●はじめに

ああっ、気がついたらもう10月で、前回メルマガを発行したのが3月だったので、

まぐまぐからメルマガをそろそろ休刊にしますと通知がきちゃった。

もうしばらくぶりだから何書いていいかわからないけど、ぼちぼちと

また書くことを再開できればいいな。




あまり以前より書けない理由はやっぱ仕事が多いから、

メルマガ書くよりも仕事やった方が収入増えるから。

じっくりとスタバで外を眺めて何書こうか、なんてやってる暇なくなってきちゃった。

これも人生のそういう時期なんだろうな。

今働かなくてどうすんのって、




相変わらず仕事の方は、ビンボー暇なしって感じで、なんとかやってる。

とりあえず書くことを考えて、またUPするよ、



今読んでる本、、

本田直之 新しい働き方、

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478023808/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4478023808&linkCode=as2&tag=manilanoyoa0a-22


もう一度自分の働き方ってのを最適化してみたい気がするんだよな、、

もっともっと自分に合ってる働き方ってあるはずだからさ、




ここはフィリピンだし、自分のやっている仕事は割りと時間と場所に自由が効くわけだから、



んじゃ、また。

TOM

VOL436: 檻の外と中、、、


チッチッチッ、と時計が奇妙な音を立てつつ金曜の23:33が過ぎてゆく、、

やっと一人になれる、自分の部屋で、ハアハアハアと息は出ないが、



気持ち的にはそんな感じ、

この2週間は突っ走った。

ぐたっとした。



まだ書類の束が机の上にのっているが、

追われる仕事にちょっと一息つけた。



円安、ドル高のお陰で今年に入っていろいろな面を仕事をやりやすくなってきて、

キーボード叩きながら、目を瞑って眠れそうなほど、心地良い疲れが、



自分で信じた方向に向かって一人で舵をとって小さなヨットを進めてきたけど、

やっとその方向に陸地があるんだと思えれるようになってきた。



いえ、まだ島影はみえないけど。

そういう気配がするってこと、



昨晩はBFホームズのハズレの隠れ家みたいなイタリアンレストランで

外に陣取ってうまいステーキやパスタを堪能して、馬鹿話をしてたけど、



それぞれ皆がちょっとばかっしの昔の話しをしたり、

あーこの人いろんな経験してるんだわ、と関心したり、



そういう時にちょっと以前より、気持ちに余裕が持てるようになったたって

気がつく、、、ほんのちょっとの差、、



そういう決められた、大学から会社へ入って、そのまま退職して、とか

結婚して、人生のレールみたいなのに乗っかっている人から見ると、



僕みたいな人は、ガラスの窓の外に立っている人っていう風に見える

と言われたりする。



檻の外と中、、、

どっちがいいといえないけれど、




昔マニラの郊外にいった動物園の猿のことを急に思い出した。


送信者 2012/11/26




送信者 2012/11/26
マニラの夜明けVOL436:


● はじめに

今年になってからメルマガを書いては、そのままUPしないままそのままに放置してるメルマガが
2,3件ある。

以前なら躊躇なくUPしていたんだが、最近はUPする前に考えちゃって、これあんまり意味ないんじゃないか、
とか思うようになっちゃてそのままにしてある。

僕が他の人のブログやメルマガを読むのはそれが面白いからで、自分の単調な毎日に他の人の
思うことが気軽に垣間みれるのは興味深いからだ。

あまりブログをUPしない一番の原因はやはり自分のスタンスが変わって、自分の生活の細々した
ことを他人に説明して意味あんのって思っちゃうこと。

その辺個人の生活を大切にするってことの方がメルマガを書くよりもプライオリティが高いってこともあると思う。

でも、やはり自分も他人のブログとかメルマガに楽しませてもらっているから、やはり少しは僕の
を読んでくれる人に楽しんでもらいたいってのもある。

2000年近くに僕が最初にメルマガを始めた当時ブログはなくて、メルマガだけだった。

そこでメルマガの題名で ”僕達の投資生活”(多分タイトルは間違っている)というのを読んで面白いなあって
思ってそれを真似してはじめたのが最初だ。

ブログって自分のことをさらけ出せば出すほど面白くなるのはわかってる。
ただ最初から曝け出しすぎているブログは間違いなくしばらくするといろいろ問題がでてきて
閉鎖する。

その面白さと自分のさらけ出し方のバランス具合の塩梅がうまい具合に調和しないと、
永谷園のお茶漬けのようなロングセラーにならず、ナタデココのように一過性のブームで終わる。

他の人の文章を読んでいて人それぞれ、いろいろ特色がある。

ビジネス文書みたいな完結で簡素なもの、あんまり字をしらない、感情的とか詩的なもの、
僕みたいにだらだら書くもの。
いろいろあるけど、僕はダラダラ論点もはっきりしなくて書き綴るみたいな書き方になっちゃう。

最初から何を書くか決めて書くんじゃなくて、書いているうちに勝手に思考があちらこちらにちらばって
収集つかなくなって、それでも自分で思ってもいなかった考えがでてきて、
あとでざっくり訂正するようなやつ。

だから読むとなにをいいたいのかわからなくなっている。

まあ、いいかなんでも。

じゃあ、久しぶりに仕事が一段落ついたので書きましょう。

● 本当にいくら儲かってるのか、、

というのはたまにフィリピンでやっている会社をみて思うことだ。

現地の会社でも、日本人のやっている会社でもどこでもなんだけど、どれだけ売上があって、
粗利がいくらで、あと人件費や税金以外にいろいろとその管轄の市や自治体からだされる
規則を順守するのに従業員が費やすお金というものを計算して差っ引いた本当の純益って
少ないんじゃないかなあ、と。

シンガポールや香港のような経済活動を企業が行うコストが安いところと比べたらフィリピンは
高いだろうし、日本と比べても官庁への対処みたいな面倒くさいものことを加味すると
外国人がフィリピンは会社をするのにあまりいい場所じゃないよなと実感する。

たとえば同じ売上げ1千万円が日本とフィリピンの法人で上がったとして、そういうめんどくさい管理のコストは
フィリピンが日本の数倍上だと思う。そういう会計上金銭の数値に表されないコストをいれると
利益を日本とフィリピンで同じだけあげようとするとフィリピンは日本より高い売上を上げないと
割に合わないような気がする。

フィーリング的には同じ利益をあげるためにはフィリピン企業は日本の1.3倍くらい売上がないと
吊り合わないとか。

もちろん両者には法人税率とか、人件費の差や光熱費の差とか細かいメリットデメリットの違いもあるし
一概にはくらべられないけれど。

これは単純に経営者が監督官庁に対して守らなければいけないめんどくさいって思うことをするための
コストは経理の数字にはあらわれてこないけど意外と高いんじゃないかというお話だ。

当然マニラで会社をやる人はそういう会社を運営するめんどくささとは別のメリットがあるから
会社をだすんだろうけど、、

そのメリットというのはたとえばマニラではこの商品をやっているコンペティターがいないとか、マーケットのシェアを
独占できるとか、小資本でもやれる、とかそういう目論見だ。

でやってみるといろんな問題がでてきて、そこそこうまくやればそこそこな利益がでる。
でもそこから一段事業を拡大してオペレーションを拡張しようとすると、フィリピン資本が
うまくやってフランチャイズや支店を手広く広げていくように簡単にはビジネスが広がって
いかなかったりする。

オペレーションの大変さが規模を増すほど倍々で大きくなって、よほどうまい組織マネージの
仕方とマーケティング力、法律的な危機対策の策定などすべての面を機能させていかないと
どこかが破綻をきたすか、経営者が疲れきってしまう。
だから疲れた経営者は適当なサイズで妥協という結果になる。

そのもとの理由はこの国が外国資本のビジネス参入に障壁を設けている政策にある。
それがシンガポールとかと比べると官庁、規制への対処というコストの差、参入障壁が
高いということにままならない。

だからそういう社会で外国人がフィリピン人とおなじようなコストでビジネスを立ち上げるのは制度上
最初から無理だということを十分承知してやらなければならない、それでもやりたいならそれに見合う
十分なメリットを見越してやるということで、

そういう障壁を考えずに会社を作ってあとから役所がどうのこうの行ってもそれは仕方がないことで、
国としては外資にきてもらいたいというのは国内産業にダメージを与えずに、雇用だけを増やす
目的であるpezaとかboiとか輸出特区内だけで、通常の国内市場で商売をする外資については
まずローカルの会社をパートナーか代理店においてまず自国の商売人を必ず儲けさせてくださいという
国の基本姿勢がある以上そこでなにをいってもしょうがない。

