「1Q84」その後 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.


海外から帰国した友人に「1Q84」をプレゼントしたけど、結局彼女、
日本にいるあいだに読了してしまい、その後はお母様が読むことになったそう。
で、帰国した彼女といろいろあの作品についてメールのやり取りなどしております。

彼女が疑問に思ったのは、私が必殺仕置人である青豆がなぜ幸福になれないだろうと
考えるのか?ということだそうです。
私にとってはそう思わないことの方が疑問なんだけど、別の友人に話してみたところ
やはり私のような考え方の方が少数派だろうとのこと。
確かに、読書メーターなどの感想を見ても「青豆と天吾が再び出会えて
よかった」みたいな感想が多かったのですが、あそこは割と似たようなことを
書く方が多いので、あまり気にしていなかったのですよね。
とはいえ、青豆が幸福になることに疑問を持っている人が全くいないということにも
私としては引っ掛かりはあったのですが。

ではなぜ私が青豆が幸福になれないと思うのか?

青豆がもし、仮面ライダーであるとかなんとかレンジャーであるなら
私も拍手喝采したと思う。
勧善懲悪のお話は大概私も含め、皆の大好きなお話だからね。
それが世間の認めたお仕事なので、あの正義の味方たちはそれで良いと思う。

でも青豆に関しては、確かに彼女たちの価値観としてはもちろん、
私たちが客観的に見ても「そうされても仕方ないよね」という相手を
永遠に眠らせることを生業としていること、それを胸を張って
人に言える立場にはないし、またそのことが許される世界にも
生きていないはず。

この仕事について青豆はもっと身近な存在の自分の子供に、
あるいは愛する天吾に語ることができるのか?と考えてみると
それはできないだろうと思うのだ。
つまり、家族に嘘をつかなくてはならない。
「自分は必殺仕置人である。たくさんの人間を殺めてきた」という事実を
家族に語れないということは、やはり青豆にとっての重荷になるだろうし
そのことゆえに彼女にとって、それから家族としての「シアワセ」というものを
手にすることができるかが疑問なのですね。
友人が補足してくれてたことですが、もしも家族に隠していくのならば
そのための不要な嘘もつかなくてはならなくなるだろうしね。

以前書いたことがあるけれど池田理代子の「オルフェウスの窓」でも
主人公のユリウスが、自分と母親の秘密をネタに強請を行っていた
タチの悪い医師を殺害してしまった時から、もう2度とユリウスは
幸せを手にすることができないという思いでいっぱいになってしまったし
そして実際あのお話は、悲劇として幕を閉じる。
もちろんあれは、その事件があろうがなかろうが悲劇的な作品には
なっただろうけど。ただその後の悲劇を暗示する出来事ではあったと
今も思っています。
が、もしかしたらほかの人は誰もそんなことを思っていなかったのかしら?
私にとっては、それはとても不思議なことなんだけど、
数から言ったら異端なのは私ってことになりますね。

でもとにかく、単に天吾と青豆、ふたり再び出会えてよかったね!
以後(多分)ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ、というお話では
ないだろうと私は思っているわけです。

そしてもうひとつ。
確かに彼女の手にかかった人間たちは、ろくでもない人間ばかりで
そうされて然るべきとはいえ、そのろくでなしどもに彼女が罰を下して
良いのか、その資格があるのか?ということはやはり疑問なのだ。

日常的に流れるニュースの中にだって、犯人への同情を禁じえない
事件も少なからずある。
だけど、それを罰することは、秩序的にも個人の思想や感情の範囲内で
行って良いことではないでしょう。
残念ながら、一般の人々が感じるのと同様の判決が下ることが
常とは言えないけれども、それでも私は他人を罰する資格があるのは
ごくごく限られた一部の存在だけではないか思います。
これもまた友人がかいてくれたことで、なるほどと思ったのですが
先にも書いた、嘘の積み重ねと彼女の判断による不正義を罰し続けて
いくことにより、さらなる不要な嘘や仕置を招くことにもなりかねない
ですよね。

このあとがあるのか、ないのか・・・友人曰く、4~6月から始まって
いるから、1~3月を今後出したとしても、会計年度の「1Q84」に
なってしまうわよね、と。
・・・なるほど~、そうですよね。
というわけで続刊については皆様同様まったくわかりませんが、
ただ天吾・青豆・生まれてくる子供の3人が核となって、
また壮大なサーガが生まれる可能性もあるかな?と思ってみたり・・・
でも今の村上春樹にはそういった終わりなき世界を描き続けることには
興味ないかもしれないなと思ってみたり。

8月号の「英語で読む村上春樹」の対談の中で、あの3人はまるで聖家族だと
対談者が語っており、さすがにそこまでは思い至らなかったけど、
ああいう出現の仕方をした子供ならば、後半多少対応が懐柔されたように
見えた教団と今後関わりを持ちながらある種の世界などを築いていく
可能性は無きにしも非ずだなというのは、あとから書くのもナンですが
私も多少思っていました。

ま、ね・・・時々(今もそうだけど)はっ!と、これもあれも
単にフィクションじゃないか、何をワタシは真剣に考えているんだ!?
なんて思ったりもするんだけど、日常的にありがちなことを描いた小説よりも、
ナンダカヨクワカラナイ村上春樹の世界の方に感情がひっぱられて
いつまでも、ああでもないこうでもないと考えてしまうことの方が
圧倒的に多いのは以前にも書いたとおり。
まことにまことに不可思議なことですが。

まだまだ彼女とはこのやりとりは続きそうです。
アメブロのコメント欄や、読書メーターのわずかな感想スペースでは
とてもやりとりできることのない内容が語れて大変に有意義でした。
ひとり読むのも楽しいけど、そこだけで完結せずにこうしてまた
人の考えにより、自分の考えの偏りも含めた傾向を自覚できたり、
世界広がるのもとても楽しいことですね。
これもまた読書の醍醐味のひとつかな。
私の考察もまだ続くと思います。


それにしても・・・手元にあの本がないのがもどかしい。
いずれまた入手して、読み直してみたい作品となりました。



1Q84 1-3巻セット/新潮社

¥5,775
Amazon.co.jp


平成ライダー。好きなのはやはり555ですね、私は♪





日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス