最近よく泣くなぁ。

うちにはテレビもないし、不用意にドラマやドキュメンタリーで落涙するはめになることもないのですけどね。(アレは泣きましたよー、you tubeのスーザン・ボイル。何回見ても涙だらだらです)

今日は新聞でした。
毎日新聞夕刊二面特集ワイド記事、「ある教戒師の四半世紀」、
住職足利孝之さんのお話。

死刑囚の声に耳を傾け、時には送り出して25年という人のおはなしです。
死刑囚ですから、そらもう人を殺してて、しかもけっこうのっぴきならないやり口で殺している人が大半、
のはず。世の中でいえば、「悪人」なのでしょう。が。

このお話は、「善人と悪人」とか、「自分はあの人とは違う」(それが善人でも悪人でも)とか、そういうものを越えて、ヒト、という生き物のあはれさ、を思わずにはおれないものでしたよ。

現世の中にあっては、そういうヒトたちが「悪人」と呼ばれなければ浮かばれない、と言う辛さ苦しみを、そういうヒトたちから味わされた方々がいらっしゃると思うのです。
けれども、
そういうヒトも、そうでないヒトも、生死の際にあっては、肉体に宿った魂、という、このはかなくももろい「人間」というものでしかないのだ、純粋にただそれだけなのだ、という気がしました。

以下、概略抜粋。

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死刑が決まった息子を送り出す母親。
「母ちゃんの手を握れ。分かってるな、この次も母ちゃんの子に生まれてこいよ」と叫びながら、仕切りの隙間から小指を出した。息子は、「私が殺した人の子供にもし会うことがあったら、本当に心の底から詫びて13段をあがっていったと伝えてくれ」と言って死刑に赴いた。


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別の死刑囚が、この住職さんに残した手形に執行前に添えられた言葉。
「この手は小さい頃お母さんのお乳をつかんだ手。お母さんの白髪を抜いてあげた手。ある時は人を殺した手。今この手は朝な夕な歎異抄を点訳した手」
このヒトは、父親を知らず、生後間もなく母親にすてられ、おばあさんをお母さんだと信じて育ったという。(従って、この言葉にある二つ目の「お母さん」はおばあさんをさすらしい)だが、学校で消しゴムを盗んだと疑われ、投げた石が同級生の目に当たった。その母がかまを手に押し掛けてきた。「おまえの家のててなし子を出せ」

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生い立ちの辛さで「それは曲がった道に行ったのも無理はない」という理屈は嫌いです。
辛いことがあっても必死で踏ん張ってまっすぐ歩いてきたヒトの立つ瀬がないもの。

でもね。

死の際に、あるいは死んでいった死刑囚の、住職さんにのこしていったこういうプロフィールは、
「そうはいっても悪人は悪人じゃ!」という思いでもなく、「仕方なかったんだよね」というような思いでもなく、
ただただ、私も、そのヒトも、そのヒトに殺された人も、それら家族も、…
すべてすべて、ヒトというのは、はかなく、もろく、悲しい器なのだな、ということを思わせるのでした。

私たちはどうして生まれてきたんでしょうね?
こんな悲しいことの多い世の中に。

それでも、喜びを見つけ出すために、であることは、違いないと思うのですけれど…