外国映画が好きだった父。

 

小さい頃家族で一緒に観たテレビで放映された映画。

 

ずっと記憶に残っています。

 

 

 

 



イケベユキコです。

 

 

 

 


きっと40数年前に見たその映画は

事あるごとに思い出していました。





「観たいな。なんというタイトルなんだろう。」






ときおりその想いが急に蘇っては

タイトルがわからないという理由で

そのまま放置していました。

 

 



 

タイトルが何だったか思い出せない。

5年に一度ぐらいのペースで

「あの映画…」と思い出しては

そのままにして。






最近はネットで検索すれば

すぐにわかるはずなのに不思議なことに

ヒットするものが出ないのです。

 

 

 



 

テレビが家に一台しかない時代に

家族みんなで観たその映画は

怖くてハラハラドキドキで。






何がどうなってるのかわからない。

怒りと絶望。

最後に希望となんだかとてつもないものを見た。

という感覚でした。

 

 

 


 

しかし。

子どもの頃であまりに昔なのもあり

映画の詳細が全然覚えてないし、わかってない。泣

 

 

 


 

ある意味詳細がわからないのに

何十年と余韻を引く映画って…すごいです。

この数年はその映画を思い出すことが多くて。

 

 

 

 


その度に検索してはみるものの

内容は覚えてなくて映画のシーンだけなので

検索ワードもこのぐらい。

「崖。列車。落下。サスペンス。映画。」

 

 

 

 


これでもうわかられた方、おられますか?

 

 

 


 

先日母にふとその映画の話をしたんですね。

もちろん母は覚えてないのですが

 

 


 


話をしていたら急に

覚えてなかった内容の一部が

口からもれ出たんです。文字通り、言葉がもれでる。

口にしたらもっと思い出されてきて。

ビックリしました。

 

 

 

 

 


その言葉は「国家の陰謀」。

これで検索してみようかなと思い立ち

やってみたら一発でした。

1976年の作品「カサンドラ・クロス」。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画の醍醐味をギュッと詰め込んだ名作です。

コロナ下で類似しているのではと

話題になっていたようです。

 

 


 

権力の魔性。列車の乗客たち。

臭いものにふたをするや長い物には巻かれろとか。

意志を持たない役人。

死と向き合わされ、むき出しになる生への執着。

そして人命を助けようとする尊い愛も。

 

 


 

人間のもつ多様なエネルギーの向き。

それを群像劇にして凝縮して表現している映画。

40数年前の子どもの頃のわたしが

最後感じたのは

 

 

 


 

絶望の後の「希望」です。

映画のラスト。その余韻。

ぜひご覧ください。

 

 

 

 


 

言葉にするって大事ですね。

頭の中で考えているだけでは動かないことが

口にしただけで、

するすると動き、ほどけるという。

 

 

 

 



口にする(言葉にする)威力を感じました。

体験した。が近いかな。

 

 

 


 

ほんとにずっと

思い出したかったことだったんです。嬉しい。

なぜかというと亡き父との貴重な想い出として

その映画とみんなでテレビの前にいたシーンが

私の脳裏に刻まれているからです。

 

 

 



 

思い出せないのと40数年という時間が

「あれは夢か?」と疑うくらいでしたから。(笑)

 

 

 


 

言葉にする(言う・書く)と

物質化するための反応がすぐに起こり始めるのを

実感しました。

 

 

 

 



それは、カサンドラクロスの話をしている時から

スローモーションのような感覚が続いたからです。

これはうまく言えないんですが

何かが起こる時スローモーションになるというか。

 

 

 


 

ずっとずっと気にしていた映画のタイトル。

どうしても思い出せなかった内容。

それが口にしてから30分以内に内容を思い出し

タイトルまでたどり着き、完了するなんて。

 

 

 

 

 

今まではふと思ったら、そのまま考えてるだけ。

せめて言葉にしてたら良かったと

やっと思いました。みなさまも言葉にして

自分の想いを、スルッとこの世に出しましょう。

すぐ叶う。

 

 

 

 


 

寒くなってきました。

落ち葉が掃除しても掃除しても

すぐいっぱいになります。






大変ですが落ち葉を触り、ガサガサする音を聞き

水分の抜けた落ち葉を感じると風情を感じてるんです、いつもの秋より。

 

 

 



 

紅葉の写真を見るだけでも反応はしますが

頭の想像をこえることはないので

実際に見て触って聞いての落ち葉は、

いつもの秋よりなんというか…






生きる感覚がぶつかってくる、

そんな感じがするのです。

 

 

 

 



落ち葉が毎日驚くほどたまるのと

掃除の手間と大変さ。

落ち葉と掃除のワンセット。

 

 

 

 

 

掃除の大変さも

「この掃除ができるという事は…」と考えたら

難なく掃除できる体力があるということ。

掃除をしたことで自分は健康なんだと気づく機会になってる。

 

 

 

 

これだけで驚くほど

満たされた感覚になれます。

気づいてないコトに気づける。

 

 

 

 

 

たとえば、こんな捉え方だとどうでしょう。

落ち葉を

「掃除しなければ」という受けとりだけで終わり

 

 

 

掃除自体は

手が汚れる、寒いし、もう大変。

なんで落ち葉がこんなに落ちてくるんだ。

時間もないのに…仕事も増えて…私ばっかり大変…

 

 

 

 

 

 

 

 


 

どちらが読んでて

気持ちいいでしょう?




この少年はどんなことを受けとるのでしょう。

ブルーな気分になるどころか

落ち葉も掃除のお手伝いも

キャハキャハ言ってそうですね。

 

 

 

 



自分が気持ちのいい方が

ホントに自分が求めてること。

 

 

 


 

自分を気持ちよくさせたいなら

気持ちよくないことを知ることは必要です。

 

 


 

気分良くないなら

それをやめることは大事です。

 

 


 

気持ちよくないのにやめれないのは

自分を我慢、抑圧すると

決めてしているということ。

自分でそうしているということ。

 

 

 

 

大事な人には、我慢させ続けませんよね。

つまり自分のことを

軽んじてるからできるということ。

大谷翔平くんには我慢なんてさせません!

大谷くんが、わかっていることだからです。

 

 

 

 


潜在意識は感情で

そのことについての反応を「知らせてくるけど」

それは自分のことを知り

「ホントに自分が求める」ことが

わかる材料でしかない。

 

 

 



だから感情に飲み込まれず

手放せない感情は

「ホントの自分が求める」ことがわかるので

ただの材料として使い、自分の中から

気持ちを出したいポイントです。

 

 

 

 


秋の深まりにぴったりなテーマ。

と書いたら今日から12月ですね!

 

 

 



がんばるぞ。

ありがとうございます。

 

 

 

 

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