雑誌「CREA」に連載されていたもので、私も特集によって
この雑誌を買っていたので、以前読んだものもありました。
なかなか面白いのですが、でもなんとなく嫌な感じもあった。
ナンシー関の魅力というか面白さが、この対談相手の
町田さんによって相殺されてしまっている気がする。
いつもと違って、なんだかよくない感じ。
町田広美さんを、私はこの対談で初めて知りました。
食いつきどころなど、一見二人は似ているようですが
やはり違うし、どこか不愉快感が残る。
二人の持つ感覚の格差を実感しましたが、具体的な
違いはどこにあるのでしょう?
町田広美さんが、構えてしまっているというか
(こう言えば、ナンシー関が喜ぶ、或いは同意して
くれる)と先走って考えているように私には見えた
のですがそれも要因のひとつかもしれないな。
読者よりも先にまず「ナンシー関」を意識して
しまっているという感じがしました。
でもこの図式に似たようなものは、私がこの1年あまりの
間に読んだいくつかの他の対談集にもありました。
森博嗣と土屋賢二の対談、あるいは山田詠美とやはり
東大卒の作家(名前失念)の対談などでしょうか。
共通しているのは、対談相手に気を使いすぎなことかな。
でも気遣いといってもそれは、思いやりという意味では
なくて、もっと自分の感性のアピールという感じで、
やはり先走り感がある。
本当にそう考えているのかな?という疑問も残ったなあ。
とにかく「不自然」というのが私の受けた印象でした。
要するに自意識過剰によるものだと思うので、
その気持ちは同じく自意識人間の私にも、
わからなくはないのですが。
でも公の場で評論するなら腹括らないと、見苦しいですね。
考えてみると、同じ対談でもリリー・フランキーと
ナンシー関の対談はとても良かった。
あれはふたりともが、(誰がどう思おうと別に、
俺は俺だしさ・・)みたいなものが根本にあるから
面白く読めたのだと私は思います。
・・となると対談の成功のためには、完全に同等とか
普段から仲が良くて阿吽の呼吸を承知済みであることが
必要なのかも。
それ以外の対象が相手の場合はインタビュー、あるいは
討論と呼ぶことになるのかもしれないですね。
今度は対談ではない「テレビ消灯時間」シリーズでも読もう。
この対談の相乗効果として生まれたものは、
あまりいいものじゃなかったように思う。
ナンシー関はコラムの方がずっといいですね。
隣家全焼 (文春文庫)/ナンシー関

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こちらの「ニュー中田(ヒデ)ビルド計画」などには
かなり笑わせていただきました。
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