今日、
ビブリオマンシー「青い鳥の本」をひくと。
「明日世界が終わるとしたら何をする?」
という質問があります。これは、おそらく、
「自覚していないけれど、実は自分の中でもっとも優先順位の高い事」
を洗い出す為の仕掛けなのだろうと思います。
明日世界が終わるとしたら、今何をするか。
そんな究極の状態を想定した時に初めて見える「本音」というのが
心のどこかに、潜んでいるのかもしれません。
そう書いてあった。
何でそんなモノを引いたのかというと、
夢見がちょっといつもと違う心地だったからなのだ。
三余年前、チュニジアに行く暫く前にも、
とても暗示的な夢を見た。
舟に乗っていて、もう周りは海だけ、
というところで、
ああ、もう舟がでてしまったので、
あの人との約束が守れない事を、
伝える事が出来ない…
と思うのだ。
でも心は、自分はやるべき事をやっているという心地で漲っている。
あの人とは、もとのヴァイオリンの師匠であり、
約束とは、その週のレッスンである。
その時私は全く師匠のもとを離れるつもりはなく、
チュニジアから帰ってきても普通にレッスンに通い続けるつもりでいたのだけれども、
そして、実際にチュニジアから帰ってきても、私はまだそのつもりだったのだけれども、
そうは行かなくなってしまった。
あの夢は、その事をずいぶん前に、私に告げていたのだ、とあとで思った。
今回も、旅立ちに向けての夢だった。
もう忘れてしまったけれど、
エジプトに向う準備をするのだ、と忽然と思いながら目覚めた。
このビブリオマンシーの御宣託を読んで、
あらためて私が思った事も、
エジプトに向う準備をする、
ということであった。
明日が世界の終わりでも、私は今の続きを生きる。
ただそれだけの事らしい。
考えてみればさみしい事な気もする。
好きな人に会いにいくとか、その人とずっと過ごすとか、
美味しいものを食べるとか、
思う所なんでないの?自分よ、と問いかけても、具体的に何も頭に浮かばない。
ただエジプトに行って、音楽をする事しか考えていない。
明日世界が終わったら、今すぐ家出てもエジプトにつくかつかないかのうちに終わってしまうだろうに…
しかしそんな旅のことを意識しはじめたのも、
毎月恒例で参加しているLCBのライブに、渡航前は今日が最後の参加となるからなのかもしれなかった。
地震の後初めてで、旅の前には最後。
最近、何もかも日常が寸断されていて、
毎秒ごとにサブリミナル的に放射線や放射性物質、記者会見、余震というフィルムが差し込まれているような日々だ。
帰り道歩きながら、そうだ、これも一つの戦争なのだ、と思った。
ライブは8曲で間に休憩挟みつつ2時間15分という何とも計算のあわないプログラムになり、
それというのもかなりの量のタクスィームが挟まったからだった。
会場は非常に久しぶりにお顔を見たS氏ほか盛況で熱気が溢れていた。
震災後初めてサバのタクスィームを弾いた。
先週末は二日続けてやはりライブで、内容もアラブ音楽(一日は踊りと一緒)だったが、
普段ならかなり好きでよく弾いているサバは弾かなかった。
週末の二日間とも演奏したとある曲では、
演奏するたびにある箇所で空から地上を俯瞰する気分になるのだけれど、
二日間、その瞬間に空から見たのは、福島の原発の光景だった。
いつもならば、ふっと心が空に浮かんだ瞬間に、サンテグジュベリが、戦闘機から、
群青に暮れる空に映る星と地上の夜景を見渡したあの夜間飛行の冒頭のシーンが
重なってくる。
でも、その二日間とも、群青の夜空と夜景の上に、さむざむしい原発の姿が浮かんで、
ぬぐってもぬぐっても消えなかった。
それでも私たちはこの星で生きていくのだと思うと、
涙を禁じ得なかった。
マカームはアラブの音楽の世界を構築するいわば屋台骨であって、
リズム体系であるイーカーが時間軸だとすると
旋法と訳されるマカームは空間、
その二つによって時空が顕現し、アラブ音楽の宇宙が生み出される。
西洋音楽が長調と短調の大きく二種類の調であるのに対し、
