一夜明けると・・・ちょっと感じるものが変わってくる。
はたして感想は、読了直後が良いのか、時間が経ってからのほうが良いのか?
・・・は、わかりませんが「パンドラの箱」なんて言葉を連想してしまった。
37歳の始(はじめ)は、そこそこの大学を卒業し2流の出版社に就職。
八ヶ岳旅行で、妻となる有紀子と出会い強烈に惹かれるものを感じて結婚。
有紀子の実家の援助もあり、青山にバーを開店し成功。
水準以上の生活をし、妻と子供を愛し、順風満帆の生活を送っている。
が、心の中には小学校時代の初恋の人、島本さんと、高校時代ひどく
傷つけてしまったイズミがいる。
37歳になったとき、突然島本さんが始のバーに現れ、始は有紀子たちを
捨てる決意をするのだが・・・。
村上春樹の文章、やはりうまいな~と思わずにはいられない。
簡単にまとめた上のあらすじのような小説はいくらでもあるし、
これを渡辺淳一や林真理子が書いたら相当どろどろしてしまいそう。
が、始の内面を描くことで全く別物のような世界になっているのはさすが。
このあたり、テレビや映画では、まず表現しきれないものだと思う。
始の持つ孤独感はとてもよくわかる(様な気がする。私なりに。)
それは割と能動的な孤独感であって、単に友達がいないから孤独とか
誰とも分かちあうものがない孤独と言うような単純なものではなく、
むしろあえて積極的に孤独な世界にいることを願っているのではないか?
それと同じものを持つのが島本さんだった、ということだと思う。
ただそういう内面の葛藤を取り除いてしまうと、やはり
始は何に対しても満足しきれない贅沢ものに見えてしまう。
でもこういうことは多分巷に溢れかえっているとは思う。
手に入れられなかったから輝かしく思えるものはたくさんあって
それに執着してしまうのだろうけど、どちらを選んでも、
きっと生涯後悔し続けることにはなると思うけど。
ワタクシは有紀子のように鷹揚ではありませんので、
二者択一をしている時点で用済みなのは間違いありません。
ある意味私にとってはこの本「踏み絵」みたいな気がする。
私の踏み絵ではなくて、私が踏み絵として差し出すわけだけど。
で、多分この踏み絵を差し出された選ばれし人たちはぐわ~ん!と
ショックを受け、果てない過去への旅に出ることになるだろうと思うのだ。
そういう意味でこれを「パンドラの箱」になり得ると思ったわけです。
一部の読者にとっては。
「ノルウェイの森」の大人バージョンといった風情の小説だった。
「ノルウェイ・・」では緑以外の人からのエネルギーはなかなか
感じられなかったけれど、この小説でも、特に後半の島本さんやイズミは、
もうホラーの世界に近いような印象で実体を感じられず怖かった。
「砂漠だけが生きている」という美しい言葉が出てきたけれども
その砂漠の上の蜃気楼のような印象を後半以降の二人に感じた。
若い読者よりも、人生半分過ぎちゃったな~という方のほうが
味わえるというか、始とともに悶えることができるというか・・・
そういう小説だと思う。
脛に傷がひとつや二つや三つや・・・ある方はぜひ~♪
国境の南、太陽の西/村上 春樹

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