ヒト月1000円でどーよ?例えばね。
4月2日、先日のブログに書いたパンツの送り先、宮城県亘理郡亘理町まで、救援物資を届けることになりました。「野菜 de 助け隊(勝手に仮称)」にご協力いただいた皆様へ、ご報告のブログ。
前回大根を持参してくれた瞳、伊藤さん。ミカン30キロを一緒に送ったC.A.Gのグリさん。野菜義援金をくれたアキちゃん。白菜30キロ送ってくれた吉井ちゃん。キャベツ50キロ手配してくれたユキちゃん。キャベツ、ジャガ芋、さつま芋、里芋、人参、玉ネギを千葉から送ってくれた和己くん。みんな、ご協力ありがとう。現地はこんな状況でしたよ、と。
さて、同じ大学の先輩でもあり、学生時代のバイト先の先輩でもあった明日香ちゃんが会社で声をかけてくれて、亘理町まで物資を届けることになりました。
通称西田組。なぜなら、西田組長が率いる組だからダヨ!もちろん。西田組の皆様、本当にありがとうございます!!
さて、今回は
ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、各10ケースと、男女下着靴下400着、マスク、カレールー6キロ。
そして野菜を購入した築地の方から、バナナのおまけ。

これをバンに詰め込んで、西田組4名と、ちっさい私もこっそり参加して、出発。
東北道は比較的順調。那須塩原をすぎたあたりから地震の影響で若干道が悪く、スピード出すと車が飛びます。でも、ほとんど修理されていました。本当に日本って凄いなぁ。復旧が早い。
国見インターを過ぎると、一般車が減り、自衛隊の車両や緊急車両が目立つように。

なんとか無事亘理町の佐藤記念体育館まで、物資を届けました。(前回のブログで佐藤記念体育館に避難、と書きましたが、それは私の勘違い。佐藤記念体育館は、救援物資の集積所でもあり、災害ボランティアセンターでもある場所。先日送ったパンツなどは、亘理中学校の避難所で配布していただいたそうです。)

白石インターを出て、この佐藤体育館までの道のりは、瓦が落ちていたり、木が倒れていたり、道が陥没していたりはしたものの、比較的スムーズで、被害がそんなにひどいとは思えない状況でした。復興が進んでるのかな、とか思いながら、亘理町役場へ物資を納入し、名前や住所などの記載をしながら役場の方とお話する。
体育館外のテントには思っていたよりも野菜が多かったので、物資が届いているのを安心しつつ、「この量で何日くらい持つんですか?」と尋ねると、「3000人の半日分の食料ですよ」と。脇にいた明日香ちゃんが、「1日3食配給できるようになりましたか?」「いやー、まだ1日2食ですね」ん?じゃあ、この大量の野菜は、1食分て事かいな!?「そうですね、このくらいだと」マジですか!?
そもそも3000人分ってのが、想像もつかないんだけど、この量で1食分か。。。いやー、そりゃ足りないハズだよ。
長居をしてもご迷惑かと思い、納入を済ませて早々に帰ろうとしたら、役場の方に「このまま真っ直ぐいくと、荒浜に出ますよ。津波の被害がひどかったんですけど、自衛隊の方のおかげでだいぶ片付いたんですよ。途中まで車も通れるようになりました」と言われ、車で荒浜方面に進んでみることにした。














