まずは夏目漱石の「こころ」。
初読は小学校6年生で、以後中高時代にも何度か読み返しています。
漱石は結構好きでいくつか読んでいましたが、一番付き合いが
長いのはこの「こころ」だと思います。
当時は多分、自殺の是非などを考えていたのではないかと思いますが
やはり大人になってから読むと、子どもにはわからないものが
いろいろ見えてくるような気がします。
それは意外とたくさんあるのでどこに焦点当てるかでしょうね。
たとえば、Kの自殺、あるいは先生の自殺・・・といったように。
漠然と考えていると、感想らしいものはまったく書けません。
他の小説にもそれは言えることだけれど、「こころ」は特に
その気が強いタイプかも・・・とても気に入っているのに
感想が特に書きづらい小説って、なぜかあります。
今回、数十年ぶりに読んでみて「先生」の長年引きずってきた
自己嫌悪感や孤独感が妙に身に染みました。
信頼していた叔父にこっぴどく裏切られた自分。
下宿先のお嬢さんに恋をし、その彼女に同じように思いを寄せる
友人Kの告白を受け、嫉妬と焦りからKには何も告げず
下宿の奥さんにお嬢さんとの結婚を申し込み、受諾される。
いわば出し抜いたわけです。
それを知らずにいたKがその夜に自殺してしまう。
このKの死を発見した時の先生の内面描写などは見事だと思う。
自分の行動(結婚の申し込み)によりKは自殺したのかもしれないという
驚きと恐怖。
でもKが一言も先生の行為に触れていないことに安堵するさま。
多分とても普通の反応だろうとは思うのだけれど、先生にしてみれば
憎むべき叔父と同じように人を裏切ってしまったことや
理想を掲げて思索に生きてきた自分を、貶める恥ずべき事件だったことだろう。
これが後々まで先生につきまとっていくわけですね。
おそらく誰にでも一つや二つ思い出すのもいやな、自分なりの恥ずべきことは
あるのじゃないかと思います。
それはもういくら心を入れ替えて、同じ行動を二度としていなくとも
その事実は生涯消えることはないですからね・・・う~ん、こういうことを
思うようになってしまったのか、私は・・・というなんとなく悲しい気持ちで
読みましたです、ハイ。
自分が親になっているせいか、中盤の「両親と私」の章も結構身に染みましたね。
親の期待、近所の期待、自分の実質的な実力とのギャップなどなど
本人には相当重たいものですよね。
でも親心もわかるし「私」の気持ちもわかるな~。
それにしても、この実父が明日をも知れぬ危篤状態の時に
いかに尊敬する先生であろうと、すでにこの世にない(と思われる)
先生のもとへ駆けつけたそのこころはどういうことだったのだろう?
命のあるものを優先するのが、多分普通のような気がするのですが。
ましてや真の身内です。
この「私」にとって「先生」とはいかなるものだったのか?
また「先生」にとっての「私」は?
次はこのあたりを考えながら読んでみようと思います。
「明治の精神に殉死する」と先生は遺書の中で書いていますが、
高等教育を受け、先進的な考えを持っていた先生ですら
やはり根源となる明治の精神は捨てきれないのですね。
その時代を生きてきたのだから仕方ありませんが、
私が想像する以上に新しい時代を迎えるということは
大きなできごとだったのでしょうか。
孤独感とか閉塞感、それから大学を出ても希望の仕事に就けないことなどは
現代とも意外と重なる部分もあるのかも、と思いました。
今年は漱石メインで読もうかな~♪
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