年も押し詰まりましたが…、やっと「海人」の感想など | 能楽師 辰巳満次郎様 ファンブログ

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こちらは、不休で普及に励む宝生流グレート能楽師の辰巳満次郎先生♥に「惚れてまったやないかぁ~!」なファン達が、辰巳満次郎先生♥と能楽の魅力をお伝えしたいな~、と休み休み、熱い思いをぶつけるブログです。

まり子です。

いよいよ本物?のカウントダウン、激動の寅年もまもなく終わります。
来年は「卯年」、皆様にとっての躍動の年になりますように…。
では、また~煜???

にはしなくてぇ、やっとこ、満次郎の会での昼と夜の「海人」の、
まり子の感想のご報告をしようと思います。

一日に二回の「海人」、それも「懐中ノ舞」を観た訳ですが、
同じ演目といってもそれぞれが微妙に違っておりまして、
厳密に言えば全く同じではございませんでした。

舞台はナマモノ…、いえいえ生き物、まさに一期一会の「懐中ノ舞」でございました。

さて、どう微妙に違っていたのでしょうか・・・。
まずは、まる子が勝手にベストドレッサー賞に認定した装束についてですが、
まり子の記憶によれば、以下のようでありました。
(面は多分、昼夜とも同じものだと思いました。)

$能楽師 辰巳満次郎ファンブログ-昼夜比較

というオシャレなもの。
前シテで言えば、昼の部ではまだ夕暮時の明るさが残る空に白く薄く浮かぶ月の頃の姿、
夜の部では太陽が完全に沈んで暗くなってから煌々と照る月に浮かぶ姿、
そんな印象を受けました。

後シテは、昼の部は「龍」強調型、夜の部は「女」強調型、の印象。

今しみじみ思い出してみると、昼はオーソドックス、夜がちょとアバンギャルド、
といえましょうか?
舞台や謡も、どちらかといえば夜の部の方が、テンポ早めに思えました。

「玉ノ段」は、珠を取りに行くところから立って舞う形です。
確かにまり子も、一番最初に何も知識がないときに、この床几での動きの少ない
「玉ノ段」にがっかりしたのは事実でございます。

しかし、まる子も書いていたように、「玉ノ段」はそれ自体、舞がなくても
歌詞だけでも感動するぐらいドラマティックなパートです。最初からガンガン
舞うよりも、海人がまず語りだすこちらの形式のほうが、お芝居として自然
なのでは、と思いました。

最初は乞われるままに語っていた海人も、恐怖と弱気を乗り越え、自らを
奮い立たせるように志度寺の観音菩薩に祈りを捧げながら足拍子を踏んだ
ところで感極まり、思わず立ち上がって舞う(珠を取り返す所作をする)
こちらの形式の方が、より自然なんじゃないのかなぁ、と…。

宝生流の小書きって、派手にオモシロクなる、というよりは、逆に地味?に重く
(位が高く)なるものが多く、その分、あちらこちらに細かい仕掛けがしてあって、
よりドラマが深まる演出になってる気がします。
(宝生流贔屓のまり子の主張!)

それがハッキリするのがまさにお経の巻物をフトコロに入れて舞う
「懐中ノ舞」の後シテ!

バンシキ調の高音の笛に乗って法悦の舞を舞う後シテですが、この早舞が終わると、
小書きナシの場合は大小前で正面を向いてキリの謡にかかるのですが、
「懐中ノ舞」の場合、舞台中央で停まって、ハッキリと子方に向き直って、

 今この経の 徳用にて

と謡い、地謡がそれを引き取ると、成仏かなった母はわが子のそばに進み、
懐中の経を渡します。

たったこれだけの違いなんですが、わが子による手篤い法要で成仏できた
海人の歓びがこみ上げてくるようで、胸に迫るものがあり、まり子は昼夜共に
この場面で涙がこぼれました。

もちろんWヘッダーでおシテをなさった、辰巳満次郎様の集中力と熱演あってこそ
の感動ですが、より深く「海人」を堪能できた「懐中ノ舞」だったと今更ながら
思うのです。

大成功チョキ


まり子キスマーク