はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

2026年も「はっきりいってライオンズびいきでした」ブログをよろしくお願いします。

 

さて、今年は森祇晶監督指揮のもと第2次西武黄金期の幕開けから40年という節目の年になります。

森監督時代(1986年~1994年)は、ライオンズの歴史上でもっとも輝いていた時代と言えるでしょう。

私自身も一番夢中になった時代です。

年末年始の休み中に当時の記事を引っぱり出してきましたので、順次振り返っていきたいと思います。

 

1986年(昭和61年)

西武ライオンズのチームスローガンは

「飛躍」
 

リードオフマン石毛宏典は、1986年MVPを獲得する活躍を見せます。

 

1986年、秋山幸二は41本塁打、115打点と球界を代表するスラッガーに成長。

注目の新人清原和博は高卒新人最多本塁打記録を塗り替えるなど、打率304、本塁打31本の大活躍で、文句なしの新人王を獲得。

AK砲が誕生した年でもあります。

 

やっぱりこの頃の西武ライオンズは強いし華があってカッコ良過ぎます!!

今年最後の投稿として「私にとっての2025年ライオンズ」を書こうかと思いましたが、正直、強く印象に残る出来事は多くありませんでした。

 

思い浮かぶのは、西武グループの「昭和100年事業」として行われた「ライオンズ75周年シリーズ」くらいでしょうか。

限定ユニフォームの着用やOBイベント、各種コラボや記念グッズなど、球団営業部の盛り上げは十分に感じられました。

ただ、グラウンド内から球団史に残るような話題が生まれなかった点は残念です。


オフの補強は久々に球団の本気も見え「強いライオンズ」の復活へ向けて第一歩を踏み出したと前向きに捉えることもできます。

歴史的低迷だった2024年を底と考えれば・・・。

あとは上を目指すだけです。


【私にとって2025年の一大野球ニュース】
 

長嶋茂雄氏の逝去です。
2025年は「昭和100年」にあたる年でした。
昭和プロ野球の象徴である「ミスタープロ野球・長嶋茂雄」が、奇しくもこの年に世を去るとは――。
まるで「昭和」という時代に区切りをつけるかのような、象徴的なニュースだったと感じます。

 

ルーキー・清原和博に熱い視線を送る長嶋茂雄(1986年春季キャンプ)

 


取材で西武球場を訪れた長嶋茂雄が、話題の大物新人・清原和博と笑顔で記念撮影(1986年)

 

【私と長嶋茂雄】

今から25年ほど前のことになりますが、長嶋さんにファンレターをお送りしたことがありました。
その手紙にはカードを同封し、「よろしければサインを書いていただけませんか」とお願いの言葉を添え、返信用の封筒も一緒に入れていました。

すると後日、本当に長嶋さんご本人がサインを書いてくださったカードが、返信用封筒に入って戻ってきたのです。

返信封筒が届き、サインカードが同封されていたのを見た瞬間の驚きと嬉しさは、今でもはっきりと覚えています。

その時の思い出とサインカードは大事な宝物です。

 

↓↓いただいた直筆サイン入りのカード↓↓

 

 

 

 

送ったカード5枚すべてにサインを書いて返信して下さいました。

 

返信用封筒裏面

長嶋さんのご自宅住所が記された判子が押されていました。

※掲載写真は、住所の一部をマスキングしています。

 

私は普通にご自宅住所を書き送りましたが、「田園調布・長嶋茂雄 様」宛てで手紙を出しても、きちんと長嶋さんのご自宅に届く――そんなエピソードは、当時ファンの間ではよく知られていました。

 

さて、西武ライオンズに話を戻すと2026年は、清原和博が西武ライオンズに入団し、森西武黄金時代の幕開けからも40年という、大きな節目の年になります。

本ブログでは、そんな1986年の出来事を中心に振り返りながら、更新を続けていきたいと思います。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

40年前1985年(昭和60年)のライオンズ関連ニュース

「文化放送ライオンズナイター」が日本で初の大リーグ方式で放送

 

以下、1985年当時の番組紹介記事より

 

今年で4年目を迎える「文化放送ライオンズナイター」は、放送時間を昨年の1時間30分から3時間30分(午後6時~9時30分)と一気に拡大。しかも、毎週月曜日から金曜日の5日間は、西武を中心としたパ・リーグのカードを独占放送することを決定した。

 

だが、これだけなら何も驚くことはない。

文化放送が日本で初めて、「大リーグ流の思い入れ放送」を行うという。

つまり、いままでの公正中立な立場からの放送を、アナウンサーのおしゃべりから、企画まで、すべてライオンズ一辺倒にするというものだ。

「ハッキリいって、ライオンズびいきです。」が、今年の「文化放送ライオンズナイター」のキャッチフレーズだ。

 「秋山打った、これは大きいぞ!さすがロングヒッターだ!!期待にこたえてくれての大リーグ級のホームラン!!!」

「郭、投げました、超速球が外角低めに決まって、8個目の三振!さすがに速い!!相手打者は手も足も出ません!!!」といった、西武サイドに立った放送が流れてくるわけだ。

 

