村上春樹の小説を読んでいると、孤独な登場人物が結構出てきます。
が、彼らの孤独について村上春樹は「イコール 寂しさ」としていないと思う。
孤独との付き合い方が上手と言うか、肯定的な対処をしているような。
私が思う村上春樹的孤独というのは、他人に対して節度と適度な距離感を置いた
知性と強靭なハートあってこそのもので、いわゆるハードボイルドに近いかも。
私にはこれがとても好ましく思えます。
今回この「レキシントンの幽霊」を再読して、そこが私の共感ポイントの
一つなんだなと改めて認識した次第。
孤独というとどこかこうネガティブな印象で捉えがちですが
こんなかたちもあるのですよね。
「つながっているよね」「ひとりじゃないよ」などと今どきはやりの歌詞で
救われるならそれはそれで良いのですが、誰かと何か共有するものがあったとしても
孤独な時は孤独だからね・・・それでシンプルに済むこととは思えないし、
やはり自分を鍛えないと・・・と考えていますが。そう思うのは
私がもう若くないからなのかな。
でも割と若いころ、というよりもかなり子供のころからこの感覚は
漠然としつつも私は持ってはいたけど・・・。
もちろん村上春樹の作品中にも、肯定的というか能動的な孤独だけでなく
「絶望的な孤独」と呼べるものも出てはきます(たとえば多崎つくるが友人たちから
絶縁宣言を受けた数年間とか)が、最終的に、あるいは小説は終わってしまっても、
書かれていないその先・未来ではこの絶望感を乗り越えているような気がします。
なにかそんな強靭な力を感じます。
収録作品のうち、表題作に関しては記憶にないけれど、それ以外はほかの短編集にも
収録されているのでいずれも複数回読んでいます。
何度読んでも「トニー滝谷」「沈黙」はとても好きな作品です。
今回は特に「孤独」ということに目を引かれたのですが、これらはストーリーだけでなく、
主人公が孤独と言うことをどのようにとらえて向かい合っているかを表現する文章そのものが
大変に素晴らしかった。
私は偏った読書傾向があるので、あくまでもその偏狭な読書経験の中でのことですが
こんなにうまい表現をする方はちょっといないなあ、と思います。
ところで先にも書いた通り、村上春樹の短編はあちこちで再収録されており
その多くが手を入れられて、より長くなったり、より短くなったりしています。
私は意識して読み比べはしていないのですが、それでもいくつかを読んでみて
大抵の場合、書き直ししていない…要するに初出のものの方が良いように思っています。
が、今回「めくらやなぎと、眠る女」のみ、手近にあった「蛍・納屋を焼く」に
収録されたものと読み比べてみました。
「蛍・・・」の収録分が先に世に出たものですが、こちらはかなり長いです。
ついでに言うと区別するためタイトルが「めくらやなぎと眠る女」と、
こちらはカンマがありません・・・細かいヒトだね・・・。
で、この作品に関しては今回読んだ「めくらやなぎと、眠る女」つまり
ショートバージョンの方がすっきりしていてよいと思いました。
でもこんなマニアックなことを始めるときりがないので、ほどほどにしましょうね。
なお余談ですが、この作品に手を出したのは、先に読んだカポーティの
「ミリアム」に出てきた「レキシントン(こちらは多分通りの名)」と言う
キーワードと、そこで描かれているのが「幽霊」ではないけれど得体のしれないもの
(孤独とそれによる不安感からか?)というイメージがきっかけでした。
カポーティも「孤独」を描くと言われていますが、村上春樹の孤独感は
カポーティの孤独感とはちょっと違うように思いました。
カポーティは本当にひとりであることの不安がメインで、強さは感じられない・・・
と思う。どうかな??
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