1989年1月8日 日曜日
朝おきるとスイス人のコニーがきていました。
彼女はもうかなりスペイン語が話せます。
コニー、ペドラと私で、トルメス川のラストロ(蚤の市)へ。
昨日帰って来た時点で、奥さんから天皇が
なくなったことを聞かされました。
テレビでも何度もやっています。
中野の電車の事故のことも前に放送していました。
ラストロから戻ると、もう1人ドイツ人のイリスという
女の子が来ていました。
彼女はかなりスペイン語を話せますが、
家での会話は食事中もずっとドイツ語です。
こうしてみると最初のころのこの家の同居人、
そしてクラスメイトになんて恵まれていたのだろうと、
改めて思うと同時にそれを活かせなかった自分が悔しい。
それでもわたしは別になにも気にならない。
ドイツ語の響きは耳にとても心地いいし
それぞれがとてもいい子たちだし。
結局そのあと4人でイリスの友達のところへ
遊びに行くことになりましたが、会うことが出来ず
「じゃどこかでお茶でも」とセルバンテスに行くと
ドイツから戻ったばかりのカイにばったりと逢いました。
「おおっ!」って感じで思わず再会を、抱き合って
喜んでしまいました。
彼も11月は英語でしか話してくれなかったけど、
ずいぶん変りました。
今はあってもなつかしいと思えるし、とてもうれしい。
これからもっといい友達になれそうな気がします。
こんなこともあり、新年早々涙にくれた私でしたが
ようやく元気になってきたところです。
この89年1月、日本が昭和から平成に変わりました。
年中スペインのニュースでも取り上げられており、
学校でもスペイン人の子達から「HIROHITO!」なんて
声がかかりました。
もう同居人に対しても遠慮なく、一緒に行く?あるいは
一緒に行っていい?なんて、自分から声をかけられるように
なっていたのは自分でも驚き。
88年の12月は私にとって、スペイン語もまだうまく話せず、
日本語を話す機会もほとんどなく、楽しいこと、新しいことに
毎日出会いながらも、また一番苦しい時期でもありました。
だからこの時期の手紙が極端に多いのだと思います。
書きながら自分を励ましていたのかな。
私が何年たっても毎年クリスマスの時期に思い出すのは、
この12月の様々な出来事ばかりです。
去って行った友達、明け方まで毎日遊んだサラマンカ、
ヒロトシとの最悪のイブ、たくさんの失敗、会いに来てくれた人達。
1月7日まで続いた北スペインの旅とともに、私の人生の中での
大事な思い出のひとつとなりました。
この旅の後、私が書く手紙の数は紛失部分が
かなりあるとはいえ、格段に減っていました。