第四回「満次郎の会」まで、あと16日! 「能にみる日本人の文化」その7 二番目は「男(なん)」 | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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みなさま、こんにちは。西 久美子です。

第四回「満次郎の会」まで、あと16日
楽しみでなりません!
皆さま、辰巳満次郎先生をもっともっと応援いたしましょう!

それでは、辰巳満次郎先生のメルマガ・アーカイブ第7弾、どうぞ、お楽しみください。


二番目に相応しい曲柄として「男」となったのには、陽が高く昇っていく時間帯に合わせ、勇ましい合戦物が主体である「男」物としたという訳です。

「男」物の代表的な曲柄には、「修羅物」と呼ばれるジャンルがあります。
「修羅物」とは、すなわち修羅の地獄(修羅道)に落ちた者の曲という意味です。

戦をした罪により修羅道に堕ちると、闘っては傷つき倒れ、息吹き返しては闘うという、未来永劫闘い殺し合う、悲惨な地獄です。
源平の合戦の登場人物を取り上げた題材がほとんどです。

その中でも
 「勝修羅(かちしゅら)」「負修羅(まけしゅら)」
という分け方をし、

勝修羅には
 「八島(屋島)」 … シテ:源義経
 「箙(えびら)」 … シテ:梶原景季
 「田村」     … シテ:坂上田村麿


負修羅には
 「清経」     … シテ:平清経
 「経正(経政)」 … シテ:平経正
 「敦盛」     … シテ:平敦盛


などがあります。

もうおわかりと思いますが、勝修羅は主人公が勝ち戦であり、負修羅は負け戦という単純な分け方です。

戦で人を傷つけ、同じ修羅の地獄に堕ち、苦しむ身として何故勝ち負けのジャンルに分けるか…。

愛好家やスポンサーに武家が多かった事もあり、「戦」そのものを宗教的に全否定はせず、勝修羅を勝ち戦として目出度い曲と扱い、負修羅を負け戦に至った戒めとしたのです。

勝ち修羅では「忠」や「義」と言った武士として無くしてはならないものにスポットをあて、負け修羅では忠義よりも戦の虚しさ、悲惨さを強調しています。

重要なのは、戦というものを必ずしも良しとはしていない事。
そして、多少の脚色はあっても、いずれも歴史を語っている事。
だからこそ戦の悲惨さ虚しさを、武家の前でも堂々と表現できたのかもしれません。

曲の終わり部分(キリと言います)では、「罪障懺悔(ざいしょうさんげ)」と言って、自分の犯した罪、即ち合戦の様子を見せて弔いを受けるので、勇ましい終曲となります。
演じる我々としては、あくまでも強く、勇ましく演じることによって、修羅物の持つ様々な意味を表現できると思います。

次回は、「女(にょ)」です。

辰巳満次郎



kumiko

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