そういうの前提を理解せずにフィリピンで日本と同じように商売をできるとおもってやると無意味に疲弊する。

そういうのは若くてガッツがあってつぶしがきく人とか、経験と十分なマーケティングの裏付けと
資金力とコネとねばりがある人が挑むべきだ。

そうじゃなければ十分な資産を日本とフィリピンでうまく運用して、ゆうゆう自適なリタイアメントを
送るに限る。

最初の話題にもどるけど、そういったフィリピンでのめんどくさいコストというのは一概に悪いか、
といえばそうではない。めんどくさいコストは逆にそのコストを払える会社や経営者にとっては
悪くはないのだ。

それを処理する人件費や処理コストを上回る利益がでる市場シェアが十分にとれれば問題ないし、
逆に競争相手の市場参入を阻み自社のシェアを守れるメリットがあるとも解釈できる。

かくしてそういう障壁に守られ昔から国内市場でシェアをとる企業はどんどん強くなってお金を
貯めていく。ビールのサンミゲル社なんてその最たるもんだ。

で、最初の問いかけに戻るけど、ほんとはいくら儲かってるんだろうって、簡単には測れない
質問だろうな。

外国資本に優しくない参入障壁があるフィリピンのような国で商売をする場合どう対処するかというと、
その場所ではなく別の国なりで利益をあげるようにするのもひとつの手だ。
それが日本なのか、香港なのかシンガポールなのかいろいろ考えれるけど、
本当にお金を残したいのだったらそこまで考えたほうがいい。

人によって仕事なり会社に何が大切なのかって視点があるから。
仕事があって、従業員が毎日働けてそこそこ暮らせてるかって、ことを基準にするか、
どんだけしんどくても実際どれだけお金が溜まっていくか、とか経営者によって満足する観点が違う。
実際そんなに儲かってなくても会社を続けているケースはいっぱいあるし。

これは会社をやるってことだけじゃなくて、個人の経済活動と暮らしってことでも一緒だ。

なにをもってよしとするのか、お金だけが仕事を選ぶ基準なのか、安定か、
やりがいか、自分のための時間なのか、趣味にいきるのか、
人は無意識にそれらに答えをだして、それに従った人生の選択を毎日しながら生活を送ってる。

普通の会社に務めているひとでも否が応でも人生の節目節目で選択を迫られているだろう。

なにが自分にとって大切なことか、それをしっかり意識して生きるのとそうでないのとは
なにかが変わってくるように思うけど、今のぼくにはそれが具体的にはよくわからない。

● work outへの道

僕は自分では食べ過ぎると思うけど、他の日本人のひとと昼なり夕食を日本食レストランで
食べると以前よりもたくさん食べれないことに気づく。

半チャーハン、半ラーメン、餃子みたいな昼のランチセットは量が多いから残してしまう。

以前はそうでもなかったけど。あまり日本食たべないから食が細くなったのだ。

じゃあ痩せてるかっていうとそうではなく、お腹がぽっこりでている。

gym行ってるんじゃないのといわれれば、以前と変りなく言ってるんだけど相対的に
摂取カロリーが高いんだろう。

ほとんどpcの前に座ってるから。それと歳をとって代謝が下がってきたというのも実感する。

そもそもwork OUTの位置づけというのはストレッチ、ストレス発散、健康管理という意味合い
だ。

一日仕事に集中すると夜7時8時でも仕事は終わんない、そうするとたとえ仕事を止めても
頭ではそれのことをかんがえているので強制的になにも考えれない状況をつくってやらないと
頭が空にならないのだ。

息がはあはあしないと、

最近は筋肉トレーニングは週末しかやらない、特に土曜日、それやると翌日はやっぱダメージが
きつい。やったそのあとは、床にねたら起きれなくなるし翌朝起きれなくなる。
平日にやってしまうと翌日つらい。

食べるということだけど、僕の場合はスタバとかコーヒビーンズに一日何度も入るのでそういうところで
頼むドリンクからのカロリー摂取も良くないと思う。

たまにプールにいって自分の写真をみるとほんと腹のあたりがアグリーだ。

なんとかしなければ、とつくづく思うよ。

● 景気、

以前程じゃないけど、自分の場合やっぱり外でお気に入りのお店で食べることは週末のご褒美だ。

土、日は最低3回は外食する。

大体同じ種類のレストランに続けて行かないのだが、韓国、中華、日本食、イタリアン、ギリシャ/中東、
大体こんなもん。

そういったバラエティに富んだお店が近くに沢山ある、のがここのいいところで、このところ新しい
日本食の店がどんどんできているから、目新しさにつられていく。

けど、それほど感動する料理にあうわけでもなし、雰囲気と材料と料理の質と接客がそこそこよければ
上出来。

値段はみんなそこそこ張るし、やっぱりみんな儲けなきゃいけないだろうし、
日本食ばかりいくわけでもないし、たくさんチョイスができるのはいいことだけど、潰れないで
頑張ってねえ~という感じ。

それにしても眼を見張るのはフィリピン人のお客さんが気前よく一人350ペソくらいの料理をバンバン
頼んでいるという景気のよさ。

海外の食べ物の物価水準から考えても高いものを食べれるようになったということは消費者マインドが
上を向いている証拠だ。

首都圏には中の上の家族多く住んでいるわけでそういう人たちがこの消費を押し上げている。

月収でいうと最低7,8万から10万ペソはもらっているんだろう、そういう人たちだ。(サラリーマンとは
限らない、多分経営者)

そうじゃないとトヨタフォーチュナーとか三菱モンテロの1.4ミリオンペソとか買えないだろう。

景気がいいのはやはり仕事があって、将来も仕事が続くだろうという将来展望があることが
最低条件だと思う。日本の国内景気が上がっていくにはやはり仕事がもっと増えないと
根本的な問題解決にはならないだろうなと思う。

● あとがき

はじめにとあとがきを書こう。

そうすれば文が突然終わるような感じにならないから、

kAZUさんが日本に行って寒いって書いてたけど、フィリピン人で若い時に苦労して
アメリカやらカナダの国籍をとった人がお金ができて歳をとってから今度はイミグレで
フィリピンの国籍に戻す申請をするケースが多い、とニュースで見た。

歳をとったら先進国ではなく、フィリピンでリタイアしたいと思う人は多くてそれが
どういう理由なのかニュースを詳しく見ていなかったけれど経済的なこととか気候とか
友達とかそういうことがあるんだろう、

経済的な蓄えが十分あれば、僕はフィリピンで老後を過ごすのもありだと思う。

逆に日本に住んでたらつまんないだろうな。

じゃまた、



送信者 2012/11/26





マニラの夜明け VOL435 
● 2013年元旦に思う、


というわけで、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


先月12月はいろんなものが壊れた。

デスクトップのハードディスクをSSDに交換したら、
マザーボードがいっちゃった。のでマザーボードとメモリーの交換。
ラップトップの液晶もわれてフタごと交換したり。

先週は1年くらい使っていたブラックベリーの挙動がおかしくなり、
キーパッドを入れ替えたり、いろいろやったけど結局直らなくて、
そのままそれをグリーンヒルズで売って、程度のよさそうな同型機を購入。

