同じように神様に祈願しても、すぐに叶う人もいれば 叶わない人もいます。
叶わない人の中には 「叶わないのは神様のせいだ」 もしくは 「神様なんていない、神様がいれば不幸などないはずだ。」と言われる方が時折いらっしゃいます。
そう感じるのは自由であり、仕方ない部分もありますが、そこで完結してしまっているのは惜しい事だと思います。
むしろ、叶わない原因に目を向けなければなりません。
ただし これは自分の足りていない部分に目を向けることでもありますし、
気づいていない、自覚できていない事が含まれますので 難しいことなのかもしれません。
例えば、商売があまり上手くいっていない個人事業主が、商売繁盛を願い お稲荷様にお参りしたり、御祈祷して頂く事はよくあります。
神仏に救いを求めるという点では、病気平癒の祈願でも良いのですが、まずはそのきっかけとして ご自身の苦悩からの脱出を神仏に願うことから始まるケースがほとんどでしょう。
しかし、現状がマイナスからの脱却を目指している段階で 即プラスを求めているという方は注意が必要です。
神仏信仰のスタートとしては一般的ですが、いわゆるご利益信仰であり
ビキナーズラックがあったとしても そのまま欲深く もっともっとというように、強欲なってしまうところに 魔が入るケースを多く見て参りました。
- なぜ 現状 商売が上手くいかないのか?
- 私は この病になぜ罹患したのか?
- なぜ こんな酷い仕打ちに合ったのか?
- それらは避けられない運命なのか? 等々
個々には、社会情勢によるもの、遺伝によるもの、偶々 体験した事、誰もが一度は経験すること等 一概に判別は出来ないことが多いと思います。
いづれにせよ 現実問題は現実世界での対応や対処を考慮しつつ、
それでも解決し難い事柄について、神仏に救いを求めるというのが正しい道筋と言えます。
その際、整理しておくべきポイントと注意事項がございます。
次回それらについてお話させていただきます。