。。。。
とりあえず言葉がなくなる私たち。見たことのない風景に愕然とする私たち。もうね、景色に色がないの。津波がさらった後は、色がなくなることをはじめて知りました。道端には、津波に流された船や車や家の瓦礫が散乱。「ずいぶん片付いたんですよ」と言っていたけど、確かに以前見た写真に比べたら、水などもひいているけど。でもさ。自分の無力感をヒシヒシを感じる。あー、自分、ちっぽけすぎですわ。津波が残した傷跡はあまりにも大きすぎて、ありえない景色で、でもそれが、現実に起こった悲劇で。現場を実際目の当たりにすると、何も言えません。言葉も出ず、涙だけが出てくる。泣いたところで誰の助けにもならないし泣いても仕方がないので、泣くのを我慢する。こんなの悲しすぎる。
前回貼り付けたYouTubeの場所を通ったら、「あ、こりゃ相当片付いてる」と、やっと思えました。道すがら、多くの自衛隊の方々を見ました。本当に本当に、お疲れ様です。
南三陸町や、気仙沼、宮古でヘルプをしている友人知人たちからは、相当の数の米軍を見た、米軍の配給のサンドイッチが美味かった、米軍の仮設シャワーが便利、道を歩けば米軍にあたる、など、皆、愛情と尊敬を帯びた冗談などを言っていて、米軍情報がかなり届くのだが、私が行った亘理町では、米軍は見かけませんでした。原発まで80キロ圏内なので、立ち入れないのでは?とのこと。自衛隊の方はかなりお見かけしました。
どんな状況でも、皆、やれることをやるしかないんだな。自分の小ささは自覚しつつも(身長じゃあないですよ)、やれることをやっていこう。
そして、たとえ細くとも、長い、継続的な支援が出来る仕組みを作ろう。役場の方が言っていた。「きっとすぐ、忘れられるんですよ。最近やっと物資が届きだしたけど、震災のニュースが終わったら、忘れられて、物資も届かなくなるんです」と。
現場を目の当たりにした私たちは、この悲劇を決して忘れない。つーか、忘れたくても、まぶたに焼き付いて忘れられませんわ。そして、この言葉を聞いて、「啓蒙活動」という支援の形もあるのだと思いました。皆に知ってもらうこと、忘れずにいてもらうこと。まぁ、その一端を担うブログでもあるワケです。
仮設住宅の建設は、材料の調達が難しいため困難なご様子。せめて仮設住宅ができるまででも、継続的に野菜を調達しよう。それには、1人じゃ無理。2人でも無理。でも、100人集まれば、できるかも。
と思っているので、とりあえず「野菜 de 助け隊(仮称)」にご賛同いただける方は、ご一報ください。勝手に考えているのは、1人千円/月の支援で、100人集めて10万円。これを、亘理町、という1つの町に、野菜、という小さなカテゴリーで支援していくのはどうかな。送るか運ぶかは、状況と人手次第。収支は100人全員に全てを公開する。これを、仮設住宅が出来るまでの期間、半年程度、継続して支援。とか。とか。かなり大雑把な考えだけど。
できるだけ個人の負担を少なく、できるだけ継続的に支援できる方法を模索中です。なんせ金がないもんで、自分で動くしかないんです。本当に不甲斐ない、自分。
沢山稼いで、沢山支援する。自分が倒れないよう、しっかり立てるように。
みなさん、力を貸してください。
Do for JAPAN !!
そして、父とのお話。
実家、二本松の火葬場には、相馬でお亡くなりになった方のご遺体が運ばれてくる。身元がわからないまま、誰一人見送る人もおらず、「A-2」「B-5」といった番号でお火葬をされる。父はボランティアで連日火葬場でお経をよんでいるが、津波でお亡くなりになってから3週間も放置されたご遺体は、ご遺族の方でも直視できないほど酷い状態。土日はやっと、お火葬がなかったんだ、と言っていました。酷い状態のご遺体を前に、誰もいない中、一人でお経をよむ父の姿を思うと、それもまた切ない。が、ボランティアで、と書いたが、父には「ボランティアじゃないんだよ、これはお父さんの使命ですから。お仕事ですから」と言われた。父も私同様、ボランティアという響きがキライらしいww
次男も、父同様、ボランティアでお経をよんでいる。
長男は、新潟から仙台、気仙沼、石巻へ、物資を運びつつ、救援活動に参加し、かなり酷い状況の中、お経をよんでいる。
追記:「野菜 de 助け隊(仮称)」は、亘理町から頼まれたワケでもなく、ましてやNPOの団体でもなく、私個人が勝手にはじめた活動です。「そんな事は国に任せておけ」ともご意見いただきましたが、政府の総務に問い合わせしたところ、「生鮮食品の配給は現時点でしていない」とのこと。国に任せられないから、小さくても自分でやっているワケです。なんせ個人なので、大々的な寄付や支援をお考えの方は、それなりに大きな、日本赤十字などの団体に寄付される事をオススメします。

