まずは 当月予定の、 氏神祭、弘法大師生誕(新月)護摩供 無事に終了いたしました。 24日地蔵尊印佛供Vol.48 、30日の増益(満月)護摩供 は、まだ受付しておりますので、ご縁のある方の参加お待ちしてます。
ご不明な点がございましたらお尋ねください。
さて、調伏についてのまとめになります。
調伏の意味を履き違えてる方が多く、そのほとんどが都合の良い、我慾達成 いわゆる呪う行為でしかないのが現状です。
傍から観ていても 呪う方も呪われる方も それなりの因果があるのでしょうが、
これらの行為は 輪廻をまたぐ悪業となります。
調伏法には、年齢制限(四十歳以上等)をわざわざしている法もあるくらい、
ある程度以上の徳、霊位、人生経験や魂の成熟度がなければ かえって寿命を縮め、
または人生が破綻してしまうというお話は枚挙にいとまがありません。
たいてい調伏するという行為は、生霊、死霊問わず 悪意の強いとモノと対峙することになりますので、話してすぐ分かるというのはほとんどありません。
死霊であれば成仏浄霊するまでの道のりは、各々ですが漕ぎ着ければ
そこで終了となります。
調伏法が、現在寺院の祈祷の主流でないのは、反動やリスクが大きいからだと考えています。特に生霊が対象の場合、喧嘩する、戦うということですので、
対象相手は生命のある限り チャンスがあれば仕返ししようとする者も多く、
実際に魂をすり減らしてまでも応戦して参ります。
その反動は、祈願主、そして取り次ぐ行者にも被さってきます。
故に平安時代からのことわざ 「人を呪わば穴二つ」 が現在まであるのは、
事実として肌で感じ取ってきたからでしょう。
呪うと調伏は、本来の目的や意義は全く違いますが、悪にとっては どちらにしても敵対することが多いようです。
こちらとしては、出来ることなら穏便に解決したいところではあります。
始末に置けないのは、調伏しないといけないような魂の持ち主は、悪業を重ねている者が多く、付随した邪気邪念までも こちらに襲ってくる事もございます。
他人の場合はまだしも、身内に超性格の悪いや悪業を重ねた人がいますと、
死後も 結局は身内に降りかかったり、後始末をしなければならなくなるような事態もあるくらいです。
業が深いと当人も死後 スムーズに成仏できなかったり、苦しむことになります。
さらに それが廻って子孫に迷惑がかかるというのもあり、それら含めて自業だというのが 仏教でいうところの宿業というものでしょうか。
お話が右往左往しましたが、相手の不幸を呪うような行為は、罪作りとなります。
正義をもって悪者を調伏する行為でさえ 同じようにリスクはあります。
相手の正しい改心、未来世における幸せを願い、そのリスクを請け負うくらいの気概をもって対応するのであれば、それは善となります。
ただし、一般の方の調伏、まして呪う行為は、かなり危険ですので、控えられて下さい。
気づかぬうちに 祈りが呪いにならないように留意いたしましょう。
