神戸の震災、それから地下鉄サリン事件の後に描かれた短編集で、いずれも
主人公が何らかの形でその事件に心情的にかかわりを持っているという設定。
誰一人としてその事件の直接の被害者だったというわけではないのですが。
「このふたつの出来事が示しているのは、我々の生きている世界がもはや確固としたものではなく
安全なものでもないという事実である。この地震がもたらしたものを、できるだけ象徴的な形で
描くことにしよう。つまりこの出来事の本質を、様々な“別のもの”に託して語るのだ」と
言うのが春樹氏の弁。
いずれも主人公の真意とか、それに付随するエピソードが詳述されておらず、
読者がそれを考えなくてはならない・・・いつもの村上ワールドです。
あの小箱の中身はなんだったのか?
耳を食いちぎられた男はどこに消えたのか?
一緒に生きられないけど、一緒に死ねる・・・とは?
何年も抱えてきたその憎しみの理由は?
・・・・などなど、不明なままのことでいっぱいあります。
とはいえ、それが別に気になったり尾を引くなど、中途半端さを感じることがないのが不思議。
全編通して共通しているのは皆「死」と境目にいるということを意識していることで
それは自分の死だけでなく、誰かの死をも含めてですが、でも誰かと出会うことで
どの人も生について向き合おうとしていくようになっていくのもまた共通点かもしれません。
「ノルウェイの森」でも「死は生の対極にあるのではなく、生の延長にあるのだ」と
ありましたが、この作品でも同じことが繰り返されているように思います。
でもあいかわらず全体的なトーンは暗くてちょっとグロテスクだったりします。
気分のいい時でないとちょっと読めないと思うし、奥底にある生への意欲も
感じとることは難しいかも。
表題作「神の子供たちはみな踊る」は米国で映画にもなったようです。
あの短編を1本の映画に仕立ててしまうとは・・・。
でも確かにこの短編集、いずれも映像が浮かんでくるような内容ではありました。
特に表題作の最後のシーンで主人公がひとり踊り狂うシーンは読み手それぞれの経験で
様々なダンスシーンを思い浮かべることができると思います。
個人的には「タイランド」「かえるくん、東京を救う」の、タイ人運転手と
妖怪を思わせる、かえるくんの精神が美しくて好きだと思いました。
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ここから先は上とは無関係の考察。
作品集のうち6編は雑誌に「地震のあとで」と言うタイトルで連載されたものだそうですが、
単行本刊行にあたって「蜂蜜パイ」という書き下ろしが加えられています。
これ結構評判がいいみたいなのですが、私は好きか嫌いかを聞かれたら嫌いだよ~。
一言で言うと「ノルウェイの森」のハッピーエンドバージョンと言えるかもしれません。
ちょっと目立つ魅力的な男性と、お育ちがよく美貌も知性も適度に持ち合わせたやはり
魅力的な女性、そしてしいて言えば文章を描くことが取り柄くらいの目立たない男性が
学生時代に知り合い、ずっと仲良く付き合ってくる。
取り柄のない男(?)はもちろんその魅力的な女性に惹かれている。
そして魅力的な男性もやはりその女性に惹かれている。
俺なんか・・・という気持ちや、その心地よい3人の世界を壊したくないという気持ちから
何も言わずにいるうちに、その魅力的な男性に彼女は奪われてしまう。
それでも3人はぎくしゃくすることもなく、誰かが何かを耐えることもなくずっと仲良し・・・。
村上ワールドではよくあるパターンでしょう。
今回はでも、魅力的な男はほかに女性ができたことで離婚、そして元妻である
その魅力的な女性をさえない男に差し出す(?)の。
「おまえも彼女が好きだったんだろう?彼女もそうだった、それを俺は先に奪った。
本当はお前との方が幸せになれることは分かっていたけど」みたいなことを言って。
最後、さえない男は彼女に結婚を申し込むことを決意してました。
ま、全員納得なら別にいいんだけどさ・・・。
エピソードはもちろんいろいろあるので、この3人の関係がメインではないだろうと思います。
さえない男が話す寓話、魅力的な夫婦の間に生まれた女の子が抱えている
震災の映像による心的外傷など・・・。
でも、この3人の関係がやはり私の目を一番引いてしまうのですね。
で、ちょっと思い出したのが古い萩尾作品の「10年目の毬絵」。
毬絵が亡くなったことで、男性二人が大学卒業以来会うことになるのだけど、
大学在学中の3人の関係はまったくこの「蜂蜜パイ」と同じ。
そして、久々に会ったときに、毬絵の夫で元は才能あふれていた魅力的な夫がやはり
さえなかった(でも毬絵に思いを寄せていた)男性に「毬絵もお前を認めていた。
だからお前に奪われる前に、俺が奪った。」なんて良く似たことを言っているんですね。
さえない男も「おまえたち二人は俺の憧れだった。」と、3人でいる世界だけで
十分満足していたということを口にします。
妙に長くなってしまったけど、萩尾信者の私にもいくつか共感できない作品は
もちろんあって、そのひとつがこの「10年目の毬絵」だったので、なんだか妙な気分。
調べたら青年誌への掲載だったようなので、この村上・萩尾両作品のいずれも
男性には、受け入れ可能なテーマなのかも知れませんねえ。
う~ん、妙に長くなってしまった。
文句を言いながらも村上春樹を読んでしまうのは、やはり癖になるからだとは思うけど
未だわたしはそれが何なのかわからない。
生意気盛りの中高時代に読んでいたら、もっと彼の作品の表面的な部分には無条件で
惹かれただろうとは思います。
だってモラトリアム哲学少年、少女の好きそうな要素だらけですものね。
翻訳家、エッセイストとしての魅力は十分認めているけど、小説に関しては毎回
「はあ?あり得ないって!」というのが正直な気持ちなのです。特に恋愛に関しては。
だから、ノーベル賞候補がこんなところにあるはずはなく、きっと死生観の描き方あたりに
あるのだろうとは思うけど、まだ納得できるものには出会っていない。
でもきっとあるはずのそれ以外の理由を探していて、結構その作業を楽しんでいたりする。
好き嫌いを聞かれたら「作品による」と今は答えるかな。
長くなりついでに・・・
先日読んだ山田詠美の対談集の中で石原慎太郎氏と「村上春樹がなぜ受けるか?」を
語っていて、はあ~なるほど・・・と笑ってしまったのでした。
まとめると「観念的な恋愛小説で、もてない男が主人公であることが受けている」ということ。
詠美いわく「偶然なんてやってこない。女にもてるには極意と努力が必要なのに
そのプロセスと努力を知らずに書いている」とのことでした。僭越ながら私もそう思うよ。
作品中の個性あふれる女性たちにも、出会いの設定や進行具合にもいつも違和感持ってます。
ただ詠美様は「私の読者と彼の読者が重なることはないだろう」とも言っているけど、
私みたいな例外もいるので、それら併せて考えるとまあ事実は小説より奇なりってこともあるのかも。
かなり消極的ではあるけど。
ついで言うと最近読んだ中で一番好きな詠美小説「無銭優雅」のふたりの出会いは本屋さんで
彼女がは山田詠美を、彼は村上龍(春樹じゃないよ)を買っていたのでした。
これはなんとなくわかる人にはわかる、と思います~。いや、なかなか・・・。
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