邪馬台国論争の違和感 | 知的スピリチュアル講座

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人は毎日少しの時間でも『無我』になることによってのみ、
運勢を好転させることが出来るのです。

なぜなら、エゴ(自我)が幸運の邪魔をしているのです。

 もしハシハカ古墳が卑弥呼の墓であれば卑弥呼が最低でも100年は生きていることになるのです。

あの時代にそれはないでしょう。

 

まして魏志倭人伝には卑弥呼の死後に国が荒れたとも書かれているのですから、あの大きさの墓を卑弥呼の墓とするのは少し無理があるのではと考えます。

 

ですから筋道を通して考えるとハシハカ古墳を卑弥呼の墓と考えるのは難しいというレベルではなく、ほぼ無理というレベルです。

 

それを多くの学者が支持しているのですから信じられません。

 

魏志倭人伝が正しいという前提であればそうでしょうが、正しくないという前提でも考える必要はあるのです。

 

邪馬台国畿内説とは魏志倭人伝の記述が正しいという前提なのです。

 

大和王権が畿内で誕生しているから畿内だと考え易いのですが、邪馬台国と大和王権の間には200年という時間が存在しているのです。

 

200年という時間には様々なことが起こるのです。

ですからそれを直接結びつけるのは筋道にはなりえないのです。

 

邪馬台国が畿内にあったと言うのであれば、もっと古い時代の証拠を出すべきなのです。

 

状況証拠からすれば卑弥呼は西暦150年前後だと考えるのが最も自然なのです。