お陰様で全て新品に変えたようにスムーズに動くし、
この一年トラブルフリーな生活ができると思っている。

年末の休みは少し気を入れ替え、朝からGYMでWORK OUTをわりとみっちり
した。
ごちそうを食べて溜まったカロリーを少しでも落とそうと思って。

今日元旦は朝から店も殆ど閉まって誰もいないハイストリートで
唯一開いていたカフェでゆる~い朝食をとる。


送信者 2012/11/26



そのあとは曇りで日差しが差さなくてちょっぴり寒かったけど
プールでかるーく筋肉をリラックスさせる。

ぽっかり開いた時間の切れ目、
プールの中縁に立ち、
水面とその上に見える建物の情景に目をやった。

ああ、こういう時間を今年は意識して生活の中に持とう。

普通の食べ物を普通に美味しく食べれるような健康と適度な休養
と適度なストレス、一人で精神を開放できる時間を持つ。

1年の目標はなにをするかではなく
自分の心と体を意識してある状態に保って暮らすこと。


送信者 2012/11/26




今年はゆっくりと自分の周りの家族や友達とか大事なものを
見て歩く余裕を持とう。
それだけでいい。

あとは自分を信じれば。

大晦日は書斎の要らないものを徹底的に捨てた。

僕はいろいろなガラクタや必要の無いものを
しらないうちにどれだけ貯めこんでいるかってことを思い知らされた。

古い書類や本屋、使わないコードやら
大きなゴミ袋2つ分のゴミがでた。

電化製品を買うたびPCとつなぐためのUSBやパワーコード
がついてきて、しらないうちにわけのわからないコードで
いっぱいだ。

古い書類やレシート、使う当てのないおまけなど、
2度と使わないものを捨てる決断を保留し、
それが忘れられてそのまま何年も使われないまま眠っている。


送信者 2012/11/26



捨てなきゃいけないのはモノだけでなく、
ネットを見る時間やいらないメール、
いろんなものが心の片隅にゴミのように降り積もっていく。

そしてそれらがどれだけ自分の感情や時間や労力を消耗させることか。

できることならスーツケース1個でまにらの空港に降り立ったあの時の
身軽さに戻りたい。

そうおもった元日でした。


送信者 2012/11/26




VOL435: 競争力とか、


● はじめに、


今日は早く起きて外を散歩して、早くから仕事をして、今年になって
初めて仕事に追われない状況になった、と思った。

その一つは僕の業界は今年はもうお仕事の量を来年に向けて調整して
いるということ、
それともう来月以降のお仕事が今は主だから、直近の仕事が少ない
ということ、そして一番大きな理由は巷の会社はクリスマス気分で
あまり仕事をやってないこと、

久しぶりに連続してメルマガを書こう。

やはり仕事に追われない状況というのはいい、仕事がエンドレスにある
状況が普通になっちゃうとなにか自分の中で麻痺する。

こうやってメルマガを書く時間がない、というのはこれから異常だと
思うことにする。





● 競争力とか、


前回は仕事について書いたけど、今日はその続き。
これは僕の業界のことだから他の人には当てはまらないかも
しれない、が。
いつも思う競争力というものについて。

今までいろいろな会社や人から話しや仕事が回ってきたけれど、
継続的に残っている仕事というのは、本当の意味でサービスなり
そのモノが必要とされているものしかない。

あたりまえだけど、まぐれで一回サービスがが売れてもそれが本当に
お客さんが必要としているサービスでなければ二回目はない。

そして価格、価格というのは生き物みたいなもので、お客さんが欲しい
サービスの付加価値にふさわしい価格じゃないと絶対長く続かない。

売る側が一方的に価格を設定しても、他方が高いと思えば他に流れるし、
売る側が仕事を取るために安く設定しなければいけないということは
その付加価値は低い(ありふれたサービス)ということになる。

俺んとこしかできないぜ、というものは高くても安心だけど、誰でも
買えるものは、価格プラスアルファがないといけない。

要は売る方も買う方もWIN WINの状態にピッタリハマった取引だけが
長く続く。
それ以外はすぐ終わる。

価格を安くしようと思ったら、やはり力のあるメーカーなり供給元が
作る必要なニーズを満たすものが必須で、そういう人や会社と運命の
出会いができるかで会社の全てが決まるといっても過言じゃない。

それは自分自身が力のある供給者になるということでもある。





同じように重要なのが、お客さんとその間にはいる会社。

お客さんはお客さんでそのサービスを買って、それなりの目的を達成
しようとしているし、もし仲介者がいればその人はその人でお客さんを
助けるということで生業をなしているわけで。

単に商品と競争力があればいいんじゃなくて、仕事は常にサービスを
受ける会社なり人のなにかの手助けになる、という目的達成の結果が
でなけりゃ継続できない。
お客さんが自分のサービスを使ってがんがん儲けてくれないと
次のオーダーは無い。
そこに思いをはせない社長や会社はダメだ。


お客さんがどんなふうに自分のサービスを使ってその仕事を
やっているか、それを実際に見るかどうかは別として、自分が
サービスを提供することが、
お客さんの生み出すサービスの一部の過程に組み込まれて初めて
それは継続する取引になる。

逆にいうと自分のサービスがないとお客さんの仕事も止まるってのが
理想だ。

そういう意味のある継続的な価値創造の一部に自分の会社のサービスを
組み込ませるというのは一義的な営業しました、販売しました、という
レベルで完結するものでなく、
そのサービスを生み出す自分の会社の過程なり工程全てに社長が
目を光らせ、責任をとるということで、それはとおっても大変なことだよ、
とやってて思う。

だからまじで熱中するんだけど。

それでもって取引先とか同業者のスタッフとかと接っするとその人が
どのレベルまでお客さんのことを考えて仕事をするかすぐに見える。

例えばなにかを営業する仕事ならアポ取りから、見積り、商品選定、交渉、
販売、納入から支払いまでどこからどこまでを自分の責任範囲として
考えて仕事をしているかでその人のポジションと将来の出世の
度合いがわかる。
出世できない人は何年でも底辺のJOBにとどまる。

そのカバー範囲が広くしようとする人は、当然出世が早いわけで、
スタッフより、スーパーバイザー、マネージャー、ディレクター
と責任範囲が増えていく。

要はより大きな世界(お客さんの仕事)を見ながらそのレベルと
自分の目の前の仕事をいかに結びつけてイメージして自分がなにを
しなければいけないかを判断できるかだと思う。

競争力というお題で書こうと思ったけど、どんどん離れていく。

でっ、見た感じ競争力のある人はフィリピン人でもなに人でも独立して
経営者になる。

最初は会社勤めでも、要は自分がどのようにお客さんの仕事の中に
入って役にたつものを給できるか、
それによって採算が立つのか、ということを会社勤めの中でも考えて
シュミレーションしている人たちが独立する人たちだ。

ちなみに最初にシュミレーションしたことは運の良い人以外は
そのとおりに行かない。

起業って全く青写真と違う方に転んでいく。
自分が供給できるものがお客さんの必要なものでなかったり、
そこに需要自身が存在しなかったり、それが普通。

そこから自分なりのネットワークなり営業力で必要とされるものを
作って、それを必要とする人たちを探していくんだけど、
早くやらないとお金が尽きて死んじゃう。

と、まあそんなこんなで、スタバだけど、ホントどこ行っても
コリアンの中学生くらいの女子学生いるね、

目の前の女の子たちのグループなんて
コーヒーとか頼まずにずーっとカフェで勉強してるよ、
昨日もそういう子みたし、他の人のこと全く考えないんだよね。
なんか感情を外にださないっていうか、
フィリピン人の方が社会性ある。
お金あんまりないんじゃないだろうか、

韓国って単身で住む世帯の割合がすごい高いし、子供だけで留学してる
ケースも多いし、なにか家族ってもんが崩壊した社会じゃなかろうか、

なんか精神構造違うわ、恥の文化の日本人と。

じゃ、また

VOL 434

というわけで久しぶりにお肉中心のメニューを出す日本食屋さんで
濃い味の料理をたっぷり気のおける友達たちと楽しんできた。

今日は晩飯前にWork outへ行ってきたので体は心地よく疲れている。

今これって今年から使っているAcerのUltra Silmっていうの、すっごい
薄いラップトップで書いてるんだけど、最初キーボードのキーストロークが
浅くて打ちにくいと思ったのに、今は慣れてこっちの方が楽だ。

ハードディスクもSSDに変えたらあらゆる操作がビューンって感じで、
軽くキーボードにたっちするだけで画面もぴゅっと変わるし。

今は普通なんだろうけど、フタ開ければすぐWINDOWS7は始まるし、
ちょっとIPADみたいな感じだ。

なにを書くって決めてないんだけど、たまにはだらだらと思いつくまま
書こう。

自分のやっている会社の会計年度が終わり、この数カ月はエクセルを開いて、
経費やインボイスとにらめっこする毎日だったけど、閉めてみれば思ってたより
ちょっとだけいい数字だったので肩の荷が降りた。

なんだかんだで潰れずに会社をやってこれたのは、健康でいられることと
家族の支えのおかげだ。

厳しい状況でも最後に自分を毎日毎日奮い立たせてあしたのジョーのように
倒されずに這い上がり続ける自分に自分自身のことながら正直驚いている。

よくやったよ、ジョー、(マニーパキアウでもいい)