manifica men's underwear
前回大根を持参してくれた瞳、伊藤さん。ミカン30キロを一緒に送ったC.A.Gのグリさん。野菜義援金をくれたアキちゃん。白菜30キロ送ってくれた吉井ちゃん。キャベツ50キロ手配してくれたユキちゃん。キャベツ、ジャガ芋、さつま芋、里芋、人参、玉ネギを千葉から送ってくれた和己くん。みんな、ご協力ありがとう。現地はこんな状況でしたよ、と。
さて、同じ大学の先輩でもあり、学生時代のバイト先の先輩でもあった明日香ちゃんが会社で声をかけてくれて、亘理町まで物資を届けることになりました。
通称西田組。なぜなら、西田組長が率いる組だからダヨ!もちろん。西田組の皆様、本当にありがとうございます!!
さて、今回は
ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、各10ケースと、男女下着靴下400着、マスク、カレールー6キロ。
そして野菜を購入した築地の方から、バナナのおまけ。

これをバンに詰め込んで、西田組4名と、ちっさい私もこっそり参加して、出発。
東北道は比較的順調。那須塩原をすぎたあたりから地震の影響で若干道が悪く、スピード出すと車が飛びます。でも、ほとんど修理されていました。本当に日本って凄いなぁ。復旧が早い。
国見インターを過ぎると、一般車が減り、自衛隊の車両や緊急車両が目立つように。

なんとか無事亘理町の佐藤記念体育館まで、物資を届けました。(前回のブログで佐藤記念体育館に避難、と書きましたが、それは私の勘違い。佐藤記念体育館は、救援物資の集積所でもあり、災害ボランティアセンターでもある場所。先日送ったパンツなどは、亘理中学校の避難所で配布していただいたそうです。)

白石インターを出て、この佐藤体育館までの道のりは、瓦が落ちていたり、木が倒れていたり、道が陥没していたりはしたものの、比較的スムーズで、被害がそんなにひどいとは思えない状況でした。復興が進んでるのかな、とか思いながら、亘理町役場へ物資を納入し、名前や住所などの記載をしながら役場の方とお話する。
体育館外のテントには思っていたよりも野菜が多かったので、物資が届いているのを安心しつつ、「この量で何日くらい持つんですか?」と尋ねると、「3000人の半日分の食料ですよ」と。脇にいた明日香ちゃんが、「1日3食配給できるようになりましたか?」「いやー、まだ1日2食ですね」ん?じゃあ、この大量の野菜は、1食分て事かいな!?「そうですね、このくらいだと」マジですか!?
そもそも3000人分ってのが、想像もつかないんだけど、この量で1食分か。。。いやー、そりゃ足りないハズだよ。
長居をしてもご迷惑かと思い、納入を済ませて早々に帰ろうとしたら、役場の方に「このまま真っ直ぐいくと、荒浜に出ますよ。津波の被害がひどかったんですけど、自衛隊の方のおかげでだいぶ片付いたんですよ。途中まで車も通れるようになりました」と言われ、車で荒浜方面に進んでみることにした。














