お知らせしておりました、地蔵尊印佛供Vol.34予定の通り開白し、本日結願となります。今回も多数、それもまだ告知してない段階で 来月の3/11東日本大震災犠牲者供養の分まで、送って頂いた方もおられ 感心と感謝しております。
少しずつでも この世で迷い苦しむ御霊が減少する事が、今生きている人類にとっての現世安穏につながります。ぜひ、より多くの方に参加していただければと強く願っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、「運が良くなりますように」という意味での祈願文に 開運 という祈願文がございます。類義語では 「道開き」等もございますね。
どちらもニュアンスとしては他力本願寄りですかね。
自らの歩むべき道 その道をひらくという場合、ひらくに充てる漢字は 【開く】 と 【拓く】 が該当します。調べてみましたら 意味合いとしては 【開くは未来形】 【拓くは 現在進行形】 と大雑把ですが解釈されます。
着実に今現在を一歩ずつ着実に生きるのであれば 現在進行形の 拓くの方がイメージには合うように思いますが・・・語呂が良いように縮めてみますと、拓運 ん~運拓? 開道 道拓?なんとも馴染まない感じですね・・・まぁ、よしとしましょう(笑)
他力に依存し過ぎに注意するポイント。
運 というものがあるのなら それは自分で開くべきものであるようです。
よく 運を引き寄せる 引き寄せの〇〇等と聞く機会があります。人によっては、勝手に開かれる時・場合もありますが、ほとんどは自分がしたい事、方向を定め心を決定(この場合:けつじょうと読みます)する事で、背後の守護の方をはじめ、ご神仏または天地の理が働き始める。その意味するところは、そうでなければ自分の人生とは言えなくなるからでしょう。
自分を客観的に観照出来る方はまだしも、自信過剰な方に多いのが、視野が狭くなり過ぎ、意識していない分野での素晴らしい能力を見逃している事に気づかないケースがよくあります。
自分で自分を見るには 映し出す鏡というものがなければ 自分で自分は直接見えません、それも左右が反転して見えている姿を真実だと思うからか、思いの外 客観性の精度かかなり落ちるようです。
特にその事を感じるのは 本人にお気に入りの写真を選んでもらう時です。
たいてい 10人いれば8割が この写真が良いと選び出すものを なぜか本人は選ばないことが多い・・・なんとも不思議でむしろ奇妙にさえ思います。
おそらく 他人から見えている良い所が 本人にとってはコンプレックスであったり、自信が無かったりするからではないかと考えます。
運や道を開くにしても拓かれるにしましても 大切なのは 自分自身の決定、揺らがず心を定める事。 この一本の柱を立てる事が重要です。
柱の位置を間違えたり 最初の打ち込みが曲がってしまうと その先も真っすぐにならず安定しなくなります。
この判断を神仏に願うというのはありです。
正しいまともな神仏であれば 「ああしろ こうしろ」とは指図いたしませんが、
合っていれば必ず 相応の導きがございます。また間違っていれば、修正されるように自然と手を差し伸べられているようでもあります。
祈願する段階での注意点
あまり 自分の欲望のまま ガチガチに願いの範囲を狭めるよりも 少し遊びを残していた方が良い結果となりやすいように思われます。
私たちの見える範囲を超えた 過去現在未来を見据えた上での導きとなるからです。 具体的にお話しするならば、
①「辞めて欲しい人が辞めますように」と願うよりも、「この職場の人間関係が良好で良い職場となりますように」の方が結果的には 辞めるケースになったり、配置転換があったり、改心したりということになる事が多いのです。
②「固定した誰々さんと良縁になりますように」よりは「私にも相手にも良縁であり、共に幸せになれる縁に恵まれますように」的な願い方の方が、長い目で見ると良い結果につながりやすいと思われます。
以上、運が開かれるのも 拓くのも自分自身が心を定め それに見合う努力と行動がある時 神仏の不可思議なお働きが加味されるという事を 頭の片隅にでも置かれて下さい。