スペイン Ⅵ | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

1988年10月26日


コルドバ~セビージャを回り、いつもの
夜行でいよいよ首都マドリッドに到着。

一番の候補として考えていたのは
マドリッドから3時間ほどのサラマンカで
近郊を観光した後、訪ねてみる予定でした。

夜行列車で相席になったスペイン人の
話では、「サラマンカは9ヶ月がフライパン
3ヶ月が冷凍庫」なんていわれて、寒さに
弱い私はちょっと弱気になってしまった。

マドリに到着した27日にまずは念願の
風車の土地、カンポ・デ・クリプターナと、
協奏曲でその名を知られるアランフェスの
王宮を訪れました。


クリプターナはイメージ以上のところだった。
老人ばかりの、時間が停まったような
活気のない街。
そのはずれにあるのがこれらの風車の群れ。
もう動かない。

良いところだったとか、そんな風に一言では
簡単には言うことはできないけれども、
私には本当にしっくり来る場所でした。


$Maria maniatica


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あと少しだけ写真はあるけど、いずれも似たり寄ったり。

私の髪は、強い風でぼさぼさだ。
でも、この風景を見てきたことは、今でも本当に満足!
もう一度行くことは、当時はできなかったけど、
十二分に満足してます。


当時書いたものを見ると、やっぱりスペインは
田舎こそすばらしい、と書いていました。

その後回った、アランフェスはクリプターナとは
対照的に、手がかかり、これはこれで本当に
美しいところでした。

これは、宮殿じゃなくて、その近くで売っていた家。
いくらだったのかな?
3億円当たったら買ってもいいかも。


$Maria maniatica


セゴビアで、ディズニーランドのシンデレラ城の
モデルとなったことで知られる、アルカサール、
カテドラル、ローマ橋などを見学した。
石造りの建物は本当に本当に美しい!

セゴビアの街角。


$Maria maniatica


仔豚の丸焼きで有名なレストラン。
皮がぱりっとしていて本当においしい。
今考えると相当高かったけど、まだこの当時は
日本価格と比較していたので、何とも思わなかった。


$Maria maniatica


お肉屋さん。
仔豚がぶら下がってる・・・怖い。
ここには写ってないけど、豚さんの頭も
店頭に並んでいた。


$Maria maniatica


日付ははっきりしないけど、この後サラマンカに
行き、学校とステイ先を決めてきた様子。

到着して、スペインのどの町にも必ずある
マジョール広場を見て、一目で気に入って、
もうここしかないと思った。

マドリは多分ほとんど見ないまま、高校時代の
友人とはここで別れた。
彼女はこのあとフランスとイギリスへ。

私と、会社の同僚だった友人と2人で、
サラマンカに向かいました。


2007年、テレビで珍しく、私の愛する、
カンポ・デ・クリプターナとサラマンカを
特集したことがあり、一緒に見ていた娘が、
「ママがなぜ未だに、スペイン、スペインと
うわごとみたいに言っているのかがわかった
ような気がするよ」と言ってました。
悪いけど、多分一生言い続けると思うよ~。

10月末からいよいよ生活と学校が始まった。
ここから先は・・もうダメダメの最低の私だ・・。


まだまだ、つづく・・・・


スペイン国立管弦楽団+イエペスおじさんによる
アランフェス協奏曲の第2章、超有名。

私が日本で聞いた、指揮者とは違うけど、
スペインの曲を、スペインのオケ、スペインの
ギタリストが奏出るの図は、一緒です。