もうずっとWORKOUTをかれこれ10年週3回続けているのと根本は同じこと、

結果がでてもでなくても同じ動作を続けるのは毎日仏壇や神棚に手を合わせる
のと同じ、ある種宗教だ。

信心がある、ともいう。

でも売上が上がり始めると売れない時よりも100倍くらいのPUSHになる。
セルフコンフィデンスを一気にブーストし、やっていることが楽しくなる。

北朝鮮のミサイルみたいなもんだ。

こうなってくると3ヶ月前に難しいと思っていた数字も普通にクリアできるように
なるから不思議だ。

かといって僕の場合数字の目標を設定してそれに対して行動の予定を決めるという
ことは一切ない。やるべき行動を決めて、それができるかできないかだけを
管理して、数字は一切管理しない。

数字は結果であり、自分できめられるのは行動だけだからだ。

こうして会社をやってわかったのが、僕は人を雇ってどうのこうのとか経理とか法律とか
っていう面倒くさいのはきらいだということ。

自分で全部できるわけないから外部に頼むんだけど、それもできるだけ自分の会社で
抱え込まないで、アウトソーシングでやりたい。

人を雇う度量がないのかもしれない。

人によって業種によっていろいろな形態があるのだろうけど、自分は会社を管理することに
自分のちからを使うのを最小限にして売上を最大化することに注力したい派だ。

だからあんまり会社とか人をたくさんやとってどうのこうのっていうのは向いてないみたいだ。
自営業者だ。
それを突き詰めていくと人を雇わずにお金がお金を生む投資みたい形態に行きつんだろうけど。

フィリピンでやっている経営者をみていると人をうまく使い、総務とか経理みたいなことも
かなりの労力を割いていて、さらに会社の売上を上げることに注力するのに苦労してる
ケースも多い。

でもそれは半分NGOのリーダーを見ているみたいだ。
人格者じゃないとできないみたい。

例えば利益を2倍にするということを実現するために社長は2倍の時間を割くのか、
以前と同じ時間でそれを達成するのか、そういうことを意識できるか、ということ。

人を増やしてその管理のために社長は2倍の時間なり苦労をするということは、自分の時間を
切り売りして会社の成長を達成しているということで社長の売上に対する労力という生産性
でいうと売上は2倍でも2倍働いているのなら生産性は変わらない。

普通利益が増えればそれでハッピーじゃない、それにどれだけがむしゃらにやろうと
いいじゃんってことなんだけど、実際僕もそう、でもそれも自分にとってちょっと違うかな、と思う。

僕のメルマガのモットーというか以前タイトルに書いていたのはマニラで自由な時間と
健康と収入を得る(よく覚えてないけど)多分こんな感じ。

今実感するのは結局自分は自分の自由を自分で決めて仕事をするということが一番大切
なのだ。それが時には収入の額よりも大切だ。

もう僕は自分がボスなので、基本的に今日はなにしようって決めるだけだ。

やらなければいけないことはたとえ朝4時、5時でもやるし、その翌日は11時に起きるし、
時間があけばGYMへ行くし、でもそれは自分で決めてやっているわけで、

そういう自由を持ちながら売上や利益を2倍にするにはどうすればいいか、それを達成するためには他人の力を使ったり、はするんだけど、管理というものに使う時間は段々減らしていかなければ生産性は上がって行かない、ということは経験的にわかった。

特にフィリピンと言う国は人の管理ということやその他のことで時間を取られる。
そのことは以前働いていたときにさんざん学んだ。

時間というのは恐ろしく有限だ。

だから僕にとって豊かな暮らしを実現するとは、いかにお金や人的資源を道具として使って
自分の時間を節約して利益を達成するかということ。

やればやるだけ、うまくいけばいっただけ、少ない時間で同じことができるように
なるのは当然だけど、儲けがふえればいくら働いてもいいというのは僕の場合NGだ。

同じ100万円を月15日で稼いでいたら、月30日働いて200万円稼ぐのではなく、
100万円を月10日で稼げるようにする、さらに150万円を15日で稼いで
そこで仕事は終わり、あとは自分のために使うという方向性で進む。

ほんとはまだそんんことを偉そうに言えるほど十分稼いでないから、もっともっと仕事に
時間をとられるのは仕方ないんだけど。

どこかでこれはこれで十分って言えれる自分がいないとダメでしょって。

仕事ばっかりやってちゃいかん、とフィリピン人は教えてくれる。

はい、そうです、というしか無い。

今日本で会社をやっていたらこんなことは言ってられないが、この国は今アジアで一、二を競う
GDP成長の高い国だ。

やればやっただけ仕事は伸びていくのが実感できてしまう。

今のこの時期にここで仕事をできてラッキーだ。

15年前はこんな具合じゃないかったかもしれない。

もう今の若い世代はフィリピンにきてチャレンジする時代なんだ。

成長する国はどんどん移り変わっていくのだ。





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ビールを飲みながら、

僕はどこで何をして、いればいいのか?
どれだけの欲望を持ち、落胆と失望を片手に
どこまで進めばいいんだろう?

人はもうちょびっとの欲望を糧に日々を送っているのだと

少しの欲望と不安定さへの恐れ、そして安定からくる思考停止の楽な生活への憧れ、、、

欲望と恐れと安心から来る怠惰の微妙なバランスをとりながら、いかにサバイブするか、
静かな情熱を内に秘め、夢をかなえる
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マニラの夜明け VOL433

● 別れについて、


というわけで今年はまだたしか2回しかメルマガを書いていないので、書き方忘れちゃったかな、
と思いながらつらつら書いてみたい。

今日なぜ久しぶりに書こうかなと思ったきっかけは、長年マニラで親しくしてもらった友人が
新天地へ向けて、新たな旅立ちをするというのを知ったからなのだ。

こうみえても僕は卒業式とか人との別れの場面で、とても感傷的になる寂しがりやさんだ。

中学や高校の卒業式はのみならず、住み慣れた場所を去るときや、そういう場所にあとで
戻ってきた時にセンチメンタルになるタイプ。

しばらくするとすっかり忘れてもとにもどるんだけど、人と人との出会いと別れの時、
僕は普段何も考えてない日常から、人というのはみな人それぞれの道を歩んでいるのであって
なにも考えずに普段会っている人たちとは、今たまたまその道が交差しているだけであって、
いつかはその道が二股にわかれる時が来る、という当たり前の真理に気付かされるわけだ。

自分の道、親兄弟、子供であっても、いずれは別れて最後は自分ひとりになってあの世に
帰るのだよ、というところまで深層心理では感じてしまってなのか、そうでないのか、
別れというものは僕を感傷的にさせる。

マニラに来て、いやマニラだけじゃなく以前住んでいた場所にいてもそうだけど、ずっと
僕は人を眺めてきたと思う。

それこそマニラでは上から下まで、乞食からメイド、修理のあんちゃんから、OFWになろうとして
なれない人や、田舎で暮らしている無職の老人や若者、何不自由なく生まれてから与えられて
普通にヨーロッパに遊びにいける人から、マカティのオフィスで普通に日本円で3万円から5万円
の給料で働いて3人くらいの子供を立派に育てているお父さんやお母さん、日本から来た駐在員
の家族やら、こちらで第2の人生をとやってきた老夫婦や、女性をおっかけてきて苦労して
こちらで生活をしようとしている人から、さっそうとこちらで仕事についてばりばりやっている日本の
若者や50くらいになってフィリピンの若い子を捕まえて第2の人生を送っている欧米人まで全て
深く関わったとは言えないけどしらっと眺めてきた。

ひとりひとりの頭の中で何を価値としてみているのか、まったく違う。
みなそれぞれ普段毎日の生活では意識しないけど、人生のうちで時々、どこかの場所に行くとか、
なにか仕事を変えるとか、なにかを大きく変える時という決断の時期がやってくる。

それは思考を停止して船長が惰性で霧の中を船を進めている状態から脱して、
霧の中から遠くに見える灯台の灯に向かって進行方向を操舵しなおすような、自分の中のなにか
にしたがって進行方向が本当にいいかどうか問いなおす機会だと思う。

思えば最後にまじめにそういう決断をしたのは会社をやめた時だった。

全ての人は僕もそうだけど、じつはそんな自分の立ち位置がいいかどうかに考えをめぐらすような
大きな決断など普段したくない。
自分の人生の意味とかどこに向かうのか、なんてシリアスなことは普段の生活に追るなかで
考えるのはめんどうくさいのだ、、