アメリカの大リーグでは、地元のマスコミが本拠地一辺倒の放送をするのはあたり前になっているが、日本では初めての試みだけに大いに注目されている。

ライオンズファンにとってはうれしい知らせだ。

また、雨で中止の場合は、ライオンズナインが登場して楽しいおしゃべりをする企画を考慮中だという。

アナウンサーは戸谷真人氏をメーンに中田秀作、坂信一郎、菅野詩郎の4氏が担当、またライオンズOBの森昌彦、山崎裕之氏に加えて、豊田泰光、関本四十四氏らの解説陣も期待できる。

今年の文化放送は、いまから大いに楽しみだ。

 

1985年当時の広告
 
【私の思い出】
私が文化放送ライオンズナイターを聴き始めたのが翌年1986年から。
ですが、当時の私はまだ実家で暮らしていた時代で関東地域ではありません。
すなわち文化放送が聴取できる地域ではありませんでした。
 
それまでは、巨人戦のテレビ中継がメイン。
野球が好きだったので巨人の試合も観ていましたが、時々流れる「各地の途中経過」で西武の試合経過を確認する事が本当の目的でありました。
そして、20時50分頃になると…。
「一部の地域は、20時54分で野球中継を終了します」的なアナウンスが流れると、私が住んでいた地域は80年代はまだ一部の地域に該当していて、21時前には巨人戦の中継も終了していました。
となると、21時のNHKニュースのスポーツコーナーまでの空白の時間を埋める術は、ラジオでの野球中継でした。
ラジオも巨人主催もしくは中日主催試合の中継がほとんどでした。
ある日のこと、地元のラジオ局が放送していた野球中継も21時には終わっていたのですが、それでも諦めずラジオの周波数を合わせるダイヤルを少しずつゆっくりゆっくり回していると雑音の中、遠くで中国語やら英語といった外国語番組などと戦いながらかすかに野球中継が聴こえたのです。
雑音:野球中継=8:2くらいの状況下でラジオに耳を付けて野球中継を聴き分けていると何と!西武ライオンズの試合だったのです!
これが私と文化放送ライオンズナイターとの最初の出会いでした。
その後間もなくして文化放送ライオンズナイターという番組だと知ることになるのですが、まだ小学生だった私は「文化放送」という放送局が存在していたことすら知りませんでした。
その日を境に夕方からラジオの周波数を文化放送に合わせ、ラジオにかじりつくのが日常になりました。
ラジオのスピーカー部分に耳を付けて聞いていると雑音が多く難聴になると母親から注意されたので、今度はラジオの音量を大きくして野球中継を何とか聞き分けようとしていると雑音の方がバカでかいのでうるさいと父親に怒られ…。いつしか家の奥の部屋で聴いていましたね。
次第に少しでもラジオを聴取しやすい場所、ラジオを向ける方角や角度、気候によっても左右されることも知り、知恵がついてきた私、ついにその数年後、高校生になっていた私は通常のラジオ音の7割程度のレベルで聴取できる場所を見つけたのです。
それは、家の前の道路脇にあった電信柱の下でした。
悩みは、実際試合が行われていても私の住んでいる地域が雨天だとこの作戦は不可能で、雨天時は電波が届き難いのか家の中だとほぼ聴こえない状況になるのです。
夏、夜は涼しかったですが蚊との戦いでもありました。
こんな事も。夜に家の前で私がずっと座り込んでいるからご近所さんにも家を追い出されたか?と不審がられた事もあったと思います。
そうそう、終盤に西武が逆転されるとよく電信柱を思いっ切り蹴って発散していたな~。
1980年代私の実家の地域でテレビでの西武戦中継はペナントレース中はNHKで土日祝でたまにあるくらい。
でも平日はテレビ中継ほぼ無し。だから文化放送ライオンズナイターを重宝し、雑音のラジオ中継を聴きながら西武の試合を聴き分ける、そんな日常が約8年間続きましたけどとても幸せでしたよ。
 
あれから40年信じられないくらい便利な時代になりました。
その間に、球場へ行かなくなりましたし、ラジオで野球中継を聴くこともほぼ無くなりました。
ネット中心に身近になり過ぎると「価値観」を感じないと言うか麻痺してしまったと表現するべきか…。
だから、最近は記憶に残らない試合や出来事ばかりになってしまいました。
そして、残るのはいつも昔の思い出ばかり…。
そうそう文化放送でよく耳にしたスジャータのCMとかは、私にとってはライオンズナイターとセットで懐かしい思い出なのです。
記憶を辿っていたら、まだまだ書けそうですが今回はこれくらいにしておきます。

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算366枚目】

カルビー1985年 No.456(表面)

 

カルビー1985年 No.456(裏面)

 

「おめでとう1500奪三振」

タイトル獲得選手を表彰する金枠仕様のカードです。

金枠仕様のカードは、シーズン終了後の短い流通期間だった為、発行枚数も他のブロックよりも少ないと推測されます。

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算365枚目】

カルビー1985年 No.447(表面)

 

カルビー1985年 No.447(裏面)

 

「おめでとう最多勝利打点」

タイトル獲得選手を表彰する金枠仕様のカードです。

金枠仕様のカードは、シーズン終了後の短い流通期間だった為、発行枚数も他のブロックよりも少ないと推測されます。

秋山選手は人気もあった為、1985年に発行された西武ライオンズ選手のカルビーカードの中では最も入手難易度が高い1枚です。