「金子みすず展」 横浜そごう | MARIA MANIATICA

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ASI ES LA VIDA.

6月4日土曜日に、横浜そごうの「金子みすず展」に行ってまいりました。

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詩人の場合、展示はどんな形になるのだろうと思っていましたが、
詩、写真、多数の手紙、作品集や投稿誌、また学生時代の成績表などの展示と、
仕事場を再現したものが展示されていました。

また、順路の後半はおよそ60人ほどの各界著名人、それぞれが選んだ
自分の好きなみすずの詩と、各人が作成したトリビュート作品の展示でした。
画家の場合は絵、音楽家の場合は譜面、あるいは単純に感想など様々でしたが
かなりの量があり、見ごたえがありました。
中でも、漫画家・ちばてつや氏の水彩画は素晴らしかったです。

金子みすずは1903年山口県に生まれます。
そこそこ裕福な家庭だったようですが、この父親はみすずが3歳の時に海外で死亡し
未亡人となった母親は、自分の亡くなった実妹の夫で、すでにみすずの実弟を
養子に出していた先に嫁ぐことになります。
新しい父親が、この実弟にふたりが姉弟であることを伝えるのを躊躇したため
みすずの実弟・正祐(のち劇団「若草を創設する上山雅輔)は、みすずに対し
憧れというか恋心に近いものを抱くようになります。

それを危惧した継父から、継父の下で働く書店員との結婚を勧められ
みすずもそれを承知して結婚します。
しかしこの夫は性格に裏表があり、また女癖も悪く、よそからもらってきた
淋病などをみすずが染されたこともあったそうです。

あまりの振る舞いに継父が離婚を考えるようになった時には、すでにみすずが
妊娠しており、結局離婚はせずに出産をします。

夫との不仲の中、詩作が唯一の生きがいとなっていたみすずでしたが、
その頃にはすでにみすずが実の姉であることを知っていた正祐が、
ありったけの誠意と愛情をこめて、彼女を励ましていきます。
それがどれだけのものだったかは、残った大量の書簡から推し量ることができます。
細やかな感想、心遣いがぎっしり書かれた手紙の数々には、とても心打たれました。
愛なくしては、決してできることではないです。

肝心の夫からはついに詩作も、作家仲間との交流も禁じられることになります。
みすずは離婚を決意しますが、夫は結局、子供の親権を譲ることを承知せず
みすずは夫が娘を迎えに来る前日に、上のチケットに使用された写真を撮った後
自ら命を絶ってしまったのでした。
素朴で素直なたくさんの詩からは想像もできない人生があったのでした。

金子みすずは、先にも書いたように1903年生まれです。
先日読んだ「生きていく私」の奔放な作者、宇野千代さんは1897年生まれで
それほど年齢差はありません。
どちらも最初の結婚は、両親の勧めに従って素直に嫁いでいました。
でもその後のこの人生の違いは、どういうことなのでしょうね・・・。

宇野千代さんはあまりにも特殊と言えば特殊な方ではあるけれども
みすずのように自ら命を絶ってしまった事を知ると、同じように自ら
命を絶ってしまった他の方すべてをに思う時と同様、(他に道はなかったのか?)
という想いがやはり強く残ります。

みすずが注目されたきっかけは、矢崎節夫さんと言う方の尽力によります。
矢崎さんが大学1年当時に読んだ「大漁」という詩に心打たれ、
それ以後、矢崎さんはおよそ50年と言う長い時間をかけて金子みすずの
足跡をたどっていらしたのでした。
ほぼ無名の詩人の一編の詩に感動した感受性もそうですし、手がかりが
ほとんどない中、金子みすずにたどりついたその努力もまた、
素晴らしいことと思います。
最初からそこに「金子みすず」が鎮座していたわけではないのですよね。

あまりにも世間で流行してしまうと、かえってそこに近付かないようにしてしまう
ワタクシですが、この作品展に行くことができたのはとても良かったと思います。

詩については、以前書いたように私はもうちょっとめんどくさいものが好きなのは
事実ですが、祈りにも似たこの詩集も時には良いと思います。
(あまりにも率直過ぎるものは読んでいて辛いこともありますのでいつもは無理。)


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