3月、春になる前に突然寒い日が続いたり、雪が降ったり、
そんな事はよくある。
いつだったか、4月の桜の最中に、寒いし、天気も悪いし、
井の頭公園も今日はすこし人が少なめで、桜が楽しめるかな、
と思って行ってみた所で雪が降り始めて、
それはそれは幻想的な事もあった。

今年の3月は春をまって縮こまっていた体がいまにも伸びをしようという時に、
前よりも殻の奥に引っ込みたくなるような、気持ちの冷え込む3月だった。
でも、花見は自粛しなくていいと思うな。
いつも通り出来る事は、なるべくいつも通りにやって、
とにもかくにも動きを作っていかないと、殻の奥に隠れるどころか殻ごとつぶれてしまいそう。

確かに一方で、
今までと同じように、闇雲に、馬車馬のように走りはじめてしまったら、
また大きなことが起こらないと止まれなくなってしまうのかもしれない、
という思いもある。
でも、だからといって動かずにいたら、この状況にとどまったまま、てことだ。
二の足を踏まないように注意深く、でも軽やかに動く事、
めざしてみてもいいんじゃないだろうか。
史上最高に省エネで震災に貢献できてかつ素晴らしい花見を、追求してみるとか。
そんなアイディアを募集します!なんて言ってくれたら、
カッコいいのに。

なにより、今の瞬間を、最高に密度濃く生きる事以上に、
世界に貢献する事って、ないと思うな。

レクチャーも普通通りにやりはじめてるし、
ぼちぼちライブも通常通りできそうな交通環境が見え始めました。
近い所からでは、アルミスタルミスで月に一回やっているレクチャーを3/31に。
(詳細および他の予定はブログトップ↑のスケジュールをちぇきら!)
毎回、近代アラブ音楽の黄金時代の一曲を取り上げて、
歌詞を読んだり聞いたり、じっくり過ごしています。

こんなとき、
地震や、放射性物質や、津波やなにかで、
人間も、音楽も、世界の中で吹けば飛ぶような存在…と
無力感が漂ったりもする。
でも、目の前の事に没頭したり、一生懸命色々考えたり、
それにも疲れてぼんやり空や花やみていたりすると、
そこからなにか別のパワーがめきめき湧いてきていたりする。
吹けば飛ぶようだけれども、同時に無限や永遠にリンクできる存在でもある。
そんなこと誰かが言ってましたね、
あれですね、

「人間は一本の葦である…」

こんなときだから、美味しいもの食べて、音楽聞いて、
会いたい人には会いにいって、
今を盛りに散り行く花をせっせと見るのだ。
流れ星
疲れた。
きっとみんな疲れてる。
辛いニュース、辛い映像、辛い写真。
あんぽんたんですっとこどっこいな原発にまつわるあれこれ、
時々刻々増減する放射性物質と放射線。
そんな危ういものを、
どこかで危ういと感じながら、
でも大丈夫なんじゃないかともう一方で信じてきたことに、
それが裏切られた事に、
それから、そんなものを安穏と信じかけていた自分に、
すっかり疲れて、なんだかがっかりした。

私が外国人だったら、ここを離れて
どこか別の国に行ってたかもしれない。

でも、今の私は、両親と、友人と、記憶がある、ここに、
まだ居続けたい、という気がしている。
そして、いつも通りの事をしながら、
この薄氷の上を歩く気持ちの中で、
本当に確かな希望だけを逃さず手に握って連れて行く事だ。
その希望は、安穏と信じていた中で描いていたものとは違う。
もっとどうしようもなく追いつめられて、研ぎすまされて、
手に握ろうとするとひりひりじんじん痛いくらいの何かだ。
でも、それだけは離しちゃいけない何か。
この先にまだ人生や世界が続くなら、これだけはもっていって、
地震によってひび割れたアスファルトの下からのぞいた土に、
もしかしたら放射能だらけのそれに、
それでも植えなければならない唯一の種のようなもの。

なんだかまだそれを握りしめていると、
心が重たく感じるけれども、
明日からそれを、
持って外にいくんだ。
なんといっても、春なんだし。

★★★★★★

LINKAGE

2010.3.26 (SAT) at KICHIJOJI WARP

12:00 - 01:30 BING
01:30 - 02:10 ROJO RGALO
02:10 - 03:10 JAKAM x BING (B2B)
03:10 - 03:50 LINKAGE SPECIAL SESSION
03:50 - LAST JAKAM
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
12:00 - 01:00 JAHTOME
01:00 - 02:00 RYOTA a.k.a. OPP
02:00 - 03:00 KAZAMATSURI KENTA
03:00 - 04:00 TAGOOD
04:00 - LAST TINNEN
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

OPEN / START : 24:00
CHARGE :DOOR / 3000YEN(1D) W/F 2500YEN (1D)
HorusのTrioメンバーと新年のご挨拶がてら某スタジオGBにてリハ等して、
新高円寺までフライヤーを取りにいって、
そこから高円寺まで歩いてから奄美の酒と食べ物を出す店に行って今年初呑みし、
宴もたけなわというところで久しぶりに人前で泣いた理由を話したい。

