「地獄で仏」 ナンシー関・大月隆寛 対談 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

前回、対談はやめようと思ったのですが、対談集が3冊出ていて
あと1冊読めば・・・となるとコレクター気質の人間はもう
どうしようもないのです。

で、私はまたもや大きな勘違いをしていて「大」と「隆」だけで
「幸福の科学」の大川隆法との対談と思い込んでいたのです。
一体、文藝春秋社の雑誌でそのようなことが許されるのか?
という興味もあって(思い違いだったけど)読んでみました。
実際は民俗学者さんだそうです。
テレビにも出演されているらしいけど、私は認識なし。

ちょうど阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件、
そして麻原逮捕などがあった頃のようです。
他にビートたけしの事故とか。

前にどこかで見たけど、前回の町田広美さんとの対談も
今回のこの大月さんとの対談も、かなり評判はいいみたい。
でも私には、町田・大月どちらともが、どこかナンシー関に
フィルターかけていたように見えます。
自分の持っていた意見+サービス意見という感じで語る内容が
過剰になってしまうというかな。

もともと「なんか変だぞ」的なものが主体だから、話題の対象には
とほほな気分を持っての対談ではあります。
でもそれが必要以上の悪口大会に発展してしまったような気がして
私には前回同様、読後感がよろしくないのだと思います。
それでも町田広美さんとの対談と比べたらずっと控えめでしたが。

大月さんも町田さんも鋭いことはたくさん言っていて
おしなべて面白いのです。
だけど話が盛り上がりすぎると、歯止めが効かなくなって
しまうことが度々あって、それはもう評論ではなく、
攻撃に見えるのですね。
ナンシー関一人で書いているのとは違う作用が生まれ、
そしてその生まれたものが私の好みではないという
だけのことなのでしょうけれど。

面白いのは、ナンシー関と対談しているうちに、大月・町田共に
なぜか自己の内省みたいなことをしてしまったりしたこと。
で、それはリリー・フランキーさんとの対談ではなかったし、
舌鋒鋭く何か(誰か)を過剰に批判ということもなかったのです。
リリーさんって、思った以上に肝が座ってるのかも!?
でもブレがないんじゃなくて、単に無気力だったりすることも
ありえますね。要チェックだわ。

ま、再読はないと思います。
今度こそ・・・っていうか結局対談集は全て読んでしまったので
次はテレビ消灯時間あたりの再読から・・・。


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