こんばんは。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
ナカヤ カズヒロと申します。
現在、大阪と奈良にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。
どうぞよろしくお願いします。
今日は、勝ち組、負け組に囚われない世界を生きるということについてお話いたします。
勝ち組とか負け組とかいう言葉が昔ありましたけれど、今もあるかもしれないですけども、そういう言葉っていうのは、命がけで生きることを経験しない人が作ったのかもしれないなとかも想像したりもしましたよね。
命のこと考えますと、勝ち組とか負け組とか、
そんなものどうでもよろしいっていう風になりますよね。
もし誰かとか他と比べて苦しいなら、それは今の自分には必要のないことっていうのが往々にしてあります。
勝つとか負けるとかっていうのは、本当に余計なことで、
本当にどうでもいいことなんですよね。
なんなら生きてるだけで丸儲け状態ですね。
ベースですでに勝っている状態っていうことですよね。
それが本来の姿でもありますし、タオ的にも、勝ちとか負けという概念すらも存在していない状態が自然なんですよね。
そうそう勝負で言うと、食事の後に今日のご飯も美味しかった、うまかった牛負けたぐらいの勝ち負けがちょうどいいと思っております(笑)
ちょっと古いダジャレが出ました(苦笑)
我々生きてる間、人間っていうのはやっぱり時代とか自流に乗っていますので、
悪あがきをせずとも、勝ち負けに拘らずとも、
そのうちにタイミングがぴったりの時がやってくるんですね。
で、その時に、
あ、待っててよかったな
ってなります。
実は「負けた人が手にしている得」があります。
それは何か?
負けた人は「変わらなくて良い」ことに加えて、勝った人が「自分を背負ってくれる」のですね。
勝つというのは、そういうことですし、負けることも同じです。
背負って歩くか、背負われて歩くか。勝ち負けで人と比べる関係なら、負けた方が楽なのです。
以上の理由から、勝ち負けにこだわらないことや、好きな自分で生きることをオススメしているのですね。
「負けるが勝ち」とはまさにこれです。
ということで、今日は、勝ち組、負け組に囚われない世界を生きるということについてお話しさせていただきました。
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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
また明日お会いしましょう。