村上春樹翻訳。いくつかの作品は既に読んだことがあったけれど、
スックとバディが主人公の3作品をまとめて読めてよかったと思う。
ひとつひとつの作品がまるで絵画のようだった。
色彩的な描写が鮮やかで、この作品はこんな色とイメージが残る。
既読の作品も、改めてある時代のある人物にまつわる話をメインに
こうして並べてみると、連作というか画集のような感じ。
クリスマスや感謝祭、それにまつわる家族や子どもたちのお話なのに、
決して明るいトーンで描かれてはいないし、温かい気分になるわけでもない。
でもそれゆえに美しい色彩の描写が際立っているように思う。
そんな中「無頭の鷹」だけが抽象的な立体造形みたいな感じだった。
ちょっと異質で難しい・・・けど多分、抽象芸術の解釈と同じく
それぞれがそれなりに心に感じるままで良いのかなと思う。
一番印象的で好き、というか心惹かれる作品は「感謝祭の客」。
スックが珍しく、バディの策略に怒りを露にして諭す場面は
心臓をぎゅ~っと掴まれたようだった。
そしてその場に臨席していたかのようにしんとした気持ちで読み終えた。
なぜこのシーンで私は泣くのだろう?この感覚はどこから来たのだろう?
でもとにかく、とても哀しい(悲しいのではない)。
共感できるようなエピソードが特別あるというわけではないのに、
なぜか読後にこんな気持ちになってしまう作品というのは
ほかの作家にもあって、たとえば私の場合はブラッドベリや
萩尾望都の作品などの読後に感じることが特に多いけれども、
それは主人公の中に残る自責の念や、何かを手に入れるための努力とか
稚い策略とか、身近な愛着ある人や物への想い、そしてそれを年齢がために
実行に移すことができない無力さとか、そういったものゆえなのかもしれないです。
ということはやはり失われし時間への想いということか。
う~ん、本当に尾を引きますねえ。たまらないなあ。
ただ、空を見上げるとか、黙って部屋に戻るとか、そんなささやかなシーンの描写だけで
読み手である私の涙腺をじわじわと刺激してくれて、そしていつまでもいつまでも
心に余韻を残していく。
カポーティは枠がないというか、こういうタイプの小説家だと限定しづらい
多彩(多才)な作家だと思うけれど、そういうところは訳者の村上春樹と重なるかも。
カポーティの、とてつもなく美しいと評されるその原文を読めないのは
とても残念だけれど、村上春樹が読み込んで読み込んでさらに熟成させて、
そして愛と尊敬の念とともに訳されたというのは、この選び抜かれた言葉たちからも
伝わってくる。良い作品を読めてよかった。
私はごくたま~に、それもごくごく一部の親しい人にしか本を勧めたりはしないけど、
これを読まずに人生終えるのはもったいないと思うよ。
誕生日の子どもたち (文春文庫)/文藝春秋

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