劇団なんかやってると、そりゃ凹みます。役者も同じでしょう。ミュージシャンだって同じでしょう。言いたいこと言われ放題のツッコミどころ満載な人種ですからね。
安っぽい映画で都会の雑踏で1人佇み孤独を演出するが如く、撮影でもないのに、そういうことをするのが大好きな人たちです。僕もやりますよ。音楽聴きながら。我ながら気持ち悪いと思います。
「劇団やってるんだ? へえ、凄いねぇ・・・で、普段は何やってるの?」
と聞かれるのが僕は大嫌いなので、自分が劇団をやっていることは極力世間には伏せて生きてます。しかも名前が「マニンゲンプロジェクト」なので「マニンゲン」になる為の「プロジェクト」的な劇団だと勝手に判断されることも多く、そこに潜む「アンチマニンゲン」のテイストは彼らの舌には届きません。
世の中に蠢く「マニンゲン」達が実は決して「マニンゲン」なんかではないよね、みたいなそんな気持ちが劇団名には反映されているのです。
子供の頃は早く大人になりたかった僕ですが、生きていくにつれて、誰でも「大人」にもれなくなれる訳ではなく、いい歳こいて何やってんだ人間になっていく自分に戸惑うこと然り、かと言って子供には戻りたくない、そんな自分の居場所のなさに、ついつい都会の雑踏で孤独を演じたくなるのかもしれません。
もっとも多くの人は社会に溶け込むというよりは、社会に逃げ込むと言った方が似合ってるような人も多く、僕から見ると決して幸せとは思えないような暮らしぶりをしているのも事実です。何と言うか、ゾンビですね。映画のゾンビって脳ミソを食べながら、もうちょっと美味しそうな顔したら良いと思うのですが、多分あれは美味しくないんでしょうね。苦しそうに食べます。ではなぜそれを食べるのでしょうか? 答えは簡単で、それが立派なゾンビだからなのです。
社会に出ている立派な「大人」の方たちの中には、若い頃は俺も無茶をしたぜという「うっとり」を酒の肴にする方も多く見受けられます。でも今は違うぜ、という「うっとり」とセットです。
その「うっとり」に僕は吐き気がしてしまうのです。吐き気に文句言われても困るので、そういう文句は極力スルーしています。
僕は子供の頃はどうも学校に馴染めず、かと言って不良にもなれず、先生にも嫌われ気味、なぜか不良どもの方が先生には好かれ、子供ってやってらんねえなぁ・・・みたいに思っていたのですが、それ以上に大人になったらなったで、社会に馴染めないという、いっそザリガニに生まれたかったという失意の中にいるような気さえするのです。
よく仕事でいわゆる「社会的に成功した偉い人たち」と会って話す機会もあるのですが、そういう人たちの欲の深さ、自分の好きさ加減にはビックリさせられます。彼らにとって「保身」こそが全てのように見えることさえあるのです。そして僕はそういう人を心から軽蔑していたりもします。
一度酒に酔い「戦争も年金問題も、環境汚染からも、ちゃっかり逃げ切る癖にまだ得をしようとするんですか、あなたの世代は」と発言してしまい、大問題になったことがありますが、間違ったことを言ったとは思ってはいません。
マニンゲンプロジェクトにいわゆる「マニンゲン」は存在しません。
という話し。
おしまい。