1月17日は、阪神淡路大震災の日、でした。
もう16年も経ったなんて、何だか信じられない気持ちです。
実際に現地の惨状を目の当たりにした訳ではないので、被災し、大切な家族や友人を失った方々がどれほど心に深い傷を負ったのか…。
想像するにあまりあるものがございます。
あの日、出勤前の6時台の首都圏の朝のニュースでは、関西で大地震が起こった程度の情報しかなく、映し出された画面にも、煙は数本あれど火の手はまだ殆ど無く、あれほどの被害があったとは思いませんでした。
しかし、お昼休みの食堂のTVに映し出された画面には、あちこちで燃え盛る大きな炎があがり、続報が次々入る度に、被害の大きさに震撼しました。
まり子のお勤めしてる会社は、東京と大阪それぞれに本社と持つ、2本社制を採る会社。
だから同じ業務を司る部署は東京と大阪の両方にスタッフがおります。
だから、その日の大阪本社では、その日出社していないメンバーの安否を必死になって確認していました。
まり子のいた部署で安否の確認がなかなか取れなかったのは3人…。
そのウチひとりは、下宿先が全壊に近い半壊!
危うく下敷きになるところを助かった彼氏は、すかさず大阪市内に引っ越し先を素早く決めて、いち早く仕事に復帰しました。
次の彼女はそろそろ起きようかな、と布団でぐずぐずしていた時に揺れがきたそうです。
彼女いわく、
「オーブントースターって、空を飛ぶのよ!」
キッチンはガラスが割れて破片がカーペットに散らばり、スリッパでも危険なので、しばらく靴を履いていたそう…。
いつものようにそこに居たら彼女はそのガラスを浴びて大怪我してたはず…。
「トイレは…?」
と聞きかけたまり子に彼女は、
「聞かん方がええよ」
と何も教えてくれませんでした。
最後の彼氏は、揺れが来た時、とにかくまだ小さかった長男のボクを抱きかかえてベランダに待避、寒さに震えながら夜明けを待ったそうです。
夜が明けて目の前に広がった光景は、高速道路から落ちてきた瓦礫でペチャンコに潰れた新車…。
ボクは呆然としてそうです。
さて、その彼の一家はいち早く徒歩で神戸を脱出、まずは広島の奥様の実家に身を寄せました。
まり子の同僚でもこれだけの被害に遭っています。
無事だっただけでも幸運でした…。
このレクイエムプロジェクトによるコンサート、辰巳満次郎様による能舞「光明」は、きっと参加された方々の癒しになったに違いありません。
(観たかったなぁ~)
詳しいレポートは石黒実都師がブログにお書きくださってます。
非常に素晴らしいレポートですよ♪
喉元過ぎればイロイロ忘れがちですが、天災を人災にしない為にも、阪神淡路大震災のことは忘れてはなりません。