なにも考えずにその日の中で起こることを自分の中の常識で対処しつつ、その中で
喜怒哀楽を感じて暮らしを続けて何十年もたってそのまま老いて行く人生もいっぱいある。
なにかをしたくて、どこかに行きたくて、でもそれはいろんな状況やしがらみや条件とか
自分で自分に自信が持てなくてなのか、どこにどう行けばいいのかわからないまま
年をとっていく期間が人生の9割方なのだ。

僕の友達の場合はなにが自身の人生にとって大事か、どのような選択肢がベストなのか
何年も考え続けてでた結果の決心だろうし、慣れた座り心地のいい椅子を離れ
新たな椅子を探して人生の旅の一歩を踏み出すのは、不安は当然あるのは置いといて
俺の人生まだ捨てたもんじゃないな、と感じ一瞬の自由を感じる瞬間じゃないか。

そんな彼に羨ましいって思ってしまう自分がいることに気づいてしまう。

いつだってその場所に残される人は、去っていく人に対してわけの分からない嫉妬を
感じる。

誰でも、自分の親がなくなった時にハッと我に返り一瞬自分の方向性は正しかったのかしら
とシラフにもどって考える瞬間がくるんじゃないか、


送信者 2012/11/26


日常とは毎日の状況や理由付けという積み木を重ねて達したある高さのポジション、
別れのときはその積み木がくずれて宙に浮いた瞬間を味わう、
宇宙の中で自分のいるその時間、自分自身でいいと肯定し続け思考停止に陥った
惰性のポジションが、本当に自我にとって正しいものだったのかどうか、
究極の問いかけをせまられる瞬間なのだと思う。

そこに不安はつきもので、不安の無い決断なら、それは意味のある人生の決断ではない。

そう考えると僕らの毎日の生活の中でなにかを決めて行動してるって思っていることは、じつはコンピューターが
機械的にいままでの経験や常識から判断している単なる判断で、人生を決するような決断とか決心というもの
とまったく次元が違うことがわかる。

仕事の中でなにかを決めることでも、不安だったり決めれなくて憂鬱になるのは、
新しい未来への自分のポジションニングについて前提を取り外して真摯に考えているからだ。

逆にいままでの経験の中から同じような事象を選んで適当に判断して問題ないことには
不安や憂鬱はおきない。

話が違う方に行くかもしれないが、社長をやって決断することには常に不安がつきまとう。
そうでないことは部下が適当に決めても問題ない。

社長が背負うものは、常に不確定な将来に向かって自分たちがどういうポジションでいればいいのか、
その結果はつねに一人で向き合わなければいけなくて、それに正しい答えなどないし、アドバイスできないし、
結局人生の道を歩くのは自分一人なんだ、という寂しあと常に向き合うということなのだ。
日常のように不安と憂鬱がつきまとう、それがなけりゃく社長じゃない。

とはいっても会社員じゃなくても主婦でも子供でも、人は誰でも新天地で新しい場所で
暮らし始めたり、家族が亡くなって環境が変わったりと、出会いと別れがあって、
不安のある決断や決心というのは人生のうち必ず10回以上は訪れる。

その時には日常や常識という積み木がくずれて、個として自分が裸のような状態に置かれるわけだから
友達や親しい家族のアドバイスというものは聞いても結局自分で決めるしかないから
無意味なのだ。

送信者 2012/11/26


自分でもわからない自分の将来について他者が自分以上に的確なアドバイスをくれたとしても
不安は決してなくならない。

なぜならそれは自分の決断によって引き起こされる自身の将来の影響について、
責任をとれるのは自分自身しかいないからだと知っているからだ。

例えて言えば親が自分の結婚相手に対して良い感情を持たない場合、結婚に反対するとして
そのアドバイスにしたがって結婚しない方が良いのか、親に背いて結婚した方がいいのか
という問題で、それは自分にとってその決断は結局正しいのかどうかは、他者のアドバイスは
自分の決断にもとづいて起こったことは自分で責任をもつしかないことだからと自分でわかるっているから、
親のアドバイスにしたがおうと従わまいと決断していtづでも不安はついて回る。

つまるところ人生のうちでなにか大きなことを決断して不安というのは、自分は一人で生まれてきて
自分一人で死んでいくという事実に向き合うことからくる。

僕が卒業式でやたら寂しくて不安だったのもそういうことだ、
それは友達と別れるということだけが理由ではなく、
僕は一人でこれからどこにいっちゃうのか、どこにいけばいいのか、誰も正しい答えは教えられないし、
正しい答えがあるかどうかもしれず、、霧の中に放り出されて自分だけで灯台のあかりをみつけて
進路を決めていく船長になる気分を味わうからだ、それは親、子供友達がいたって人生一人で歩いて
行くしか無いという現実に誰もが気付かされるときの寂しさだ。

そういう感情が人との別れのたびに沸き起こる。
道が正しいかどうかなんて誰も知らないし、他人に教えられるわけもなく、
それが自分の子供だったとしても同じだ、

家族や日常は人が人であるための大事なフレーバーなんだけど、ある日風や雨が吹いてそのフレーバーが
綺麗さっぱり洗い流される、そういったものはただの外見だけで本質は皆一人なんだよ、って
そういう現実の姿に引き戻される、そういうときなんだよね別れって、

ああ、また何を書きたいのかわからなくなっちゃった、
いつもの調子が戻ってきた、

まっ、そんなわけだから新天地を目指して頑張る人には僕は敬意を払いますし、同年代でもチャレンジし続け人は
なんだか羨ましいです。

なにも将来のことを考えないでアクションを起こせない人は多いわけだから、

今日はこのへんで、


● WORK OUTへの道、、

というわけで相変わらずWORK OUTはしてます。

健康でいるための手段とストレスを発散するために、

最近エクササイズのメニューを前と変えて、マシンを使ったトレーニングをまず30分間やって
それで筋肉が疲れてから有酸素運動をやるようになりました。

日本で読んだTARZANによるとこっちの方が脂肪燃焼が高いようです。

まず筋トレで成長ホルモンがでて、成長ホルモンが出たあと有酸素運動でさらに脂肪を燃やす。

その逆だと有酸素運動したあと筋トレやると脂肪燃焼が阻害されるらしいです。




詳しい理論はわからないけど。

そのかわり筋トレをみっちりやるので体の疲労度はもっと上がります。

ついでに免疫力が落ちるのでやりすぎると喉が痛くなって風邪引きやすくなります、僕の場合。

● あとがき、

この1年仕事と家庭のことばっかりだったけど、そろそろ生活に精神的にも余裕を感じるために
時間を生み出してもうちょっと昔のようにメルマガを書こうと思う。



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うーん、よく考えたら正月にメルマガ書いてからもう6ヶ月たっていた。

Blog.manilanoyoake.comっていうのはサーバー借りてるんだけど、それの年間使用料の
更新を知らせるメールが先月きてたから、そろそろログインしないとと思ってたらパスワードとかも
忘れて今日ブログ見ようと思ったら無くなってたの。

期限までに払わなかったから有料ブログから無料ブログになっちゃったみたい。

まあー後で払ったら復活できるそうだからいいけど。

あー、この半年はマジで仕事したよ。ブログ書く暇なかったもん。
ブログ書く暇あったら仕事しようって、
必死やもん、毎日、、昼は暑いし、誰もいないスタバとかで毎晩毎晩、、

孤独とか言ってられないし、ただもう徹底的にやるしかないし、、、
北から南まで、走り回って、
もう一年くらいそれやってたらそこそこ業績も上がってきた。
借金もぼちぼち返せそうだわ、、

一年前だったら信じられないけどさ暇で、なんか仕事追いつかなくなってきてるかも。

今週は日本人の若い人達と合う機会があって、ブログとかの話をしてて、ああ~僕も
熱く自分の想いをブログに書いてた時期あったなあ、もう面白いブログなんて
書けねえよ、何書いたらいいのかわかんないしって、、、

もうきっとたくさんの人がこのブログ登録外してるだろうしって、
その方が勝手なこと書けるからいいんだけど。

2CHとか読んでるとリア充って言葉あるけど、まあリアルな世界で充実してお金と健康と
家族に恵まれれば別にブログなんて書かなくてもいいやんってのがわかった。

それよりもやんなきゃいけないことってたくさんあるし、
お客さんからなんかもの頼まれてる最中に深夜、1時間も2時間も書けないもんブログとか、

なんにも実現してなくて時間ある時期はブログって書くんやなあ、と自分の場合、
なんかやる前に自分を鼓舞して勇気づける役割よブログってホント、、、

実際その中に入ったら、そんなの実況中継したくないもん、生活でも仕事でもUpアンドDown
あるわけやし、そんなのいちいち書かなくても、自分が気にせずにタフにスムースに感じて生きてく方が
大切だ。

