まずは、9月予定になります。
詳細で不明な点がございましたら、お尋ねください。
9月 7日(日) 増益護摩供(満月)
9月20日~26日 秋季彼岸会
9月22日(月) 息災護摩供(新月)
さて、今回のお話は祈る際の 心持ち 想念に関することです。
仏教における真言(マントラ)は、咒や呪と表記されます。どちらも じゅ、のろう、まじない(う)と読みます。【呪】という文字から連想するのは、悪意のある人に災いが起こるように祈る、のろうといったイメージですが、【咒】の場合、まじないや呪文を表す意味があるように思っています。あまり細かい括りもなく、一般的に梵語のマントラの訳語として使われ、宗教的な儀式にも用いられる言葉を指すようです。
祈りの言葉・文言以前に 念じる意思、思念によって 聖なる言葉ともなれば、悪意の有無、大小によっては ノロイ となり得ると考えられます。
例えば 嫌いな人、憎い人に対して神仏に祈る際、「悪い人を懲らしめてください」、「どうか罰を与えてください」的な思念で祈りますと それが無意識であっても 正しい神仏には届きにくくなり(受け取られない)、むしろ その想念に呼応する低級なモノと同調しやすいと思っています。
そのような時は、個人的な好き嫌いを 一先ず置き 周囲全体の平和と円満、安全を主とした全体の祈りに徹したり 加えることで むしろ効果的に物事が改善する事につながります。
呪うような祈りは、敵対する対象者の生霊にプラスして、付随した邪気邪念とも繋がってしまったり、悪意のある祈りに同調した低級霊を引き寄せることになりますので、最終的には、それらの要らないものまで 自分に降りかかり自滅するというのはよくあるお話です。
ですから、せっかく神仏に祈願するのでしたら リスクのある祈り方はロスが多く、また遠回りすることになりやすいので 注意が必要です。
次回 そのような場合の より効果的な対処法、私個人の実例から辿り着いた 例を挙げつつ お話して参ります。