場面としては一人の酔った親父が女子の2人呑みにからんできて、
益帯もないことを繰返す、というシーン。

彼のその繰り言は、以下の数点に集約され、これを繰返すばかりであった。

・私と一緒に呑んでいた女子Tは可愛らしい
・隣にすわっている女子(偶然Tの知り合い)は美しい
・高校生の頃、とてつもなく醜女の彼女と上野動物園をデートしたが、数時間ともたなかった。しかし今にしてみると彼女はハートがよかった、女はハートである。
・婉曲的に私は他の二名の女子に比べて見劣りするが、女はハートであるという事を必死で述べ、私を慰めたり茶化したりして酒の肴にしようとする試み。

ヴァリエーションとして上記に、女子は自分より美人な友人とつきあいながら内心彼女に対してやっかみを感じるのではないかというような指摘や、私はTのマネージャーなのかというような戯れ言や、女は声が低い方が色っぽいというような話、前の女には逃げられて今の彼女がどうかについての話が挟まれつつ、基本的に上記数点がループするといったもの。

私が思わず涙ぐんだのは、
彼の前歯のほとんどない風体や、メガネ、そしてごま塩頭、かぶっているキャップまで、
かつて歌舞伎町でバイトをしていた時に一時期マスターをしていた男とそっくりである事を思い出し、
さらには話の内容からかもし出される雰囲気までもが、聞けば聞く程あまりにもそのものだとしか思えないことであった。
件のマスターは当時すでに相当悪化した糖尿病を患っており、前歯はほとんどどころか全くなく、顔色ももっと悪かったのでまさか本人とは思わないし、もしかすると既にこの世の人ではないのかもしれず、そんな事に思い至るとさらにひとつじわりと涙腺が緩んだ。

しかし最終的に堤防が決壊したのは、彼の立場からこちら側(女性)を見る視点に立った時、決して越える事の出来ない深くて暗くて冷たい淵が目に浮かんだからであった。

その親父に話しかけられる前、私はTと、まさに境界を越える事について熱いトークを繰り広げていた。女性はこれだけ発展的に見える世にあっても、未だに「こうあるべき」という透明のヒジャブとも言うべき何かをかぶせられているものであり、それはともするとアダムとイブの神話がさらにその前にあったはずの古い神話を覆い尽くして流布した頃からの伝統であり、
その透明の何かは、男女を、東西を、富みと貧困を、強者と弱者を、メインストリームとアンダーグラウンドを、左脳と右脳を、全てもとは一つの源であったものが分たれたまま再び一つになる事を阻む最後の境界に全て重なるもののたたずまいであり、
けれどもそれは往々にして、なにか超越的な力で越えられるものであり、その力の備わったものとして芸事もある、というような事を、
去年の末にとあるきっかけで間接的に言葉にしあったのだが、
それを2人で面と向かって改めて言葉にしていたところであった。

私も、おそらく彼女も、過去にはその透明な何かを脱ぎ捨てる術があるのかどうかを知らず、ただ漠然とした不完全さと不自然さを覚えながら居心地の悪い思いをするばかりの頃が有り、
そして次第に自覚的に、確信的に、
ささやかで自然で、けれども絶対的な
境界を超越するマジックを試しつつある。

そんな過去と今を俯瞰するような話のタイミングで親父の話しかけた事によって、完全にそこには役者がそろい、
彼はまるで、
過去の私自身を含む(歌舞伎町の会員制バーという男女の深き淵の吹きだまりのようなところまでをもしょってきて)全ての妄執を、時を越えて携えてきたように登場した。

若い頃に苦労をしたバイト先でのマスターというところから不意に過去の自分へ、そこからワープして目の前の親父の側に急速に引き寄せられた私の魂魄は、瞬間、彼とともにその暗い淵のほとりに立ってこちら側であるはずの景色を眺めた。

それはべったりとどこまでも広がる真っ黒い一面の空間であった。
彼にとってはそれは、単なる何もない真っ暗闇が広がる風景に過ぎないのかもしれない。
けれども、その向こうにあって、決して彼と目が合う事のない者達としての私が、
反対側からその一面の闇を見た時、
その絶望的な虚無の深さに、私は涙を禁じ得なかった。
私は時折、その虚無的な闇を、そういえば自分の父親との間にも感じた事があったのを思い出した。

と、ここまで来たところで向かいの席でTが、
おしぼりを握りしめて涙を拭う私を「泣く所初めて見た」とかいってケータイで激写している。
親父は「何で泣くのかよ。そうか、お前もたくさん失恋してきたか」と、相変わらず虚無の闇のスクリーンにマイワールドを映し出して、決してこちらとは抵触しない独自のストーリーを展開している。




要するに、私は一瞬のワープ(妄想)によって、新年早々、人前で泣いたということである。