家族に対しても、仕事の人でもそうなんだけど、やっぱ基本は誠実に親切に毎日つきあって
いくことだけがやはり大事なことだと思う。

個人的にはさ、ここ何年か仕事自分でやってきてさ、どれだけ信頼されるか、ってそれに尽きるね。

無理っぽいことばっかり投げられるけど、無理は無理なりに毎回誠実に対応していくと、
それなりに格好ついてくるし、無理じゃないこともあいつに頼もうってことになってくるし、

会う人すべてに時間をかけて、心を込めて付き合っていけるわけではないから、身近な人には
やはりそうしてあげたい、とそのかわりそうできない人はあっさり割りきってね、できないって。

車で信号で止まってくるベガーに99%はお金やらないでシッシってやるけど、
たまたまあった赤ん坊連れの外で寝てる乞食夫婦にはかわいそうで500ペソあげたけど、気まぐれだね、

なにかの縁で会う人もまあ10年以上付き合っている人なんて10人もいないし、
そう考えると今年あった100人の人も最終的に来年も合っている人なんて数%だろうし、
97%くらいの人は名前を知ってるって程度の付き合いだろうし、、
そう考えるとね、身近な人には親切にしないとなって、当たり前だけど

ばかみたいに前から変わらない自分の考えだけど、、
やっぱりまず健康だと思う。

体の調子が思考や感情に影響するから。

だからまだ週3,4回はWork outしてるよ、それも一生懸命じゃなくて、軽く30分走って、、
軽く上半身鍛えて、、、やり過ぎると血液が筋肉からの乳酸のせいで疲れがたまって
風邪引くってのもわかってるし。

2000年くらいにこれ書き始めた当時みたいに、フィリピンに住むってことも別に特殊なことで
もなんでもないし、今普通に大学出た25歳くらいの人がこっちで仕事やってるし、
僕んときもそうだったけど、何もかもが新鮮で楽しんでやってるよね、今の若い人も、

そうやってここに長い間住んでると、やっぱ大事なのって、自分のこころと体と考えの芯のところが
バランスとれているかどうかってことが、その人の社会生活とか、人間関係とか、経済状況を
自然に長い間に反映するから。

この人生のこの時期に自分が一番なにを一生懸命やんなきゃいけないのかって、
正しい時期に正しいことを一生懸命やってるかどうかって大切だよね。
その時羽振りよくやってるからとか、そんなの最後までいってみないとわかんないよ、帳尻り
合わせだもん人生って、

最近田舎のほうでたい焼き焼いてるおじさんの店でたい焼き買うけど、、

そういうの世俗を超越してる人いるんだよね、儲かる儲からないとか、そういうんじゃなくて、、もっと日常の小さいことに気持ちを集めてね、

就職活動でも勉強でも仕事でも恋愛でも家族でもいいんだけど、、その時その時しっかりに
自分に落とし前つけてきた人って、味わい深い顔をしてると思うよ、、黙ってても。
そういうのにじみでるし、

今週たまに会った友人の人見ててそう思ったわ、ちゃんと家族めんどみて、会社でももう10年以上
そこそこの地位にいて、無口だけど、、それすごいなって、、いろいろ悩んでるようだけど、
でもちゃんと生きてる、

そういうんで自分もいい、

結局最後残るの自分の家族と少人数の友達だけだし、、その中でバランスとって接してれば
ストレスたまんないし、


と、ここまで久しぶりに書けるかなと思いつつも、脈絡もない文章ながら案外スラスラかけてびっくりした。

もっとこれからは短時間でかけるようにしよう、、そんなに時間ないし、

まあ、とりあえずメルマガ休刊にしないために、これUPしときます、、

じゃあまた、てきとーに、

TOM in manila


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● はじめに

さて、今日はPancake house でかなりヘビーな遅めの午後の昼食をとって
Bo's Coffeeに来ている。

とりあえず2012年が始まったわけで、メルマガの主催者からなんども発行しないと
休刊になりますよ、という通知が着てたのでそろそろ書かないとアカンな、と思っていた。

ふと今日メールをみると、日本の地元の幼馴染みの友達からメールが届いていた。

今年の年末は僕は毎年出席している地元での忘年会を欠席した。
ずっと帰らなかったからだ。

彼からの近況報告は、今回の忘年会は子供の教育の話で話題に花が咲きましたあ、
よく考えたらメルマガ最近出していないですねえ、
自分的には最近ちょっと仕事とかでも閉塞感があります、なんかこのままでいるのが
もったいないような気がします、というようなことだった。
彼ももう十年以上一足先に独立して仕事をやっているのだ。

それに彼は仲間内で一番結婚したのが早くて、大学を卒業すると同時くらいに
結婚したから中学、高校くらいの2人の娘さんがいる。

いつも地元に帰ったときに会う幼なじみのメンバーは5人くらいだけど、
僕が海外にいても、大体年末は帰るようにしているので、もう二十歳代のころから
ずーっと毎年夏と冬2回くらいはみんなに会ってたんだが、ここ2年は僕が
帰らないのでちょっと欠席気味だった。

昨年は個人的にも大きな変化がありーの、仕事もいっちょテコ入れして軌道に
のせないといけない時期にあったので、気合のこもった年だったし、
やりがいのある年だった。

年末ギリギリまで仕事をしたのはこれが初めてだ。

去年からは、仕事もそうだけど、家に帰ってからするべき自分の負担も増えたため、
これは今年もずっと継続していく。

要はそういう歳になったってことか、

前は、メルマガとかブログを書いたり読んだりして暇だったんだなあーと思う。

さっき真夜中過ぎに犬を連れて散歩から帰る途中、横を知り合いの若いT君が歩いて
通り越してった、彼は目が悪いからだいたい道であっても、そのまま気が付かない。

何してるの?帰る途中?って聞いたら、今からクラブ友達といくんで、ID取りに
行くんです、、って、、わー羨ましい、、よっぱらって、真ん中でポールダンス
しないでね。

おんなじ真夜中であるくのでも僕は、犬の散歩とかお茶しにいくのが精一杯
だもんな。

でっ故郷の幼なじみとか、日本の友人達が結構このメルマガで僕の生存を
確認しているようなので、年末もかえってないし、たまには更新する義務がある、
と思った次第だ。

まっ、いつもの調子で気の向くまま思いついたままだらだら書かせていただきます。

そういえば今年も年賀状というのが1枚だけ実家に来た。

ムカーし昔一緒に働いていた年配の方で、今でも東北から律儀に年賀状を送ってくださる。
で僕からの返信は海外にいるから、という言い訳をしながらメールでさらっと
失礼させてもらっている。

メールといえば昨年の僕のもっともヒットしたものは、Blackberryの師匠Mさんから、
Blackberryの機動性、実用性の高さを教えてもらい、さっそくBlackberry Curve
そして9900とステップアップしたことだ。

もはやBlackberryのない生活は考えられない体になっちゃった。

Blackberryというのはキーボードが打ちやすいとかハード面がいいのかと思ってたら、
そういうことではなく、Blackberryを買うとどんな安い機種でも、PUSHメールの
代名詞のようなBlackberry Internet serviceというSystemまるごとを体験できる、
ということだ。

似たようなキーボード形状のサムソンやNOKIAの携帯を使ったけど、全然別物だ。

って口で説明してももわからないから使って欲しい。

朝は真夜中前に出したメールが欧米時差の場所から返信が着ているかを
ベッドで確認して、朝食をとったら、お茶をすすりなフィリピンからのメールを
確認して、午後は大体日本宛のメールのやり取りを移動しながらやる。

車に乗りながら、メールがきたら確認して、車を止めて、返信しなきゃいけないのは
返信して、とまあいいんだか悪いんだか、とてもせわしないスタイルになちゃった。

おかげで夜になっても仕事の切れ間感がないから、オンとオフは
自分で無理やりお散歩とかWORK OUTと言って外にでていかないと
なかなかつけれない。

以前はもっとメールの返信が緩慢だったのだけど、結局仕事が増えると
いうことは、自分から出す連絡の数も増えていき、
Laptopでネットに繋げれるところまで行ってから返事しますだと、
物事の進み方が遅いということになり、処理ができなくなるようなきがしてきた。