。。。。
とりあえず言葉がなくなる私たち。見たことのない風景に愕然とする私たち。もうね、景色に色がないの。津波がさらった後は、色がなくなることをはじめて知りました。道端には、津波に流された船や車や家の瓦礫が散乱。「ずいぶん片付いたんですよ」と言っていたけど、確かに以前見た写真に比べたら、水などもひいているけど。でもさ。自分の無力感をヒシヒシを感じる。あー、自分、ちっぽけすぎですわ。津波が残した傷跡はあまりにも大きすぎて、ありえない景色で、でもそれが、現実に起こった悲劇で。現場を実際目の当たりにすると、何も言えません。言葉も出ず、涙だけが出てくる。泣いたところで誰の助けにもならないし泣いても仕方がないので、泣くのを我慢する。こんなの悲しすぎる。
前回貼り付けたYouTubeの場所を通ったら、「あ、こりゃ相当片付いてる」と、やっと思えました。道すがら、多くの自衛隊の方々を見ました。本当に本当に、お疲れ様です。
南三陸町や、気仙沼、宮古でヘルプをしている友人知人たちからは、相当の数の米軍を見た、米軍の配給のサンドイッチが美味かった、米軍の仮設シャワーが便利、道を歩けば米軍にあたる、など、皆、愛情と尊敬を帯びた冗談などを言っていて、米軍情報がかなり届くのだが、私が行った亘理町では、米軍は見かけませんでした。原発まで80キロ圏内なので、立ち入れないのでは?とのこと。自衛隊の方はかなりお見かけしました。
どんな状況でも、皆、やれることをやるしかないんだな。自分の小ささは自覚しつつも(身長じゃあないですよ)、やれることをやっていこう。
そして、たとえ細くとも、長い、継続的な支援が出来る仕組みを作ろう。役場の方が言っていた。「きっとすぐ、忘れられるんですよ。最近やっと物資が届きだしたけど、震災のニュースが終わったら、忘れられて、物資も届かなくなるんです」と。
現場を目の当たりにした私たちは、この悲劇を決して忘れない。つーか、忘れたくても、まぶたに焼き付いて忘れられませんわ。そして、この言葉を聞いて、「啓蒙活動」という支援の形もあるのだと思いました。皆に知ってもらうこと、忘れずにいてもらうこと。まぁ、その一端を担うブログでもあるワケです。
仮設住宅の建設は、材料の調達が難しいため困難なご様子。せめて仮設住宅ができるまででも、継続的に野菜を調達しよう。それには、1人じゃ無理。2人でも無理。でも、100人集まれば、できるかも。
と思っているので、とりあえず「野菜 de 助け隊(仮称)」にご賛同いただける方は、ご一報ください。勝手に考えているのは、1人千円/月の支援で、100人集めて10万円。これを、亘理町、という1つの町に、野菜、という小さなカテゴリーで支援していくのはどうかな。送るか運ぶかは、状況と人手次第。収支は100人全員に全てを公開する。これを、仮設住宅が出来るまでの期間、半年程度、継続して支援。とか。とか。かなり大雑把な考えだけど。
できるだけ個人の負担を少なく、できるだけ継続的に支援できる方法を模索中です。なんせ金がないもんで、自分で動くしかないんです。本当に不甲斐ない、自分。
沢山稼いで、沢山支援する。自分が倒れないよう、しっかり立てるように。
みなさん、力を貸してください。
Do for JAPAN !!
そして、父とのお話。
実家、二本松の火葬場には、相馬でお亡くなりになった方のご遺体が運ばれてくる。身元がわからないまま、誰一人見送る人もおらず、「A-2」「B-5」といった番号でお火葬をされる。父はボランティアで連日火葬場でお経をよんでいるが、津波でお亡くなりになってから3週間も放置されたご遺体は、ご遺族の方でも直視できないほど酷い状態。土日はやっと、お火葬がなかったんだ、と言っていました。酷い状態のご遺体を前に、誰もいない中、一人でお経をよむ父の姿を思うと、それもまた切ない。が、ボランティアで、と書いたが、父には「ボランティアじゃないんだよ、これはお父さんの使命ですから。お仕事ですから」と言われた。父も私同様、ボランティアという響きがキライらしいww
次男も、父同様、ボランティアでお経をよんでいる。
長男は、新潟から仙台、気仙沼、石巻へ、物資を運びつつ、救援活動に参加し、かなり酷い状況の中、お経をよんでいる。
追記:「野菜 de 助け隊(仮称)」は、亘理町から頼まれたワケでもなく、ましてやNPOの団体でもなく、私個人が勝手にはじめた活動です。「そんな事は国に任せておけ」ともご意見いただきましたが、政府の総務に問い合わせしたところ、「生鮮食品の配給は現時点でしていない」とのこと。国に任せられないから、小さくても自分でやっているワケです。なんせ個人なので、大々的な寄付や支援をお考えの方は、それなりに大きな、日本赤十字などの団体に寄付される事をオススメします。

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