本日は、赤坂区民センターにて「赤坂能」がありまぁす!
http://www.kissport.or.jp/event_detail.php?eventid=00000583
それも、辰巳満次郎様



なので本日もまり子のシュミにより、辰巳満次郎様

再び辰巳美也子様

今回は、第6弾「歌舞伎『黒塚』誕生秘話」です。
どうぞ、お読み下さいませ。
これは、福岡在住で「七宝会」同人の、石黒孝さんから伺ったお話です。
私も母から聞いて存じてはおりましたが、より詳しく知りました。

石黒孝さんのお父上は、金沢で大きな薬種商を営まれ、金沢商工会議所会頭をも勤められた有名な実業家でした。
初代市川猿之助(後の猿翁)丈を贔屓にされ、丈も度々石黒家を訪問されました。
父辰巳孝一郎も、酒造業華やかなりし時には丈を後援し、親しく交際をしておりました。
進取の気性に富んでいた沢瀉屋(猿之助)は、能の「黒塚」を歌舞伎に仕立てたい、何方か教えて下さる方はないだろうかと石黒氏に相談をしたのですが、当時は
いやしくも能楽師たるもの役者に教えるとは何事ぞ
それは破門の道だ
という風潮があったようです。
そこで考えられたのが「お能拝見」だったのです。
門外不出のチームが組まれました。
佐野舞台(今の石川県立楽堂)を使い、
シテ佐野吉之助、地謡辰巳孝一郎、佐野安彦他…。
そしてまだ小学生だった石黒孝さんが後見に借り出されたことから察しても、いかに他言無用だったかがわかります。
見所は猿之助丈ただ一人。
それが三日間続きました。
このお能拝見を参考にして、
あの名芝居「黒塚」が誕生したのでした。
謂わば「金沢発宝生流」の『黒塚』でございますね。
これは嬉しい秘話でした。

ところで、私にもこのお能には、忘れられない思い出がございますのよ。

子供の頃、大阪能楽殿は私の庭のようなものでした。
会ともなると朝一番から脇正面に陣取り、拝見しておりました。
或る時「黒塚」が演じられました。
おシテがどなただったかは今では思い出せませんが、一生懸命に拝見しているうちに、やがて中入りの間狂言になり、あの「エッヘン…」が始まりました。
(名人茂山久治「後の弥五郎」先生だったような気がします)
あまりの面白さに、大きな声で笑った拍子に、私に巨大なテンシキが発生

(テンシキをご存知の無い方は落語のお好きな方にお聞きくださいませ)
周囲の耳目を集める中、私は咄嗟に、横にいた次兄清に
いやらしいな~お兄ちゃん!
と大声で叫び、跳んで外へ逃げました。清一人を置いて…

あとでボコボコにされたのは、お察しの通りです。
今では着物など着てすましておりますが、小さい時には悪知恵の働く、そうとうな持て余しもんでした。
あぁら、恥ずかしやのぅ、恥ずかしやのぅ…

お後がよろしいようで…

いかがでしたか?
猿之助の「黒塚」がいっそう身近に感じたのは、まり子だけでないはず…。
それから、まり子、テンシキって初めて知りました~

ほんじゃ、まり子もお出掛けせねば…!
テンシキに注意して、黒塚の間狂言も楽しんでまいりますが、
辰巳満次郎様


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