神仏は守護する人々に対し、必要な御徳(能力や才能)を与えられる場合がございます。各々のご神仏の御徳を具象化し、人々の今に必要な物、例えば守護、祓いの力であれば五鈷杵や剣・弓等の武器のようなもの、繁栄・豊穣なら宝珠が多いようです。
神仏画や仏像に示される御姿は、その御徳を持物や御利益談として 現代に伝えられてるのですが、写真と同じく その一瞬を切り取った御姿ですので、多様な御徳の一部分であり すべてではありません。
おそらく 過去より霊眼で観られた方によって その御姿は様々に伝えられておりますが、多種多様な御力の一部分で分かりやすい御姿をお示しになられたか、感得された場合が多いと思われます。
神仏は、信仰する方の器に応じて 御力なり利生を授与されるのですが、持物のように形として表したものを施与するのは、その頻繁にあることではございません。
「この者なら 与えても良い または、上手く利用し周囲にまで恩恵を施す。」といった確信がなければ そう簡単には与えないように思われます。
以前、霊媒役のハナちゃんは、誰彼構わず「何か下さいな~。」みたいな事をよく言ってました。大黒様には「袋の中には何が入ってるんですか? ちょうだいと言うとお兄ちゃんに怒られるので 下さい! 」 千手観音様には、「お手て一杯あるから 一つください! 」 もちろん、それに応える御方はおられませんでした(笑)
持物ではなく ハナちゃんの好物のイモ飴を、お地蔵さまや毘沙門天様に頂いた事もありますので、実際には衆生が要望するものを具象化する御力をお持ちなのでしょう。
ハナちゃんのように 無邪気な子供が欲しがる場合も、大人が利己的に神仏の御力を欲する場合も 神仏はその心意を見抜かれます。
むしろ 人が欲しなくても必要であれば 神仏は自ら施与されますので、あまり貪欲にならない方が良いのかもしれません。
今回のお話は、我々(衆生)の願望に応じて 施与する持物や御徳を頂くのは、大変有難い事でありますが、そう簡単ではないという事です。それなりに日々積み上げた信仰心や行いが重要だということです。
ただし、さらに深いところでは、せっかく頂いた御徳(持物や御力)も その時点では種子であり 有効活用しなければ育たないという事を私は教示されました。
それについては次回に続きます。