西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算358枚目】
カルビー1985年 No.366(表面)
カルビー1985年 No.366(裏面)
秋山幸二カルビー初登場はこのカードでした!!
■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)8月29日(木)
【高山やったぜ 初先発、初完封、初勝利】
○西武11-0南海●
西武にまたニュースター飛び出した。
それもプロ入り初先発で2安打完封の離れ業。
秋田商で甲子園に三度出場、三年春にはベスト8までいったあの高山郁夫だ。
「自分でも信じられない。三日前に『東尾さんの肩がおかしいから行くかもしれない』と言われて…。代役でここまでやれるなんてデキすぎ。次のピッチャーにうまくつなげればいいとだけ思ってましたから」と高山。
宮田投手コーチもひそかに高山の好投を期待していたというが、さすがに2安打完封は嬉しい誤算だったようだ。
社会人時代のプリンスホテル二年目に右足骨折の手術をした時は「野球を辞めようか」と秋田に帰ったこともある高山。
昨年は練習生。
今季もこれまで7試合10イニングで防御率9.00の敗戦処理役だった。
「野球をやっていてホントによかった。まだ右足の筋力は弱いし、スピードも高校時代のまでは戻らない。でも今日はスライダーとカーブのコントロールが良かった。」
松沼雅、郭、東尾…。15勝以上を期待できる三本柱がいなくなったと思ったら、4年目の工藤が、わずか四日前には5年目の小野がプロ入り初完封した。
そして、今度はルーキーの高山が続いた。
三本柱不在でも、こんな投手がまだまだいる西武は強い!
(西武球場:観衆2万5千人)
【写真】西武の苦しい投手陣にまたも救世主。
プロ入り初先発で南海を2安打、完封した高山
昭和60年(1985年)8月30日(金)付 報知新聞より一部抜粋
■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)8月2日(金)
【工藤2勝 毎回の12奪三振】
○西武5-2日本ハム●
快記録達成につきもののプレッシャーなど、自分の辞書にはありません、といわんばかり工藤のピッチングだ。
最終回、先頭の島田誠を得意のカーブで仕留め、毎回奪三振を簡単にやってのけた。
続く高代も三振で料理して、今季パ最多の12個。
180球を投げる力投で三振ショーを締めくくった。
「ホントですか。知らなかった。三振は多いなと、思ってたけど…。リードのおかげですよ」と工藤は同期の伊東を持ち上げた。
1、2回こそ制球がままならず、ピンチを作ったが「リリーフで投げているつもりでいったら」相手は三振の山を築き上げていたというわけだ。
無欲の投球を強調したレフティーも、名古屋電気高校のエースとして出場した五年前の甲子園・北陽戦では、延長11回で21三振を奪っている。
高校時代は三振奪取王だったが、プロ入り後は期待度の割には伸び悩んでいた。
今年も自主トレで左肩を痛め最悪のスタートだったが、郭の戦線離脱などもあって先発ローテーション入り。
完投で2勝目をあげて見事に穴をカバーしている。
郭のために作ったスピードガン表示がこの日始まったが、その「代役」工藤がスピード表示の数字よりも打者との対決にファンの目を引き寄せた。
これで14イニング連続奪三振を継続中。
江夏、木田ら先輩サウスポーの持つ23イニング連続に今度は挑戦だ。
(西武球場:観衆3万人)
【写真】毎回の12三振を奪って、完投勝ちした西武・工藤。180球を投げる力投だった。
昭和60年(1985年)8月3日(土)付 報知新聞より一部抜粋
■40年前の今日×西武ライオンズニュース■
1985年(昭和60年)7月8日(月)
【夢か!!郭出たぞ『日本最高』だ156キロ】
●西武4-5日本ハム○
ついに『日本最高』夢の156キロが出た。
1回高代への3球目と2回津末への1球目に計測した。
郭は昨年のロス五輪で158キロを出して『オリエンタル超特急』と話題に。
来日してからは153キロが自己最高記録だった。
日本では昭和54年頃からスピードガンが登場すると各マスコミが話題にするようになった。
当初は中日・小松辰雄152キロ(54年5月10日)や巨人・江川卓151キロ(54年8月26日)らの速球派が脚光を浴び始め、昨年6月20日に巨人・槇原寛己が計測した155キロが日本最速記録だった。
郭の156キロ最高スピードを体感した日本ハム・高代は「確かに速かった。でも、ボール一つ外角へ外れていたよ。だが、球審は速さにつられてストライクと言ったのじゃないのかな」と苦笑いで語った。
郭はこの試合で156キロの快速球を披露した一方で制球力を欠いていた。
1点リードで迎えた6回裏は四球で一塁、二塁へ走者をためた直後に田村に左越え逆転3ランを浴びた。
この一発が致命的となりチームも敗れた。
郭自身来日初の3連敗とあって、不機嫌そのもの。
日本最速を記録したことを問われた際も「156キロですか。暖かくなって、スピードが更に出るようにボク自身も願っています。それはいつ頃だって?分からないね」と味も素っ気ない。
郭自身はスピード記録よりも14試合で14本も浴びている本塁打が悔やまれるのか「コントロールミスね。まだ勉強することがたくさんある」と反省も忘れていない。
日本よりも暑い台湾で過ぎしてきた郭だからこそ、本人が語ったように暑さが増すごとに球速スピードもまだまだ上がる可能性は十分ある。
郭のスピード狂騒曲のボルテージも一層盛り上がること間違い無いだろう。
(後楽園球場:観衆1万8千人)
【写真】ついに出た!!郭は日本記録の156キロを記録する力投を見せた
昭和60年(1985年)7月9日(火)付 報知新聞より一部抜粋