講座のことをブログに書いたら

楽しみにしてますと連絡をもらって嬉しいです。

9月はこの肉体に記憶されたパターンが刺激され

かなり古い記憶など一気に浮上してきます。

もう浮かんできてますかー?

 

 

 

 


 

もれなく私もそんな流れです!

いつもならそんなに反応しないだろうことに

反応してます。

それもいっぱい。キタキター笑






もうその記憶パターンで

自分を守ろうとしてきたけど(無自覚です)

受け容れて新しいパターンにします。

 

 

 

 


そんな昔のことを握りしめてるんだなと思いつつ

許せない!とか、許さない!と思っていたこと。

それらも一気に急に浮上中。






ここは逃げないと決めて。

そのギュンとした感じを感じても良しをしていくと

今まで私は思考で抑圧し

感じないようにしてきていたことに気づきました。

 

 

 

 

 

気づきたくないと避け、

記憶の底へ沈めていたことは、

私が一番してはいけないというか、

思ってはいけないとしてきたことでした。

 

 

 

 

 

 

それは、恨み。

恨みになる前に、蓋をする。

なかったことにすることに全力を注ぐ。

そんな黒い気持ちはいけない。

そう思ってきましたし、そうしてきました。

 

 


 

 

なんだかんだと理屈や精神論を並べては

その顔を出した感情を

恨みになる前に感情をなだめたり

そう思うことを禁止したりしてました。

 

 

 

 

 

「お世話になった人だし」

「良くしてもらったことあるし」

自分が感じていることより、

そんな一般論的なことを大事にして。

感じている自分を抑圧してきました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の思いより

精神論や一般論を大事にしている。






そもそも感情や反応はコントロールできないのに

それを自分が悪いのか、

なにか悪いことをしたのか?など

自分を悪者にしたりして。ここまできたらエゴ劇場






そうやって解決しようとしたり

感じないようにしたり。

完全に逆効果ですけど

その時はわからなかったんですね。

 

 

 


 


感じることを避けたり、ジャッジすることは

実はとても不自然なこと。

暑いわぁーと思ったら

暑いとか思ったらおかしいよ。と言ってる感じ。

なんでやねん、ただ暑いねんって感じじゃないですか笑





 



感情を感じないようにしても

必ず浮上してきます。

その時感じきらなかった感情は、

重いものになります。






重さは自分が感じるはずです。

1番重く沈んでいるのは、

自分史上究極のタブーになっているもの、それです。

 

 

 

 

 


感情も記憶も

自分だけのものでは在りません。

永らく受け継がれてきた肉体を守るための叡智。

それらが自動反応しているだけなので

感じないようにして身を守ったり

記憶の彼方に追いやらなくてもいいのです。






そもそも自分のじゃないし。

 

 

 

 

 


感じることを歪ませると

恨みになります。

 

 

 


今回浮上してきたギュンとする感情は

イケナイことにしていた気づきと

そのままを赦し、良しとしたら一気に軽さが出ました。ここから私はどうありたいか、どうしたいかを

選びます。どうなるのか楽しみ。





 

書きながら感じること。

自分のものではないけれど

確かにこの肉体は感じている。その奇跡。

今まて感じたことのない余裕が

講座の中で育っていくと思います。

 

 

 


 

そうなってやっと

すべてのことが図られごとであったと

大きな愛に降参できるのかなと。

 

 

 

 

次回講座募集します。

タイミング的にもバッチリかな。

 

 

 

ありがとうございます