こんばんは。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
ナカヤ カズヒロと申します。
現在、大阪と奈良にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。
どうぞよろしくお願いします。
今日は、被害者意識や罪悪感に秘められたものについてお話いたします。
被害者意識や罪悪感の後ろに隠れている”恐れ”の底に、何があるのかが分かれば、分かるだけでもさらに余分なエネルギー使わなくて済みますので、さらに前に進むエネルギーを受け取ることができます。
そうすると、本当の自分とか、ありのままの自分とか、自己肯定感の塊りみたいなものとグって繋がれますので、赦しがわーっと起きるんですよね。
自分を許すことで、これからの自分の可能性もダイレクトに感じられるようになります。
「あ、なんか、世界は俺のもの」みたいな、そんな感じになったりすることもありますし、あるいは、改めて新しく目標設定しようと、絶対こうなるって決めるとか、やる気と
か元気みたいなものを充電し直してくれるエネルギーのように、エネルギーが供給される感じですよね。
そういうものとも繋がれると、表現する振る舞いとか、表現力や行動力も一新されたりしますよね。
だから、この被害者意識と罪悪感が隠しているお宝っていうものは、実はすごいんですね。
あまりにもその恩恵が大きいから、にわかには信じられないかもしれませんけれども、信じられなくても大丈夫です。
例え信じられなくても、罪悪感と被害者意識の底にある感情を見つけて、本当の自分と繋がることができれば、しっかりと恩恵を与えられますので大丈夫です。
心のことは五常って言うのですが、心を整えるために向き合う必要があるっていうのが、この二大ボスの罪悪感と被害者意識のあいつとあいつなんですよね。
被害者意識と罪悪感っていうのは、自分の目を曇らせて呪(しゅ)にかけるわけですよ。
だから被害者意識と罪悪感っていうのを完全に抹殺してしまうことは、悟るとか神に近づくとか解脱するとか完全な仙人になるとか、そういう、ちょっと不思議な世界の住人になってしまうので、人間でいようとしてしまう時に出やすくなりますよね。
私個人の考えでは、そこまでしなくても、超能力とか直感力とか、大きな調和の中にいるだけで、夢とか願望を達成することは、十分人間の状態でも思っていたよりも簡単に手に入ると思っております。
ですから、人間を残したままでいいんちゃうかと、その方が人間の部分がある限り、冒険とか学びがたくさんありますので、愛とか調和の中に居たり居なかったりの差だけでも、十二分に幸せを感じながら生きていけるんじゃないかという風に考えております。
今の状態やと人間を超えるのは少しだけでも十分楽しくて好ましいですよ。
ただまぁ知らないうちに、かなり自由な身分になっていたとか、気付けばずいぶん人間離れした所に立っていたとかもありますので、それはそれで楽しいのが一番です。
どんなジャンルもそうなのですが、自己評価が低いまま実はすでに自由になっていたとか、願望実現アルアルです。
かなり深い場所まで行っているのに、それに気づかないでまだ昔の自分を引きずって、常識にとらわれて生命エネルギーを無駄遣いしていた、などもあります。そういう状態をセッションなどで思い出してもらうことも結構あります。
もし、チェックしたい場合は、まずは自分がすでに手にしているものを数え直してみてください。
大抵の場合、自由になっていたとしても、自分との繋がり具合は以前とほとんど変わりがないですし、突然メチャメチャ幸せになっちまった!というわけでもありません。
判断基準でいいますと、自由度合いはお金儲けの数字が一番変化が分かりやすいかも知れません。
そう説明しますと、あぁなるほど自分との繋がり方は以前とあまり変わりがないなと、納得して頂ける願望達成の経験者も多くなるかと思います。
自分との繋がりでは、どんどん夢を叶えてしまいますと、自分ではそれ以前と変わりがないままなのですが、他者への影響力が自分で思っている以上に拡大されてしまいます。これは注意点として覚えておかれると良いでしょう。
あと、世界と他人はほぼ変わらないままです。足を引っ張る人は相変わらず足を引っ張り続けます。まるで役割のように、そういう立場でい続けます。
ただ、パートナーとか身内とかは変わりやすいです。
仙人の世界観なんかで言いますと、登る山が違うっていう風に言うんですけれども、頑張りたい人はもう頑張る山っていうのがあって、修行好きな人は修行ばっかりする山があって、自分の好む山に登ればいいという風に、方法は1つだけじゃないですよっていうことなんですね。
しかも、仙人の世界観で言うと、頂上まで行くこともないって考えてるんですね。
山の中腹で、ちょっと宴会開いて楽しんでお酒飲んで、最後まで上まで登らんと降りて帰ろかみたいなそういう感じなんですよね。
人生も宴のように、どのような険しい道の中でも、楽しめたならそれでいいという風に、楽しむことを忘れないという世界観を持ってさえいれば、どのような山を選ぼうが、山を登り切ろうが登り切らなかろうが、結果すらも囚われないということなのだろうと思います。
ということで、今日は、被害者意識や罪悪感に秘められたものについてお話しさせていただきました。
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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
また明日お会いしましょう。