はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

■40年前の今日×西武ライオンズニュース■

1985年(昭和60年)9月19日(木)

【レオ幻の初回6点も2回降雨ノーゲーム】

 

秋田遠征シリーズ第2戦は西武打線が初回から大爆発。

先頭の石毛の28打席ぶりの安打となる25号先頭打者プレーボール本塁打であっさり先制。

さらにこの回は大田の8号2ラン、代打・広橋の2号2ランなど打者10人7安打の猛攻で6点先取。

だが、2回裏ロッテの攻撃中に雨が強くなり試合は中断し、30分後に中止が決定。

降雨ノーゲームとなった。

 

初回から味方の大量援護を受けた先発・松沼博は「しめしめ、これで14勝目」ともくろんでいたそうだが、その願いはかなわなかった。

27打席無安打中の大不振にあえぐ石毛は1打席目に先頭打者アーチを放ち一度は大喜びをしたが、結局ぬか喜びになってしまった。

同じようにホームランを損した大田、広橋もプリプリしていたそうだ。

「1勝」を損した?にもかかわらず選手たちとは対照的だったのが首脳陣だ。

天気ばかりは…。とあっさりしていたが、それも2位近鉄に13.5ゲーム差を付け独走状態にある「余裕」なのだろう。

広岡監督「中止にはなったが、ヒットを打ったことで石毛も田尾も調子を戻すきっかけになるのでは」

黒江作戦コーチも石毛の幻の25号、田尾の右前安打に触れ「日本シリーズに向けて打線上昇のきっかっけがつかめた」と語った。

首脳陣の口から名前があがった石毛、田尾は現在打撃不振にあえいでいる。

先ごろ「MVPは石毛だ」と広岡監督が発言したように、石毛は一番打者として打線を引っ張っている。

石毛の打撃成績がチームの浮沈に大きく影響している。

黒江コーチも「阪神に対抗するためには石毛の復調が必至」とすでに日本シリーズを見据えている。

また、田尾昨年まで中日に在籍し、阪神投手陣の攻め方を身をもって体験している。

田尾は三番打者として打ちまくれば得点力が増すことは間違いない。

安打記録は取消になったが、打のキーマンとして名前のあがった二人にとって今日放った1本が復調に繋がる可能性は十分だ。

チームは20日に帰京し13時から西武球場で日本シリーズに向けたチームプレーと走塁を中心とした練習を行う予定だ。

目標はあくまで日本一奪還だ。
(秋田八橋球場:観衆1万5千人)

 


【写真】1回石毛が中越に先頭打者アーチ。28打席ぶりのヒットとあって大喜びだったが、雨のためノーゲームとなりお流れ。

 

昭和60年(1985年)9月20日(金)付 報知新聞より一部抜粋

■40年前の今日×西武ライオンズニュース■

1985年(昭和60年)9月7日(土)

【やった 田尾 延長10回 サヨナラV打】

 

○西武5X-4阪急●

9回二死二塁で中前へサヨナラ打を放った田尾は、両手を上げて高校生のようなガッツポーズ、ナインの手荒い祝福を受けた。

田尾「3回の落球(記録は安打)でチームにも高橋直さんにも迷惑をかけたでしょう。あの場面は気合が入りましたよ」と、白い歯をみせっぱなし。
迷惑をかけたのは、この夜の落球ばかりではない。
夏場になって打率が2割5分台に急降下、スタメンを外されるほどの不振にあえいでいた。

猛打賞は7月18日の近鉄戦以来。
田尾「ようやく晴れ間が見えてきた感じ。これから調子は上向くと思うよ」と復調宣言だ。

打の主役・田尾が31歳8ヶ月、投の主役が高橋直が40歳6ヶ月。

二人合わせて72歳2ヶ月の「おじんパワー」で西武はマジックを一つ減らし、19とした。
(西武球場:観衆1万8千人)

 


【写真】投打のヒーロー、高橋(左)と田尾。ベテランのがんばりで西武はサヨナラ勝ち。

 

昭和60年(1985年)9月8日(日)付 報知新聞より一部抜粋

■40年前の今日×西武ライオンズニュース■

1985年(昭和60年)8月29日(木)

【高山やったぜ 初先発、初完封、初勝利】

 

○西武11-0南海●

西武にまたニュースター飛び出した。

それもプロ入り初先発で2安打完封の離れ業。

秋田商で甲子園に三度出場、三年春にはベスト8までいったあの高山郁夫だ。

「自分でも信じられない。三日前に『東尾さんの肩がおかしいから行くかもしれない』と言われて…。代役でここまでやれるなんてデキすぎ。次のピッチャーにうまくつなげればいいとだけ思ってましたから」と高山。

宮田投手コーチもひそかに高山の好投を期待していたというが、さすがに2安打完封は嬉しい誤算だったようだ。

 

社会人時代のプリンスホテル二年目に右足骨折の手術をした時は「野球を辞めようか」と秋田に帰ったこともある高山。

昨年は練習生。

今季もこれまで7試合10イニングで防御率9.00の敗戦処理役だった。

「野球をやっていてホントによかった。まだ右足の筋力は弱いし、スピードも高校時代のまでは戻らない。でも今日はスライダーとカーブのコントロールが良かった。」

 

松沼雅、郭、東尾…。15勝以上を期待できる三本柱がいなくなったと思ったら、4年目の工藤が、わずか四日前には5年目の小野がプロ入り初完封した。

そして、今度はルーキーの高山が続いた。

三本柱不在でも、こんな投手がまだまだいる西武は強い!

(西武球場:観衆2万5千人)

 

【写真】西武の苦しい投手陣にまたも救世主。

プロ入り初先発で南海を2安打、完封した高山

 

昭和60年(1985年)8月30日(金)付 報知新聞より一部抜粋

■40年前の今日×西武ライオンズニュース■

1985年(昭和60年)8月2日(金)

【工藤2勝 毎回の12奪三振】

 

○西武5-2日本ハム●

快記録達成につきもののプレッシャーなど、自分の辞書にはありません、といわんばかり工藤のピッチングだ。

最終回、先頭の島田誠を得意のカーブで仕留め、毎回奪三振を簡単にやってのけた。

続く高代も三振で料理して、今季パ最多の12個。

180球を投げる力投で三振ショーを締めくくった。

「ホントですか。知らなかった。三振は多いなと、思ってたけど…。リードのおかげですよ」と工藤は同期の伊東を持ち上げた。

1、2回こそ制球がままならず、ピンチを作ったが「リリーフで投げているつもりでいったら」相手は三振の山を築き上げていたというわけだ。

無欲の投球を強調したレフティーも、名古屋電気高校のエースとして出場した五年前の甲子園・北陽戦では、延長11回で21三振を奪っている。

高校時代は三振奪取王だったが、プロ入り後は期待度の割には伸び悩んでいた。

今年も自主トレで左肩を痛め最悪のスタートだったが、郭の戦線離脱などもあって先発ローテーション入り。

完投で2勝目をあげて見事に穴をカバーしている。

郭のために作ったスピードガン表示がこの日始まったが、その「代役」工藤がスピード表示の数字よりも打者との対決にファンの目を引き寄せた。

これで14イニング連続奪三振を継続中。

江夏、木田ら先輩サウスポーの持つ23イニング連続に今度は挑戦だ。

(西武球場:観衆3万人)

 

【写真】毎回の12三振を奪って、完投勝ちした西武・工藤。180球を投げる力投だった。

 

昭和60年(1985年)8月3日(土)付 報知新聞より一部抜粋