強迫観念なのかもしれないな。

さらにはSKYPEでも日本のIP電話の番号をとれるから、そこへかかってきた電話は
フィリピンの携帯に転送するようになって、日本の人が普通に電話をかけてきて
普通に応対しているが、想像つかない場所にいたりする。

Blackberry とLAPTOPがあればほんとオフィスいらない、
と書くとカッコいいアーバンライフを疾走するNOMAD ワーカーと雑誌にでてきそうな
キーワードが並ぶけど、それは本質じゃないから。

基本はその人に会って、時間をかけて自分への信頼を積み重ねてもらって、
それでやっと電話なりメールが飛んでくるようになるってことだから、
人と人との出会いやつながりを毎日毎日手を抜かずに丁寧に対応してくしかない。

結局それしか本当に力をつける道はないと思います。

今年もだらだらテキトーに好きなときに書いてきますので、暇があったときだけ
読んでください。
僕も読むのは写真ブログとニュースだけにしたら、ずいぶんと他に回せる時間が増えた。

その代わり2chとかよんでるから同じことか、

送信者 シャーベット


● いいと思ったことしか最後まで残らないと思う、、


前からわかってたんだけどさ、結局すべての日常生活の上でのことって、
自分で決めたことか、決めないことか2つに1つしかないでしょう。

自分で選んでするのか、なんとなくやっちゃうのか、この人と付きあおう、
この仕事をしよう、どこかへ行こうとかそういうことは自分で意識して
能動的に行動していくことだし。

そうじゃないこと、家帰ってご飯はお母さんが作ってくれたやつだし、
服も誰かが買ってくれるし、仕事はいつもの仕事に行けばいいし、
友達もなんとなく周りにいる人とつきあっていく。そういうのはわりと
受動的な行動だ。

人ってそういう自分で選択してやることと、なんとなく流されてやってること
がぐちゃぐちゃ混ざりあった中で日常生活を送ってる。

自分でイイって思いながら行動を決めて、生きていくのって気を張ることだと思う。

たとえば親や兄弟は自分では選べないじゃない、だからこれは自分の意思
どうのこうのじゃなくて、ただ合わして死ぬまで付き合うしかないけど、伴侶とか
友達は赤の他人だから、この人と一緒にいつまでもいようっていうのは選択と
意思の力にのっかって行うことだと思う。

地元に残っている友達たちをみているとそういうの感じるんだなあ、
あんまりこれがいいっていうものがないっていうか、欲がないっていうか、
もちろんみんなそれぞれいろんな選択をしながら生きてるんだけど、
結婚したり、家立てたり、仕事を続けたり、

前置きが長くなったけど、僕はわりと自分で好きなことを意識して、それにそった
生き方をしようとしてるんだなあ、と。
学校をやめて、とか会社をやめて何かをします、とか結婚します、とかそういう時に
人はやはりなにか理想の生き方というかこれがいいっていうものを想像しつつ
意思決定をしているはずで、

こういうふうになりたいっていうアイデアが浮かばなければ、地方から東京の大學に
行こうとか思わないもんな。地元の大學で地元の友達と遊んで、地元の会社いけば
御の字だって

現状維持でも意思を持って、自分の人生を選択するのもそれはみんなやっている
ことだけど、それは人生の最後に自分でけつを拭くしかないから。


送信者 シャーベット


自分の望むように生きてそれがうまくいけば、それは満足のいく生き方だと
思えるし、やりたいことをやらなかった人は安定した生活を手に入れたけど、
そのかわり後で後悔をするのかもしれないし。
でもどちらがいいのかという基準はない。

自分の地元帰ると感じるんだけど、ご近所の暮らしをみてると、
たしかに安定していて、居心地よくて、いいことずくめなんだけど、
僕の欲しいのとははっきり違いますってのを感じる。

誰だって、故郷を離れて暮らしている人はそういうのを感じると思うんだけど。

あきらかに何が言いたいのかわからなくなったけど、仕事にしても自分の住みたい場所に
しても、付き合う人にしても、お互いに好き合うものがないと意味ないしおもしろく
ないし、続かない。

好きかどうかっていう選択の意思というのは、人生というステーキをピリッと美味しく
味付けるコショウのようなもんだと思う。

これが好きだから、俺はこういうことを仕事にして、こういう場所にいて、
この人が好きでこういう家族をもって、こういう死に方をしましたって、やっぱり誇れる
ようになりたいな。

今晩はご近所にあるSPAに行って490ペソで年末から凝りまくっていた肩や首を揉みほぐして
もらって体が軽くなった。
年末に家からこの街の端っこまで重い物担いで散歩したのが悪かった。

わりとちゃんとしたSPAで小奇麗な部屋で、ろうそくがともされて、環境音楽みたいのが
流れていたけど、これからお気に入りリストの一つに入り定期的に通うことになりそうだ。

僕は食べるもの、飲むもの、とか自分の好きなところをちょこっとずつ見つけて
ローテーションで回る。
そういう自分の好きな場所、好きな仕事、好きな人は自分の感性にひっかかる
ものだから、自然にそこに行くし、そういうことを中心に暮らしは回っていく。

それがフィリピンでもどこでも楽しいライフをエンジョイする方法だと思う。

だれでも好きなモノは苦にならないし、嫌いなものは選ばない。
だれでも選びとっているのだと思う。

送信者 シャーベット



● Workoutへの道、

まあBlogは更新しなくてもWORK OUTは変わらずやってます。

以前より時間の制約があるのだけれど、これだけはずっと変わらないでしょう。

僕が僕であるためのものだと思います、体っていうのは。

最近気がついたんだけどさ、やっぱジム来てる子らみてると多分仕事をきちっと
できてる責任感がある人が多いんじゃないかと、勝手な想像だけど。

運動している人ってみなそうだけど、やっぱ仕事終わって、疲れているところで
わざわざGYMくるって、心のなかに自分を律する一本の線かなんか通ってないと
こないよなって。

なにかを信じてやってるはずで、健康になるとか、お腹の脂肪をとりたいとか、
長く走れるようになりたいとか、筋肉付けたいとか、でそういう理想みたいのを
持つのってすごく生活に張りを持たせるじゃない。

たとえばこうバランガイで仕事のないタンバイ(スタンバイ)って呼ばれるような
男たちって、だらってしてるじゃない、一ヶ月、半年、一年たっても今と状況変わん
ないっていう閉塞感、その日その日をとにかく過ごせればいいって。

前そういう友達の男がいたんだけど、俺も車をもったり、そういう人生の花みたいのを
一度でいいから味わってみたい、って言ってた。

そういうやつは数千ペソが欲しくて人をナイフで刺しちゃったりする。

そういう人は仕事帰りにジムいくそのへんの会社員と違って、まず理想とするものを
持てない、持てたとしても、それに向かって毎日努力していこうという考えができない
わけでしょ。それはある種の目標に向かってなにかを訓練するというような経験に
乏しい人達。

そういう人はスナッチャーとかホールドアップしたりする。だってナイフや銃を
もつだけで目的達成できるから。

WORK OUTの話と全然違ってくるけど、
フィリピン人の経済を底上げするための方法って、そういうことじゃない。
公立の学校いったって、50人のクラスでテキストもなくて午前中で終わりみたいな
感じだと、何かの目的に向かって練習したり、訓練するという経験をできないまま
社会に放り出されてしまう。

仕事って、おんなじことを何遍もやって少しずつ覚えていくもんだから、
仕事にありつけないってのは、能力云々よりも自発的に同じ事を何回もやって
うまくなっていくっていうプロセスがかけているってことだ。

WORK outに通っている人たちが仕事できそうだってのはそういうこと。

最もみんな小奇麗な車のりつけてGYMにきて体も大きいし、英語しゃべってるから、
まともな学校に通った人ばかりだから当然だろうけど。

送信者 シャーベット




● 至福の瞬間

ひさしぶりに書いてみたこのタイトル、全然至福じゃないけど、この半年間ちっとも
興味深い写真がとれてない、カメラを持ってうろうろする時間がないのがその理由だけど。

まあ心に余裕がなかった証拠かな。

写真の枚数自体はとってたけど、全部人物だから、人様にみせるようなものでもなし、
最近ハンディカムというものを生まれて初めて買って、一所懸命つかおうとしてるけど、
まだまだいろんな操作方法とかを手探りで(マニュアル読めよ)探してる状況。

