「緑の家」 マリオ・バルガス・ジョサ | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.



3年位前に手に入れ、2年ほど前から読み始め・・・遅々として進まずという作品。

ジョサの作品はほかに短編を数本読んだだけなので、こういう傾向ということは
断言できないけれど「緑の家」には過去に読んだものと同様、会話文において
「」が使われていたりいなかったり、主語も不明確という点などが共通してある。
でもとにかく「緑の家」はこれまで読んだものと比較にならないほどわかりづらかった。

最初の取っ掛かりからなかなか入り込めず、仕方ないので前半はかなり丁寧に
複数回読み返したものの、やはり入り込めないという感覚のまま数か月放置してしまった。
ようやく先日、これじゃあね・・・と意を決して残り3分の2を理解することをまず
放棄して、読了することのみを目標に義務感のみで終えたのでした。
こンな読み方に一体何の意味があったのだろう・・・とも思うけど。

熱帯雨林の湿気や熱さ、そして色彩は十二分に伝わってくるのだけど、
なにがなにやら・・・でも多分、きっちりとした人物相関図とか、
時系列を示した年譜などはこの小説においては意味のないことなのかもと思いました。
そういうことが重要なら、それなりの注意がなされることでしょうから。
ただただ洪水のような文章の中から、受け取るもの感じるものがあったらば
幸いなるかな・・・という感じなのかな。
でも私の場合は、もう「やめた~い!!」という大変みじめな思いとともに
終わっただけでしたが。

ただ一つ思うのは「緑」というのはスペイン語圏の人にとっては
ある意味を持つ言葉…前にも書いたけれど、いかがわしいとか猥褻という
ような意味合いがあります…「緑の家」と聞いただけで(ははあそっちの
お話?)と思うこともあるかもしれません。
話の中の「緑の家」はある娼館の名前になっていますが、緑あふれる
アマゾンの密林全体がプリミティブな営みの場としての「緑の家」なのかなと
いう考えを無理やり引き出してみたりして。
う~ん、でもやはりどんな話なのか・・・ワタクシには全くわからないですね。
で、リベンジするか?となったら(いや、しばらくジョサは結構です)という感じだな。

先にも書いたように熱帯感・色彩感は大変強く感じることができるし、
その中での土着と新興の宗教のはざま的な感覚とか、生きとし生けるものたちの
命の鼓動みたいなものもとても強く伝わってはくる。
こういう点は、マルケスともかなり共通しているように思うのだけど
何かがどこかで違うのでしょうねえ…凡人には理解不能ですわ。

・・・というわけで、今回は感想というよりも敗北宣言でした。
いや、もう悔しいという気持ちもないよ。
とにかく読了おめでとう、自分!という感じだ。やれやれ。



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