アラブの音楽は調にあたるマカームが1000に近いオーダーであるともいわれる。
そのさまざまな音の並びは、おそらくあらゆる人の心の襞を語るためのものに違いない。
そのマカームの一つ、サバは「東の風」という意味があるとか、
しばしば悲しみを表すとか、
そんなことが言われる。
実際に調査をした資料(興味深いながらなんとも味気のない調査ではある)もあって、このマカームを聞いた人の何%が悲しみを、何%が…というような事で、細かい数字はともかく多くの人が悲しみを感じる、という結果が出ている、とその資料は結論している。
また私がこの時によく思い浮かべるのは葦笛の音色で、
「人は一本の葦である」と言ったその葦に、
パスカルは、弱くて非力でありながらも考える人間の希望を見たけれど、
トルコのスーフィーはこの葦の笛に、大地という大いなる源から切り離された魂の孤独と哀切を見た。
そしてその音色は成る程そのものの響きがするのだ。
けれども絵の具の青がいつも空を塗る為だけに使われるわけでは無いように、
サバであればいつも悲しい音楽かというとそういう事でもない。
赤と混ぜて紫にする事もあれば、白と混ざって水色になる事もあり、
その時その時の前後の関係性や音楽性によって色合いは無数に変化する
ただ、長い歴史の中で人々がこの音の並びに映した心情の多くは、
おそらく「悲しみ」だったのだろう。
私もやはりいつもサバを弾くからといって悲しくなる事でもない。
サバにはサバのもつ曲線があって、
弾きながらその曲線を音でなぞり、愛でる。
ああ美しいなと思う。
それはどのマカームでも同じ事で、曲線の描く意味をどうこうではなく、
その曲線そのものの美しさを愛で、紡いでいく事に終始しているように思う。
しかし今日サバを弾きながら私は初めて、
心の中から何かがこみ上げてきて息がつまった。
音に没頭していたのでそれが何なのかという事はよくわからず、
ただ胸が苦しい、息が苦しい、と思った。
それからもうタクスィームが終わる頃に、ああ、これは感情がこみ上げてきたのだ、
と思った。
興味深い事には、悲しいものを表現しようとして悲しくなったのではなく、
サバの音の中に没頭した事によって、とある感情がこみ上げてきた、という事。
それは、地震や、原発のニュースを読んだり写真を見たりした時ににこみ上げてくる身体感覚と同じだった。
私はそれもやはり、悲しみだとも怒りだとも分別できず、
ただこのところしばしば何かが胸に込み上げてきて苦しい、
と思っていた。
今日私はサバを弾きながら、
はじめてそのどうも苦しい胸の感覚は、心臓が悪いのでも、寝不足なのでもなく、
「悲しみ」という感情だったのだと気がついた。
じわり、何かがこみ上げながら、またあの原発の、半分外壁が吹き飛んだところから白い煙が細々とたなびく有様がぼんやり脳裏に浮かんだ。
そのあとで私がしみじみ思ったのは、
私にとってあの原発の光景は、
いまや命の悲しみを凝縮した象徴になったということだ。
抗いがたい大きな、欲と権力の鉄壁の城塞、
城塞が消費し続ける無力な無数の命。
無数の命をあたかも無きもののように通り過ぎるのもまた、
無力な無数の命。
サバという音のならびが、悲しみを引き起こすように、
原発は悲しみと絶望のマカームになってしまったのかも知れない。
今、この時代が「悲しみ」をもっとも多く映し出すのは、あの光景になっていくのかも知れない。
1000年後、
この悲しみのマカームは、
誰かの心に何を呼び起こすんだろうか。
そこにはまだ「誰か」がいるんだろうか。
そんなことを思いながら帰宅すると、
知人のブログ上にエジプトでのとある悲しい事件が載っていた。
よく考えてみれば私はエジプトに行く前にパリに行くのであり、
なんで今日は夢の中から半ば不安を覚えるようにエジプト、エジプト、
と考えているのかと思ったけれども、
そのニュースに共振していたのかもしれない。
人は時空を越えて伝えあう生き物だ、
と、
誰かが言ってたね。
