こんばんは。

 
当ブログにお越しいただきありがとうございます。

 
ナカヤ カズヒロと申します。

 
現在、大阪と奈良にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。

 
どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

今日は、自分に優しくすれば周りにも優しくなるについてお話いたします。

 

 

 

よく自分に優しくすれば周りにも優しくなるとか、自分との関係がそのまま周りに反映されるとか、自分を扱うように周りもあなたを扱うとか言いますよね。

 

仁義礼智信の五常で言いますと、主に仁が関係しています。

仁は「ヒトシ」とも読みますので、人と同じという意味もあります。

 

 

じゃあ、その同じ人は誰?って考えますと、世界中の人のうち、1番同じと考えられる人間っていうのは”自分”ですよね。

ですから、”自分と同じ”つまり、自分と等しく他人も扱う。
自分に優しくするのと同じように、他人にも優しくする。

 

つまりこれが思いやりという形ですよね。

 

 

仁は、自分と同じと考え、そう感じられるほど近しい人から順に思いやりを広げていくっていうスタイルで成功していきます。
 

 

タオイストの1番有名な人に、老子さんっていう方がいるのですが、岩波文庫で「老子」という本があるのでお勧めです。

 

 

「老子」の中の一説に、人の社会は”仁”が最初にあったと言われておりまして、人々の間では仁が1番大切にされていました。

 

この老子が言う”仁”というのは、思いやりのことですよね。

 

 

その次に、”義”ができたって言われてます。

仁の次に義ができて、思いやって優しく許すことよりも約束を守ることが大事にされるようになりました。


つまり、約束を守れない人はダメな人扱いされるようになったわけですよね。

 

老子はさらに、「今では”礼”が一番もてはやされていて、ちょっとした言動で人の足を引っ張ろうとする時代になってしまった、ああ、嘆かわしい」と、言って終えます。

 

文を超訳で説明しましたけれども、仁から義の時代、義の時代から礼の時代になっていく一説があるんですね。

 

 

 

これを老子がまとめたのは紀元前6世紀ですから、キリストが生まれる500年ぐらい前に言ってるわけですよね。

 

 

今から2500年ぐらい前ですよ。

中国の歴史で言うと、春秋戦国時代といって、NHKで長いことやっているアニメのキングダムの時代、ちょうどあれが春秋戦国時代の終わりかけの時代ですね。

 

 

つまりサバイバル時代ですよね。そのサバイバルの時代に、”礼”が持てはやされてる今の世の中の苦しさと非常によく似てますよね。

 

 

礼がもてはやす立ち居振る舞いが、ちょっと間違ったらもう大炎上ですよね。時代が何千年も過ぎていても、なんとなく似ているというのが面白いですよね。

 

 

科学から何から、信じられないぐらいすべての学問が発達している今、現代っていうのは、もちろん最高ですよね。

 

人類史上最高やと思いますけれども、2500年前と人の心と、ほぼほぼ変わりなくて、もちろん、モラルとか常識とかの基準っていうのが変わっているとは思うのですが、そういう当たり前感が多少変わっただけっていうことですよね。心の本質や仕組みは変わりないままです。

 

 

 

モラルや常識は、今の外国と日本を見比べても、全然違っていたりしますから、あまり文明の発達基準としては、当てにならない所があります。

ほとんどの現代人が、昔の時代と今を比べてちょっとおごり高ぶっている感じがあります。

 

今はすごい!スマホとか便利すぎ!ありえない!みたいな感じで。

 

確かにすごい時代なんですけれども、おごってばかりじゃ生き残っていけないですね。

 

 

ちょうど、2500年前のサバイバル時代と今との共通項として、生き残りをかけてっていうところが老子の目線から色々と見えてくるわけなんですよね。

今の方がチャンスも昔よりたくさんありますよね。

このインターネットで、本当にいろんな情報を手に入れられます。

 

ただ、どんな人もそういうチャンスに恵まれているっていうことは、同時に、競争もめちゃくちゃ激しいですよね。

まさにサバイバルですよね。
 

 

大昔のサバイバル時代に生き残る方法として書かれた本が「老子」なのですね。これは本当に、明日をも知れぬ命みたいな、命がけの時代やったと思います。

ですので、本には、今の自分自身を超えるヒントという、限界突破する方法的なものも、ちらほら見れますし、生き残るための方法とか、お金持ちになる方法とかも、読み込んでいけば、あっ!て気づいたりするんですよね。

 

 

薄い本で64章しかないのですが、いろんなことが書かれています。

その老子の中で生き残る基本の心は”仁”やっていう風に言われてるんですよね。

”仁”が最初っていう風に考えられてるわけで、タオについて書かれているんですけれども、タオというのは、例えば清く正しく生きる者たちの見本でもあると。

それと同時に泥棒の隠れがでもあると。

これ愛ですよね。すごく大らかな愛ですよね。

愛が生き残るヒントやっていうわけですよね。

 

 

 

まずは自分自身に愛を持つというのが”仁”です。
分かりやすく言うと、自分も頭数に入れておくっていうことですね。自分を頭数に入れとかんと、もうそれは仁とは言えないわけです。

例えば、おばあちゃんがお土産に高校生の孫に乳ボーロを買ってきて、

「あんた食べや!昔から好きやったやろ?自分はええから!いらんから!」

っていうのは、これは自己犠牲やっていうことになるんですね。

高校生になれば乳ボーロも好物ではなく断る訳で、そうするとおばあちゃんはとても悲しみます。

 

 

この思いやりには仁がなく、義のスタイルなのですね。このスタイルは、バランスの欠けている行き過ぎた思いやりになりやすい心なんですね。

 

自己犠牲の精神からくる思いやりは、本当にやりすぎ、行き過ぎで、心もバランスを失いやすく、崩しやすいです。

 

 

なぜかというと、自分という基準がないんですよ。

 

自分を頭数に入れていないので、どうしてもやりすぎちゃったり、あるいは冷たすぎるとか、そういう逆のこともあります。

 

ですので、”仁”という考えをベースにすると、シェアするっていう言葉がありますね

 

シェアっていう考えは、自分自身を頭数にも入れていますし、他人にも愛がありますので、私としてはとても好ましいスタイルやなと思いますよね。

その仁、活かしてるって感じですよね。


 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、今日は、自分に優しくすれば周りにも優しくなるについてお話しさせていただきました。

 

 
「老子」の本からも、仁の極意といいますか、どうあることが、私たちの幸せに通じるのかということを読み解けますので、まだお読みになられていない方には、是非読んでいただきたい一冊ですね。
 
 
 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

また明日お会いしましょう。