時は1996年、3月
短大生になる頃から1人暮らしを開始。
1人部屋も持ってなかったので、気分はウキウキではありましたが、、
部屋を探して決めたのも、
家具を(ほぼ実家のもの)準備し配置してくれたのも、
車(母が乗っていたもの)も、
親。
ぜんぶ、親がしてくれた。
お皿とかも、鍋とかも、ぜんぶ。
もちろん、家賃も、生活費も、学費も。
親になって思う。
私には、とうてい無理‥💧
親は偉大であったとともに、
過保護過ぎだとも思う。
私も過保護な方ではあるけど
この経済力は全くない。
それはさておき‥
楽しみにしてたはずの1人暮らし。
見事にホームシックにかかった。
母と電話すると涙が出るのを
必死に堪えて
電話を切ると
1人泣きまくっていた😭
なんかよくわからんけど
めっちゃ不安だったんだろうね。
いっそのこと、ほとんど自分で用意したり
多少お金に困ったり
ドタバタしてた方が寂しさとか無かったんだろうよ。
母は、カレーやら色々作って
冷凍庫に入れてまでくれていた。
日に日に減ってゆく母のご飯が
また寂しさを増幅させてた。
救いは、高校の友人達だった。
私の短大の頃の1人暮らしは
私が地元を離れたのではなく、
このタイミングで私以外の家族が隣の県に引越したので
馴染みの友人がしょっちゅう
遊びに来てくれていた。
(そのうち1人が、2020年にガンで亡くなってしまったのですが‥)
お互い免許取り立てだった頃で、
近所のショッピングモールで
駐車場に停める練習とかやったり
車があるので、夜遅くまで
沢山おしゃべりしてた。
本当に心の支えになってくれたなぁ。
はじめはストレスでずっと喉のあたりが詰まった感じが続いて、
(自律神経の乱れらしい‥)
ご飯もあんまり入らなくて
太めの体型だったけど
いい感じに痩せる事ができた
母が私にエサを与え過ぎてただけだった。
あと、ブラジャーのワイヤーが痛くて
苦しくて、これもストレスなのかと思いつつ
ワイヤーのとこにずっとハンカチ当てて過ごしてたけど、、
今思えば、他の服と一緒に普通に洗濯してたから
ワイヤーが歪んで痛かっただけだったのね。
ブラジャーは手洗い、オシャレ着洗いで洗濯する。これも1人暮らしで覚えた。
コンビニおにぎりを部屋に一日中放置して
それ食べて食あたりになった事もあった。
あれは、辛かった‥
食べてるときには匂いとか違和感とか感じないのね、、
コンビニおにぎりは、保存条件と消費期限がある事を覚えた。(笑)
半年くらい経つと、友人からバイト紹介してもらって、忙しい日々が続いた。
一緒のテナントではないけど
同じショッピングモールでのバイトだったので、
とても心強かった。
ただ、短大終わってから閉店までと、
土日も朝から晩までのバイトで、
今思えばすごいハードな日々だったなぁ。
バイト先のおいちゃんから
休みの日何してんのって聞かれて
ここ(バイト)です!って言われて笑った記憶ある。
それでも夜に友人とおしゃべりしていたのを覚えてる。
ところで、親が選んでくれたアパートですが、
間取りは広めだったものの、
一階で、隣がすぐ川(小さめの)で、
湿気と虫がとにかく凄くて、
帰る度、部屋の中に蜘蛛🕷がいる状態でした。
益虫だから見逃すとか
そんなレベルではなく。
小さいやつならまだいいよ。
手🖐くらいでっかいやつ出てきた時は流石に発狂した。
タランチュラかと思った。
玄関の外にもウジャウジャ居て、
殺虫剤振り撒いたら
4〜5匹が
すぅーーーって糸引いて降りてきて
🕷🕷🕷🕷🕷
しばらく部屋に入れなかった事がある。。
蜘蛛に怯えながら部屋出入りしてたよ。
短大卒業とともに、引越しさせてもらいました
1人暮らしに限らず、日当たり、湿気の有無を調べるのは大事であると覚えました。
日当たり悪かったのでトイレットペーパーがいつも湿ってました‥
日当たり、大事。
こうやって、人は経験に経験を重ねて
成長していくのですね。
過保護も、ほどほど、だね。