やっぱいい表情を切り取ろうと思ったらカメラですね。

● あとがき

去年は、いろいろとやることがあったけど、
まわりのいろんな人から善意をもらいました。

まあぼちぼちやるしかないですね、一月はやりすぎないようにセーブしていきます。



次書くのは6ヶ月後だったりして、、


VOL430:激しい雨が、、、


先週は前半は割と寝不足の日が続いた。
アンヘレスの方にでかけていたけど、朝早くから運転していくから
疲れる。

EDSAの渋滞を避けるため、朝とても早く出発する。
途中で腹がへるから、North Express wayのサービスエリアでInasal
というチキン屋で、Breakfast set、肉と卵とご飯のセットオーダー
するが10分くらい待たされたのでちょっとイラッとした。
客はだれもいないんだけど、70ペソくらいだし、
この辺やっぱり田舎だからのんびりしてるなあーと思ってしまう。
マニラの南の人達と違うんだろな、という先入観で見てしまう。

カーナビを使って、田舎の町でもわりと自由自在に目的地
まで辿りつく。
目的地にはいつものようにかなり早く着きすぎて、いつものように
コンビニの駐車場で時間調整で寝る。

雨がしとしと降っていて、クーラーをかけなくても熱くない。
仰向けになると眩しくて寝れないので、顔にタオルをかけて寝る。

アンヘレスの空軍基地というのがあって、昔米軍の空軍基地だった
ところに、現在はフィリピンの空軍基地がある。

基地内には雑貨屋みたいのがあり、米軍基地がなくなった今も
まだDuty free shop が残っているのか、開いているのか、
ただの雑貨屋になるのかはよくわからない。
人影が見えないのだ。

いつもこの基地を通るときは雨が降っていて、アメリカのような、
心なしかフィリピンじゃない雰囲気がある。

ここを通ると何時も僕はなんでこんなところにこんな時間に
いるのだろうかな、と不思議な気持ちになる。

自分で全て仕事から自分でどこに行って、誰に会うかという
ことを決める。
要は毎月の請求書を支払うために、家族のためにやっているの
だけど、

何をして、誰に会って、なにに力を注げばいいか、自分で決めた
ことが、そしてそれがなにかの報酬に結びつくかということは、
それを始めるときにはわからない。
この変な廃れた基地にこんな時間にいる不思議さは、僕に改めて
人生の不思議さを感じさせる。

思えば遠くに来たもんだ、って。それも会社や誰かに命令されるわけでなく、
自分だけの意思でこんなところにいるんだって。

何かを見て考えて、決めて、始めること、走り出したら結果を信じて
ふんばる。

それの繰り返しだ。

それがどういう結果になるのかいつも先のことはわからない。
決まっていない未来に賭け続ける。
たとえ賭けに負けて続けても、勝つまでやめることはできない。

お昼はWoodbellという日本食屋さんでいつも取る。
ここのオーナーさんのBlogはいつも読んでいるけど、この地で根を
張って一生懸命やってらっしゃるのがひしひし感じられるお店。
まだお話ししたことないが、こんど声をかけてみよう。

帰りにハイウエイを走っていると、ものすごい激しい雨が降ってきて、
ワイパーを最高速にしても、非常灯をチカチカやっている車も見えない。
もちろん自分も非常停止灯をつけながら時速50kmくらいで減速する。

誰も早く走れない状態、バスでさえワイパーが雨の膜を一瞬ぬぐい
さった瞬間しか見えない。



やがて雨がやんできた。

North express way はサウスに比べて周りの景色がのんびりしている。
途中になんとかスワンプ(湿地)公園というサインがあって、鳥の住処に
なっているようで、自然が豊かそう、時間があったら行ってみたい。

サービスエリアに入る。
眠くてふらふらするので、車の中で仮眠、3つくらいサービスエリアに
止まっては仮眠、ということを繰り返して、やっと街に戻ってこれた。

その翌日も朝はやくから出かけて、今週はほとんど毎日夜は人との会食が
続きWork outにもあまり行けなかった。

GYMにはなんとか日曜も含めて今週は3回いけた。


僕は外出するのがおおく、移動も多く、作業は家でやるから、自分的には
結構キチキチのスケジュールで平日は回ってる。
その代わり金曜の晩はリラックスモードに意識的に切り替える。
Workoutに集中したり、映画みたりして、土曜は遅くに起き、カフェで
まったりモードでだらだらと写真をとったり、書きモノをする。

生活のリズムの中で集中とリラックスの緩急をつけてやらないと
自分の性分として行き過ぎた集中をしすぎるので、意識的にストップを
かけてリラックスさせてやらないと体が硬いままでその後影響を引き
づることになる。

2日連続でウエイトトレーニングをやると風邪に引きやすいという
傾向に最近気がついた。前から薄々わかっていたのだけど、
人に言われて確信した。

一日ウエイトをしたら、翌日は走って腹筋とか、腕を鍛える程度に
とどめておく。
抵抗力というのはじつは非常にアップダウンが激しい、1時間
くらいみっちりウエイトをすると後で喉が痛くなったりしやすい。

だから僕はWorkoutする、といってもすごく軽くしかやらない。
だらだらと歩いてるだけの時が多い。

平日は汗をかくだけ、とにかく一定時間を歩くだけ。
でっ、週末だけハメをはずしたやり方をする。
週一回だけのWork outならまだしも、翌日もまたWork outするなら、全日の疲れが
取れていないと、同じ運動をしても、疲労物質を貯めこむだけなので、
翌日のダメージを考えてやらないといけない。

Work outの目的は、生活全般の中で筋肉のリラックス、血行の循環回復、
代謝の増加、体重のコントロール、ストレス発散、持久力の増加、病気にならない。

気分転換なんかで、競技者でもなんでもないから。
いかに気持よく毎日を送れるか、それだけが大事。

● なでしこ

今週はいつもの飲み会メンバーでちょこっと集まって、コーヒーで、
金曜の晩のハイストリートは適度に混んでいる。

なでしこジャパンのスウエーデンとの準決勝を見たという人が熱くその試合ぶりを語る。

これで世界の日本を見る目が変わるのではないか、という外国新聞の報道を熱く語るから、
これはぜひ見にゃあかんなというわけで、今一生懸命アメリカのESPNのLive ストリームをやっている
サイトを見つけて試合開始を待っている。

震災の復興、放射能、政局の混乱と暗頓とした世間の雰囲気を忘れ、
日本人の誇りを思い起こさせるようなイベント、誰だって見たいよな。



JAPAN勝ったーーーーみんなお祝いしよう

● ポートレイトを撮るということ


今週は新しい若い日本人の人にあった。
彼はいつもデジカメを持っていて、食べるものを全て記録する。
その写真は本当に記録用で、SDカードが一杯になるとパソコンに
移して、それをどこかのBlogにUPするというわけでもない。

ただ記録は積み上がっていく。
そういう趣味がある人だから、僕もカメラを持っていった。

写真は記録だ、というのが第一にあると思う。

なにを記録したい、という対象は人によって違うけど、僕はいつかは人を
撮りたいという気持ちがある。

モノや風景をとるのと違って、生きている人や動物は自分の目の前で
対峙するから、撮る人との関係性が写真の中に映り込む。

たいていの場合写真をとるよーというと、撮られる人は、それ用の顔を無意識に作る。
変な顔を撮られたくないし、僕の尊敬するフォトグラファーは、人物の写真を撮る人で、

それだけではなく、その人との関係性をたくみな文章で綴って、
その写真がより活きるというタイプの人。

関係性というのは、その写真家と被写体との信頼だと思う。
信頼性を持った上で、被写体の人間をだした写真は、いつも笑顔とはかぎらない。
どちらかというと真面目な顔だ。

1000人とポートレイトをとらないとそういう類の写真をとるのは
上達しないと思うけど、僕は外交的ではないし、知らない人に話しかけるのも
いやだし、カメラマンでもないので、仕事をしている合間にカメラを持ってとかはしない。

仕事をリタイアして、時間の制約なく、いろんな場所へ行って、いろんな人の
写真をとるのが将来の夢だ。

心と時間に余裕がないと、そういうことはできないと思う。

でっ、最近おもしろいなって思ってるのが白黒写真、、
ポートレイトだけでなく白黒でとるとなんでも特別の味わいがでる、、、
といってもそれをどう使うのかはまだ試し中。