「お菓子とわたし」 森村 桂 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.



ここ数日、時間があるとお菓子作りをしているのですが、その原因?のひとつが
ふいに「キャトル・キャー」というお菓子の名前を思い出したから。
これは「パウンドケーキ」のフランス語での呼び方なのですが
作り方は実に簡単で、今でもレシピは覚えているくらい。

で、このお菓子が出てくる、昔とても好きで読んでいたあの本を
ぜひもう一度読みたいなと思ったのです。
桂さんのお菓子に対する情熱と、出てくるお菓子にひたすらあこがれて
何度も読んだものですが、昨日、実家に日帰りして来た際に持ち帰り
久しぶりに読みました。

キャトルキャーだけでなく、バナナケーキとかロックケーキとか・・・ああ、そうそう
これらもみんな、真似して作ったっけなあ・・・と懐かしく読みました。
会員制のお店の「お姫様のシュークリーム」とか、夢のようだと思っていたけど・・・
今は、そのお店が(ああ、あそこね)なんてわかるような年になってしまった。

この方の本を読んでいると、作りたい・旅したい意欲がものすごく刺激されます。
それは昔も今も変わらないですね。
海外旅行ではなく、海外に長期滞在したいという想いを持つようになったのも
この方の「天国に一番近い島」の影響も少なからずあるし。

桂さんの本には本当に勇気付けられたし、こんな風に自由に(自由と思えた)
生きることは私の憧れでもあった。
結婚してからも、実家に帰るたびに軽く読める彼女の本は折に触れて読み返してきた。

ただ、年を経るごとに、なんとなく彼女の書くものに違和感を感じるように
なっているのも確かで、昔みたいに「大好きだ!」とはいえなくなってもいる。
もう鬼籍に入られて久しいし、読み返すのはすでにわたしが追い越してしまった
年齢で書かれたものだからなのかもしれない。

同じことは林真理子とか、太宰治の作品にも言えて、好きで好きで
夢中で読んだ感覚はいずれに対しても残っているのに、今はなんだか
う~ん??という感じでちょっと残念。
どこがって・・・たとえば他人に対する思いのあり方、時に過剰に攻撃的だったり
身勝手さを感じたりとか、階級差別的なものとか・・・いろいろ、
今読むと素直に流せないいくつかの部分が意外とあるのだ。
加えて、桂さん、太宰治はその人生の終わり方を知っているからかもしれないし、
林真理子はなんだか違う時元にってしまったこともあるのかな。

そしてわたしは私でまた自分なりの信念みたいなものができているわけで、
彼らとわたしのベン図の重なる部分が極端に少なくなってしまったのかもね。
筆者の若い時代に書かれた私的なエッセイや、
あるいは私小説的なものだからそんなこともあるのかな、と思う。
定番的な世界の名作みたいなものだと、いつまでたっても「好き」は
変わらないかも、と思う・・・今考えている範囲では・・・たぶん。

でも「熱烈に好きだった」という感覚は確かなものだ。
それゆえに、ちょっとこういう感情を持つ自分自身についても悲しいですね。




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一時期のマイ・バイブル。
森村桂といえば表紙は久里洋二さん(↑上の本と同じ)だったのですが・・・。


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