ビブリオマンシー「青い鳥の本」をひくと。
「明日世界が終わるとしたら何をする?」
という質問があります。これは、おそらく、
「自覚していないけれど、実は自分の中でもっとも優先順位の高い事」
を洗い出す為の仕掛けなのだろうと思います。
明日世界が終わるとしたら、今何をするか。
そんな究極の状態を想定した時に初めて見える「本音」というのが
心のどこかに、潜んでいるのかもしれません。
そう書いてあった。
何でそんなモノを引いたのかというと、
夢見がちょっといつもと違う心地だったからなのだ。
三余年前、チュニジアに行く暫く前にも、
とても暗示的な夢を見た。
舟に乗っていて、もう周りは海だけ、
というところで、
ああ、もう舟がでてしまったので、
あの人との約束が守れない事を、
伝える事が出来ない…
と思うのだ。
でも心は、自分はやるべき事をやっているという心地で漲っている。
あの人とは、もとのヴァイオリンの師匠であり、
約束とは、その週のレッスンである。
その時私は全く師匠のもとを離れるつもりはなく、
チュニジアから帰ってきても普通にレッスンに通い続けるつもりでいたのだけれども、
そして、実際にチュニジアから帰ってきても、私はまだそのつもりだったのだけれども、
そうは行かなくなってしまった。
あの夢は、その事をずいぶん前に、私に告げていたのだ、とあとで思った。
今回も、旅立ちに向けての夢だった。
もう忘れてしまったけれど、
エジプトに向う準備をするのだ、と忽然と思いながら目覚めた。
このビブリオマンシーの御宣託を読んで、
あらためて私が思った事も、
エジプトに向う準備をする、
ということであった。
明日が世界の終わりでも、私は今の続きを生きる。
ただそれだけの事らしい。
考えてみればさみしい事な気もする。
好きな人に会いにいくとか、その人とずっと過ごすとか、
美味しいものを食べるとか、
思う所なんでないの?自分よ、と問いかけても、具体的に何も頭に浮かばない。
ただエジプトに行って、音楽をする事しか考えていない。
明日世界が終わったら、今すぐ家出てもエジプトにつくかつかないかのうちに終わってしまうだろうに…
しかしそんな旅のことを意識しはじめたのも、
毎月恒例で参加しているLCBのライブに、渡航前は今日が最後の参加となるからなのかもしれなかった。
地震の後初めてで、旅の前には最後。
最近、何もかも日常が寸断されていて、
毎秒ごとにサブリミナル的に放射線や放射性物質、記者会見、余震というフィルムが差し込まれているような日々だ。
帰り道歩きながら、そうだ、これも一つの戦争なのだ、と思った。
ライブは8曲で間に休憩挟みつつ2時間15分という何とも計算のあわないプログラムになり、
それというのもかなりの量のタクスィームが挟まったからだった。
会場は非常に久しぶりにお顔を見たS氏ほか盛況で熱気が溢れていた。
震災後初めてサバのタクスィームを弾いた。
先週末は二日続けてやはりライブで、内容もアラブ音楽(一日は踊りと一緒)だったが、
普段ならかなり好きでよく弾いているサバは弾かなかった。
週末の二日間とも演奏したとある曲では、
演奏するたびにある箇所で空から地上を俯瞰する気分になるのだけれど、
二日間、その瞬間に空から見たのは、福島の原発の光景だった。
いつもならば、ふっと心が空に浮かんだ瞬間に、サンテグジュベリが、戦闘機から、
群青に暮れる空に映る星と地上の夜景を見渡したあの夜間飛行の冒頭のシーンが
重なってくる。
でも、その二日間とも、群青の夜空と夜景の上に、さむざむしい原発の姿が浮かんで、
ぬぐってもぬぐっても消えなかった。
それでも私たちはこの星で生きていくのだと思うと、
涙を禁じ得なかった。
マカームはアラブの音楽の世界を構築するいわば屋台骨であって、
リズム体系であるイーカーが時間軸だとすると
旋法と訳されるマカームは空間、
その二つによって時空が顕現し、アラブ音楽の宇宙が生み出される。
西洋音楽が長調と短調の大きく二種類の調であるのに対し、
