スペイン Ⅹ | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

もう一仕事、11月のあれこれを書いて

今日は打ち止め。


11月のレベル1Aの試験は

SOBLESALIENTE(優)でした。

意外にもスペイン語を全然使おうと

しないカイが1番で、私が2番。

大変うれしかった。


友人はこの結果が出た後、ほかの

ヨーロッパ諸国を2、3ヶ月回る予定で

出発した。

同居人のベラも、リヒテンシュタインに

戻っていった。


心配はあったけど、とにかく最初は

ひとりで来るって決めていたんだから、と

自分に言い聞かせた。


一緒になんとなく行こうかな~なんて

軽い気持ちで来た友人だったけど

彼女もまた得るものは大きかったと思う。

そして私は彼女がいてくれたことに

本当に感謝してる。今ももちろん友達。


ルディたちには、あまりにもかまわれすぎて、

贅沢にも、鬱陶しいと感じたことも実はあった。


黙っていれば「どうしたの?」「何があったの?」

とすぐ聞かれることもしばしばで、

黙っていたい時だって、あるってことも

わかってもらえなくて、まだまだ自力では

ダメなんだと思うことが年中だった。



とにかく同情ではなく自力で友人を

作れない限りは、この劣等感は

消えないだろうと思っていました。


ただ、夜な夜な彼らと過ごし、次第に

顔見知りが増えていくうち、結局、

私のスペイン語が拙いってことは

まあ別として、でもこう思うってことを

ちゃんと持っていれば、語学が下手でも

互いに話はできるし、さらにそこから

話が広がっていくんだってことは

実感としてわかって、ルディ抜きでも

遊ぶ友達もできてきた。



だから、今も思うのは、語学力よりも

自分のポリシーって言うかアイデンティティを

持つことが一番重要なんじゃないかってこと。


ルディと、その友達のスイス人の

ステファンからはいつも、何度も何度も

「年齢とか、性別とか、国籍は関係ない。

自分らしくしなくちゃ。

ヨーロッパでは、その人そのものが

評価されるんだから。」とことあるごとに

言ってもらえたのも大きい。


彼らには本当に引き立ててもらったと思う。

実際は、私のことをどんな目で見ていたのかは

わからないし、腹立たしい思いをしたことも

先に書いたように何度もある。
でも、あれだけ毎日一緒にいてくれたのだから

多分認めてくれていたと思うことにしてます。


12月に入り、クリスマスのイルミネーションも

美しくなってきたサラマンカ。

ほんとうにきれいだった~。


普通は4週間ある授業も、クリスマス前の

3週間で終わり、ドイツの友人たちも

皆帰国することになっていた。

その日を考えると、これまたたまらなく

寂しく、気は重かったけど、とにかく

自分で、切り開けないものはないだろうって

思いは持てるようになりました。


まだまだ、つづくよ~。