西武ライオンズタイムマシーン(第18回):1984年 江夏豊 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

【1984年の江夏豊】

西武在籍:1年目、背番号18
成績:20試合 1勝 2敗 8セーブ 防御率3.65

 

1983年オフに日本ハム・柴田保光・木村広との2対1のトレードで西武へ移籍。

5月3日対日本ハム6回戦(西武球場)で、8回表1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点に抑え史上初の全球団からセーブをあげる。
しかし、開幕から調子が上がらず、7月には腎臓を患い入院。7月12日の登板を最後に二軍落ち。
二軍落ちしたのはプロ18年目で初めてのことであった。

更に優勝争いから脱落し将来を見据えての若手中心の選手起用を行う球団の方針もあり、結果的に一軍での登板は7月12日が最後となる。

最後の勇姿は、9月10日の西武第二球場で行われた2軍練習でのシート打撃での登板だった。

同年限りで西武を退団、現役引退を表明する。
広岡監督とも折り合いがつかず西武退団の直接的な原因は、同監督との確執であったとされる。

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード大図鑑(第54回):1984年 江夏豊

 

昭和59年度(1984年)タカラプロ野球カード

 

カルビー1984年 No.78

 

※直筆サインは東京ドームでの解説のお仕事の後にご本人から書いていただきました。

正直、西武時代のカードへのサインは断られるかと思い緊張しましたが、依頼の際は「鞄を持っていてくれるかな?」と予想外の返しだったので、そのまま鞄をお預かりし、その間に書いてくださり、気さくに対応をして頂きました。

 

1984年わんぱくプロ野球カード

 

1984年 球団発行ポストカード

西武へ移籍し阪神時代に「黄金バッテリー」と称された田淵幸一とのコンビ復活か?と期待されたが田淵は既に捕手としての出場はしておらず、バッテリーは実現しませんでした。

また、阪神時代に両者が不仲とされていただけに、その真相が事実だったとすれば非常に貴重なツーショット写真だと思います。

 

江夏豊

西武在籍期間:1984年(1年)
西武通算成績:20試合 1勝 2敗 8セーブ 防御率3.65

 

1966年、この年の第1次ドラフト会議において4球団から1位指名を受けての競合抽選の結果、指名権を獲得した阪神へ入団した。

1976年南海へ移籍。

1977年オフに広島へ移籍。

1980年オフに日本ハムへ移籍。

1983年オフに西武へ移籍。
1984年限りで西武を退団、現役引退を表明する。
1985年36歳でミルウォーキー・ブルワーズの春季キャンプに参加しメジャーに挑戦するも実現とはならなかった。