アラブの音楽は調にあたるマカームが1000に近いオーダーであるともいわれる。
そのさまざまな音の並びは、おそらくあらゆる人の心の襞を語るためのものに違いない。
そのマカームの一つ、サバは「東の風」という意味があるとか、
しばしば悲しみを表すとか、
そんなことが言われる。
実際に調査をした資料(興味深いながらなんとも味気のない調査ではある)もあって、このマカームを聞いた人の何%が悲しみを、何%が…というような事で、細かい数字はともかく多くの人が悲しみを感じる、という結果が出ている、とその資料は結論している。
また私がこの時によく思い浮かべるのは葦笛の音色で、
「人は一本の葦である」と言ったその葦に、
パスカルは、弱くて非力でありながらも考える人間の希望を見たけれど、
トルコのスーフィーはこの葦の笛に、大地という大いなる源から切り離された魂の孤独と哀切を見た。
そしてその音色は成る程そのものの響きがするのだ。
けれども絵の具の青がいつも空を塗る為だけに使われるわけでは無いように、
サバであればいつも悲しい音楽かというとそういう事でもない。
赤と混ぜて紫にする事もあれば、白と混ざって水色になる事もあり、
その時その時の前後の関係性や音楽性によって色合いは無数に変化する
ただ、長い歴史の中で人々がこの音の並びに映した心情の多くは、
おそらく「悲しみ」だったのだろう。
私もやはりいつもサバを弾くからといって悲しくなる事でもない。
サバにはサバのもつ曲線があって、
弾きながらその曲線を音でなぞり、愛でる。
ああ美しいなと思う。
それはどのマカームでも同じ事で、曲線の描く意味をどうこうではなく、
その曲線そのものの美しさを愛で、紡いでいく事に終始しているように思う。
しかし今日サバを弾きながら私は初めて、
心の中から何かがこみ上げてきて息がつまった。
音に没頭していたのでそれが何なのかという事はよくわからず、
ただ胸が苦しい、息が苦しい、と思った。
それからもうタクスィームが終わる頃に、ああ、これは感情がこみ上げてきたのだ、
と思った。
興味深い事には、悲しいものを表現しようとして悲しくなったのではなく、
サバの音の中に没頭した事によって、とある感情がこみ上げてきた、という事。
それは、地震や、原発のニュースを読んだり写真を見たりした時ににこみ上げてくる身体感覚と同じだった。
私はそれもやはり、悲しみだとも怒りだとも分別できず、
ただこのところしばしば何かが胸に込み上げてきて苦しい、
と思っていた。
今日私はサバを弾きながら、
はじめてそのどうも苦しい胸の感覚は、心臓が悪いのでも、寝不足なのでもなく、
「悲しみ」という感情だったのだと気がついた。
じわり、何かがこみ上げながら、またあの原発の、半分外壁が吹き飛んだところから白い煙が細々とたなびく有様がぼんやり脳裏に浮かんだ。
そのあとで私がしみじみ思ったのは、
私にとってあの原発の光景は、
いまや命の悲しみを凝縮した象徴になったということだ。
抗いがたい大きな、欲と権力の鉄壁の城塞、
城塞が消費し続ける無力な無数の命。
無数の命をあたかも無きもののように通り過ぎるのもまた、
無力な無数の命。
サバという音のならびが、悲しみを引き起こすように、
原発は悲しみと絶望のマカームになってしまったのかも知れない。
今、この時代が「悲しみ」をもっとも多く映し出すのは、あの光景になっていくのかも知れない。
1000年後、
この悲しみのマカームは、
誰かの心に何を呼び起こすんだろうか。
そこにはまだ「誰か」がいるんだろうか。
そんなことを思いながら帰宅すると、
知人のブログ上にエジプトでのとある悲しい事件が載っていた。
よく考えてみれば私はエジプトに行く前にパリに行くのであり、
なんで今日は夢の中から半ば不安を覚えるようにエジプト、エジプト、
と考えているのかと思ったけれども、
そのニュースに共振していたのかもしれない。
人は時空を越えて伝えあう生き物だ、
と、
誰かが言ってたね。