴びよう。

 

【1979年のミューサー】
西武在籍:1年目(30歳)、※米大リーグ・ブルワーズから移籍、背番号24
成績:65試合、33安打、2本塁打、10打点、2盗塁、打率.196

 

1967年にボストン・レッドソックスと契約。
1969年にメジャーデビューを果たす。
以後、シカゴ・ホワイトソックス、ボルチモア・オリオールズ、ミルウォーキー・ブルワーズとメジャー3球団を渡り歩いた。

1979年に西武球団創設初の助っ人外国人選手としてマルーフとともに入団。
来日1年目の1979年は、4月7日対近鉄前期1回戦(日生球場)の開幕戦で、5番・左翼手として先発出場。

この試合の4回表に鈴木啓示から来日初安打を放った。
4月17日対阪急前期4回戦(西武球場)で、3回裏に白石静生から犠飛を放ち来日初打点を記録。
しかし、開幕から10試合は、30打数3安打、打率.100、0本塁打、2打点と全く奮わずにいた。

 

ところが一転、4月19日から5月3日までの13試合は全試合で安打を放ち、48打数17安打、打率.354と一気に調子を上げた。
4月24日対南海戦では、1打点をあげ西武ライオンズ球団創設後の記念すべき初勝利に貢献。
5月3日対近鉄前期5回戦(平和台球場)で、6回裏に山口哲治からソロを放ち来日初本塁打も放った。

 

これでようやく本領発揮かと思われたが、5月5日から5月23日の間、打席に立った11試合で計24打数ノーヒットと一気に急ブレーキ。
かと思えば今度は5月24日から6月1日までの7試合は全試合で安打を放ち、この間27打数9安打と復調。

しかし6月2日から6月16日までは、10打数ノーヒットと逆戻り。

好不調の波があまりにも激しく、次第に先発での出場は減り、代打や守備だけの途中出場も経験した。
そして6月23日から7月19日まで再び14打数ノーヒット。

前期の最終戦であった7月19日対日本ハム戦(代打で三振)を最後に解雇され帰国した。


【1979年当時の野球カード】

TCMA1979年 No.4

 

TCMA1979年 No.4(裏面)

(米国製ベースボールカード)

恐らく西武時代のカードとしては唯一の1枚かと思います。

こういうカードは価格とは違った付加価値を感じます。

 

「1979年 トニー・ミューサー Part.2」へつづきます。